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1月8日(木)主体的な学習(アクティブラーニング)=「抄録(しょうろく)」という松下村塾(しょうかそんじゅく)の学習方法に学ぼう!※1月学校だより

公開日
2015/01/09
更新日
2015/01/09

お知らせ

主体的な学習(アクティブラーニング)=「抄録(しょうろく)」という松下村塾(しょうかそんじゅく)の学習方法に学ぼう!※「1月学校だより」に少し加筆
○江戸幕末の長州藩、現在の山口県に、吉田松陰(以下松陰)という人物がいました。目標に向かう自分の気持ちを志(こころざし)とし、その志を大切にしながら、日々実行していました。そして、「志定まれば、気盛んなり」という言葉を残しました。志とは、心に決めた目標に向けて進もうとする気持ち、決心のことです。したがってこの言葉の意味は、目標への気持ちが志としてはっきりすれば、自ずとやる気や意欲が生じるということです。
○注目したいのは、松陰は、自分で実行するだけでなく、若者が主体的に学ぶ学習方法を生み出しました。松陰は、松下村塾(しょうかそんじゅく)という私的な塾を運営しました。そこに入塾してきた若者に、「抄録」という方法で、年齢や学びの習熟に合った学習をさせていたとそこで学んだ人が語っています。
★若者の年齢等に合わせて一冊の本を与える。★よく読んで感銘したり共感できたりした文章を自分で選んで付箋(ふせん)という紙切れをその文章に張る。★次に自分で選んだその文章を、なぜこの文章の部分にひかれたのかよく考えながら、その文章をそっくり写す。★そして書き出した文章をもう一度よく読んで考えてみる。一冊終わると、松陰はまた新しい本を一冊与えて「抄録」を繰り返させたとのことです。
○当時最も若い日本の初代総理大臣の伊藤博文も十六歳くらいからこのような勉強をしたといわれます。★何か素晴らしい考えを教えられたのではなく、自分自身で読書をし、なるほどと思うところを見つける。現在でも、読書でなるほどと思うことはたくさんあっても、その部分を書き出して、もう一度考えてみるということは少ないと思います。この抄録という方法では、自分の感じたことや考えたことがより深められていくと考えられます。★効果的な勉強の方法は実は、抄録のような地道な方法と思います。学んだことを、ノートに自分でまとめていく方法も同じ効果があるように思います。ぜひ、自分の学習スタイルを見つけましょう!

○松下村塾と適塾について
いずれも復元した建物があります。緒方洪庵の適塾は、大阪大学医学部の前身と言われ、そのためか、阪大が管理しています。名簿も現存し、600名を超える塾生が分かります。昨年度、耐震・補修工事がありましたが現在見学できるようになったようです。一方、松下村塾では、松陰が実際にかかわった人物は50名ほどで、名簿も存在しません。8畳と10畳くらいの大きさが学習の場所でとても狭いのですが、自分で学ぶことに環境や条件は必要なく、志(こころざし)が大切なのかも知れません。

○NHK大河ドラマ「花燃ゆ」
 吉田松陰の実妹文(ふみ)の生涯を描くとのこと。激動の時代を生きた若者群像を学ぶことができます。文は、将来、楫取美和子(かとりみわこ)となり、大正10年まで長く生きます。したがって写真が現存します。<天保14年(1843年)〜1921年(大正10年)>
松陰門下の秀才・久坂玄瑞に嫁ぎましたが、禁門の変で久坂が自害して未亡人になります。後に実姉の元夫の群馬県令(現知事)や貴族院議員を歴任した楫取素彦と再婚して群馬の地で人々を支えました。飛鳥中の地にかかわりの深い渋沢栄一、世界遺産になった富岡製糸所などとのかかわりもあるのかも知れません。
○吉田松陰(1830〜59)は幕末の長州藩士の志士。武士、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。実際は、明治維新の精神的指導者・理論者として知られ、尊皇攘夷論者として、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、山県有朋など多くの俊才の主体的に考える力を育てたと言われています。
 松蔭自身は、志半ばの二十九歳という若さで刑死するため、その門人たちによって明治維新が実現されていきます。吉田松陰の言葉に、「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない」という名言があります。自分の年齢ではもう出来ないと諦めるより、志を決めたなら実行していけるような行動力は何歳になってももつことができるものであるということです。正に、アクティブ・ラーニング(主体的な学び)の精神と言えますね。

※絵と写真は、吉田松陰とその妹文(ふみ)、飛鳥中研究発表会で、主体的な学習の効果を述べる3年生です。