小林美記代先生の授業
- 公開日
- 2009/06/07
- 更新日
- 2009/06/07
志水廣関係の講演・学校訪問の報告
6月5日の朝、刈谷市立依佐美中学校の小林美記代先生の授業を参観した。
京都久御山町佐山小学校の西祐子先生も同行した。
語彙力を伸ばす研究の実践例としての提案授業である。
いつもながら小林美記代先生の授業は、圧倒的な情報量である。それで時間の最後にはできるようになる。
ずうっと教師が話している。しかし、教師一人が話しているのではない、生徒一人一人に指名しながら話している。また、生徒がわかりにくいなあ思ったらそこを詳しくやる。ねむそうな生徒もはげましながら最後には答えさせる。そして、できていた。スローラーナーにはこの時間の内容でできる問題を答えさせる。
話しているだけではない、写真にあるようにこまめに机間指導するし、フラッシュカードも使う。確認をたえずおこたらない。
実に忙しい授業である。教師も忙しいし、生徒も忙しい。
この授業を教え込みだというのだとしたら間違いである。
教師と生徒の頭がつながって動いている。
この授業を参観された国語の教師は、志水先生は小林美記代先生のような授業も認めるのですかと感想を述べたという。当然のことである。教えるべきこと、考えさせるべきことがきちんと明確になっている授業は、数学の授業にはあるし、しかも鍛えなければ生徒は問題はできるようにならない。
プリントをたくさん食べさせるような授業よりも、はるかによい。
プリントをたくさん食べさせるのは、山羊さんの授業である。それは、教師が楽をしているにすぎない。もっと汗をかけといいたい。
国語の教師の感想には、問題解決型の授業に対する誤解がある。問題解決型の授業とは、じっくり時間をかけて問題を解決し、多様な考え方を発表すると思われている。それも1つの問題解決型である。
しかし、小林先生の授業も問題解決型になっている。というのは、数学では、新しい概念は教師から教える必要がある。それは、数学いう言語だからである。そして、使いこなすときには、問題を解決していくことである。
小林先生のようにもっともっと教えて、考えさせて、活動させるような授業がよい。
後で聞けば3時間分の内容を1時間に入れたという。
恐れ入りました。
西先生の感想を紹介すると、中学校の数学の授業も小学校の算数の授業と同じなんだという感想である。「わかる」「できる」「身に付く」を意識している人は、必然的に同じ授業になるのである。1問解かせて全ての問題が解けるようになるというのは幻想である。
やはり、「きたえる」ことも必要である。
[志水廣の公式ホームページ]