作文の時間
- 公開日
- 2024/07/27
- 更新日
- 2024/07/27
志水 廣:自己紹介・書籍紹介 笑瀾万丈
小学生編
☆作文の時間
ヒロシはすくすくと育ち、六年生になっていた。
ある国語の時間だった。
担任の先生が語り始めた。
「では、作文の書き方について教えます。」
「参考になる作文があるので読みますよ。」
担任の先生は、静かに淡々と読み始めた。
『ぼくはこの前の日曜日に家族と一緒に、動物園に行きました。』
うむ!?
なんだか聞いたフレーズだ。
「はじめにチンパンジーの所に行きました。面白かったです。そして、ライオンの所に行きました。怖かったです。そして、しまうまのところに行きました。なんで、白黒になっているのかと思いました。そして、カンガルーの所に行きました。感想はありません。そして、ゾウさんの所に行きました。そして、キリンさんの所に行きました。・・・」
やばい、ぼくの作文だ。いやな予感がした。
先生は、良いとも悪いとも言わない。
どうも変だ。クラスの中にはにんまりしている人もいた。
そして、おもむろに、「皆さ〜ん、こんな作文を書いてはいけません。」
またもや、運命の一撃。♪ダダダダーン、ガツーン。
この一言が胸に突き刺さった。
ヒロシは、あの作文が、なぜ悪いのか分からなかった。つまり、メタ認知が働いていないのでした。メタメタ悪い例らしい。
その後、理由を述べられた。
この文章は、「そして、そして、そして、そして・・・ばかりです。」
確かにそうだった。小さい頃のヒロシは接続詞は「そして」しか知らなかったのだった。
貴重な語彙「そして」。これにぼくは、文章のつなぎの命をかけていた。
小さい頃ではないよ。六年生だよ、と言われそうだが。
今から考えたら小さいんだ。
同じヒロシにも「飛んで、飛んで、飛んで、…、回って回って…」というヒロシもいるが、同じセリフの繰り返しこそ、美文調だとその頃のヒロシは確信していた。
ところが、先生の一撃によって、神戸生まれのヒロシは、「そして、神戸」のセリフを思い出した。♪こうーべ。泣いてどうなるのか〜
もちろん、先生は、誰の作文であるとは言わなかったが、明らかにヒロシのものだった。深く傷ついた。部分肯定の精神さえもない。全面否定の世界である。自尊感情が確実に落ちた。だから、○付け法が大事だというのは、あの頃から思っていたのかもしれない。潜在意識にトラウマが刷り込まれてしまった。ただし、担任の先生は普段はとてもよい先生であった。この授業のこの場面だけがマイナスの印象に残ってしまった。愛知教育大学の教官になったときは、神戸で会食して励ましてくださった。
ヒロシは国語が本当に苦手で、高校時代には現代国語、古典、漢文全て悪い成績だった。両親はどちらも小学校、女学校しか出ていなくて、およそ家には文学的雰囲気などなかった。あるのは口語体の世界。こうご(期)待というところだが、口語体の世界では、文の読解も作文も苦手は明らかだった。小学生のときはほとんど読書せず、少年サンデーが待ち遠しい少年だった。中学生になっても、ほんの少し読んだだけ。そして、高校入学時の課題読書が、亀井勝一郎の「邂逅」である。この文章の難解さに参った。
そんなヒロシだが、今や本書『夢現大8』は100冊目となっている。100冊もの単行本を出版するなんて奇跡である。人間どこで変わるのかは分からないものだ。大学院時代から筑波大学附属小学校で鍛えられたからである。
でも中には、きっとゴーストライターがいるのに違いないと思っている方もいるだろう。
そうなんです。ヒロシの肩に筆下ろしさせている何かがついているのかもしれない。そうであれば、ありがたやありがたや。ひたすら「筆の神様、ライター様。ぼくのそばを離れないでください」と願う、今日この頃のヒロシであった。