学校日記

「北梅」の由来に二説あり!? 〜解決編〜

公開日
2016/05/06
更新日
2016/05/06

職員・OBから

 校長先生が私に見せてくれたのは、『我が学び舎 くりやがわ 厨中年史−50周年から60周年まで−』という10年前の記念誌でした。そこには、以下のように説明されています。

<始1>(前略)
 ところが、校長室前に掲示している本校の応援旗には、
  わが国の梅の花とは見たれども
   大宮人はいかがいふらむ
と表記されている。後半の部分は、「本校の徽章の由来」では「何というらん」となっている。ちなみに、校長室の中にある姿鏡に表記されているものは、「本校の徽章の由来」と同じである。
 このことを、国文学研究資料館に問い合わせてみたところ、学術情報課情報サービス係から、次のような回答があった。

<始2>
『英雄百人一首』安倍宗任に収載の和歌について
 『英雄百人一首』に収載の安倍宗任の歌「わが国の梅の花とはみたれども 大宮人はいかがいふらん」は『平家物語 剣の巻』に安倍宗任の逸話として収載されています。
 訳については、参考調査で直接回答することは出来ないのですが、頭注付きの平家物語該当部分をお送りします。他にも『平家物語』の注釈書があるかと思いますが、これらを参考にご考察ください。<終2>

とあり、新潮日本古典集成(第47回)「平家物語 下」(新潮社)では、
 わが国の梅の花とは見たれども
  大宮人はいかがいふらん
となっている。
 本校で使われてきた安倍宗任の和歌は、平家物語のものと微妙にことなっている部分があり、今後は平家物語にあるものを使うようにしたい。<終1>

 文末の「使うようにしたい」。
 「岡田君、どっちも間違いじゃないけど、10年前に調べてくれた人がいて、その人が『“いかがいふらん”を使うようにしたい』と言っているんだから、こっちを使うようにしよう。今回は僕たちにとって、いい発見だったんだよ」。

 校長先生の博識・洞察力に恐れ入りました。間違いを指摘するのではなく、その先の答えも用意してくださり、そして最後には誉めてくださるとは。このことは伏せておこうと思った自分が情けないばかりです。H28『学校要覧』作成の際は、「いかがいふらん」で統一させていただきたいと思います。

 安堵感と何とも言えぬ脱力感でトボトボと校長室を後にしようとした私に、校長先生はもう一声かけてくださいました。「岡田君、ということはあれだな。来年が70周年だね」。
 またひとつ、大きな仕事に気づいてしまった岡田でした。