夏休み前の全校朝会「新潟地震」(7/24)
- 公開日
- 2013/07/24
- 更新日
- 2013/07/24
校長室
今日は、私が小学校5年生だった時の話をします。
私が、小学校5年生だった、昭和39年6月16日、午後1時2分、新潟で大きな地震が起きました。
「新潟地震」と言います。
給食を食べ終わり、友達とグラウンドへ遊びに出ようとしたときのことです。
突然、地面がブランコのように揺れました。立っていられません。ユサユサと揺れるプールの金網にしがみつきました。
「地震だ」「逃げろ」と、校舎の中から友達や先生方が走り出してきます。
山の下の港からほど近い高台にある学校でした。
「津波がくる。ここも危ないかも知れない」と、全校の子供たちが内履のまま2キロほど走って、物見山に避難しました。
目の前では、昭和石油のタンクが燃え上がっています。真っ赤な炎と真っ黒な煙が、空一杯に広がっていました。
その頃、川岸町にあった4階建てのアパートは、何棟もが土台から倒れていました。完全にひっくり返った建物もありました。
信濃川に架かる昭和大橋の橋桁も、大きな水しぶきを上げて川の中に崩れ落ちていったそうです。近くから見ると、その大変さが分かります。
地震が起きたおおもと「震源」は、日本海の中、粟島の近くでした。
ですから、新潟の海岸には津波が押し寄せました。そして、信濃川を津波がさかのぼり、町中に流れました。
その時の映像が残っています。
*児童はここで映像を視聴しました。
津波で、港にあった船が打ち上げられました。
信濃川の両岸は、低い土地が続いていましたから、あちこちが水浸しになりました。
堤防を直して水を外へ出し、水道や電気が元に戻るまで、人々は大変不便な暮らしを強いられました。
上所小学校では、毎年、地震と津波を想定した避難訓練を実施しています。
こういう地震が起きたとき、全員が無事でいられるようにするためです。
ですから、避難訓練は「命を守る勉強」なのです。
新潟地震から49年が経ちました。来年は50年目です。
明日から、34日間の夏休みになりますが、地震の大変さを忘れないでください。
文責;校長 森 正司
*右側の写真は、財団法人 新潟県中越大震災復興基金「新潟県防災教育プログラム」より転載させていただきました。