記事

やりましたと言うけれど

公開日
2009/09/10
更新日
2009/09/11

今日のひとこと

9/10 今日のひとこと
「□□をやりました」というけれど、「やったこと」と、「わかったかどうか」「できるようになったかどうか」は別問題。
□□に○つけ法、意味付け復唱法などの指導技術が入る。

本当にわかったならば、適用問題はすいすと解けるはず。
すいすいと解けないならば、実施した方法は効果なしである。

「わかったかどうか」を評価するには、子どもたちから「あ〜あ、わかった」という声が思わずでてきているか。
教師が「わかりましたか」というようでは、本当にわかったこととはほど遠い。

子どもたちが
「わかった」という声かがでたら、何がわかったかを問い返してみよう。そこで、素晴らしい考えが披露されれば、よい授業である。「わかった」と言っても何となくのことが多い。

このように子どもが「わかった」と言ってくれないから、教師は悩むのである。そして、いろいろな手だてを考えるのである。そして、あるとき、いろいろな手だてのうち1つが成功することがある。この成功がきっかけとなって、さらに工夫を重ねていく。

ところが、悩まない教師もいる。
そして、子どものせいにする教師がいる。この人は、永遠に悩まないところでくるくると回っている。悩まないから楽なんだよね。悩まないから、教育関係の本も読まないし、研修会を企画しても参加したいとは思わないし、先輩に聞こうともしない。
「愛」が足りない教師というよりも教育愛がない教師と言ってもよい。

やはり教育の原点は、「愛」である。

[志水廣の公式ホームページ]