事業報告1
- 公開日
- 2017/10/17
- 更新日
- 2017/10/17
創立70周年記念事業H29
1.記念式典 第1部 平成29年10月7日(土)13:00〜 本校体育館
来賓、記念事業実行委員会、生徒、保護者、教職員、地域町内会の方々、およそ900名の参加の下、創立70周年記念式典が厳かに執り行われました。
以下、校長の式辞をご紹介いたします。
〜校長式辞〜
本日、ここに、盛岡市教育委員会教育部長:豊岡勝敏様をはじめ、多数の御来賓や同窓生、職員OB、地域の方々のご参加をいただき、盛岡市立厨川中学校創立70周年記念式典を開催できますことに、まずもって感謝申し上げます。
これも、記念事業実行委員会会長の遠藤政幸様をはじめとする実行委員の皆様、関係各位のご尽力とご支援の賜物と深く感謝し、心より厚く御礼申し上げます。
式典の会場としてはやや狭い本校の体育館ですが、来年度改修工事が予定されております。お世話になった体育館へのお別れの意味も込めて式典の会場としたことをご理解いただければ幸いです。
さて、本校は、昭和22年に厨川小学校に併設という形でスタートし、翌年、現在地に独立開校しました。当時は、現在の城西中学校と北陵中学校の学区を合わせた広い学区でした。
現在の生徒数は634名ですが、昭和35年度の1827名をピークに、昭和28年度から平成2年度までは1000名を超える県内屈指の大規模校として、その歴史を刻んできました。
昭和36年に城西中、昭和47年に北陵中が分離独立し、現在の学区となりましたが、今年3月で卒業生も2万5000人を超えました。
創立から70年、校章の由来となっている「北梅魂」をはじめとして、「未来は美しい」など、多くの言葉とその文化が受け継がれてきています。
本校の歴史を語るとき、決して忘れられない、忘れてはならない、平成23年3月11日の東日本大震災津波。
津波は、沿岸部を中心に、多くの尊い命を奪い、多くの人々のかけがえのない日常の営みと、幸せな時間と空間を一瞬にして奪いました。
その涙、嘆き、悲しみを、「新たな可能性」「未来への輝き」へと変えていくことが、残された私たちの使命でもあります。
あの日、本校の校舎は、シンボルであった時計台が折れるなどの大きな被害を受け、内陸で唯一の被災校となりました。
青山小と大新小を間借りし、学年毎に3校に分かれての学校生活を送った1年間。
その中で生まれた「誰かのために行動できる厨中生」という言葉は、今も大切に引き継がれています。
新校舎の完成後、気持ちを新たに「やるぞ厨中、目指せ日本一」を合い言葉に、「新生厨中」の出発を誓う中で出会った氷上太鼓。
「新生厨中」の意気を代々の厨中に伝えていきたいという願いに応えていただき、氷上共鳴会の皆さんによる「厨中北梅太鼓」の作曲、指導は、今年で5年目となりました。
「新生厨中」の原点は大震災であり、「厨中北梅太鼓」が鳴り続ける限り、東日本大震災津波の被害の事実と復興への誓いを忘れない。「厨中北梅太鼓」は震災復興のシンボルでもあります。
創立50周年を記念して作られた合唱三部作・組曲「ぼくら・風の三郎」。
創立70周年を機に、新曲「創流」を作曲していただき、厨中北梅太鼓も「青嵐」「天真」「創流」の三部作となりました。
これらを、第二部で披露できること、とてもうれしく思っています。
昨年度は、陸上部女子の東北大会総合優勝や女子走幅跳での県中学新記録など、歴史に残る活躍がありました。
今年度も、特設合唱部の全日本合唱コンクール東北大会への初出場や、特設駅伝部男子の大会新記録での県大会初優勝など、70周年の節目に華を添える多くの活躍がありました。
マニラ育英会を通したスカラシップ募金など、ボランティア活動の伝統も続いています。今年度は、生徒の申し出による九州北部豪雨災害への募金活動なども行われました。
地区懇談会での中学生による司会進行も拡大し、小学生と一緒の地域奉仕活動も続いています。
全力でつないできた70年のバトンを、これからも大切につなげていきます。
終わりに、厨川中学校を支え、励ましてくださいました皆様に、心より感謝とお礼を申し上げ、生徒・教職員一同、「苦労を厭わず 理想を求め やり遂げる 学を楽しみ 笑いあふれる 厨川中学校」として更なる発展を誓い、式辞と致します。