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教師はどうするの?

公開日
2010/08/04
更新日
2010/08/04

今日のひとこと

8/4 今日のひとこと
日数教大会で助言者をしたので、その感想を述べる。
各地からレポートが寄せられて真摯に研究されていた。これには敬意を表する。

今年の特徴として、表現力からの育成がテーマとして多かった。
今、話題のことである。
また、グループ学習のレポートも多かった。
レポートを聞いていると、自力解決の悩みはあまり聞かれない。
あたかもすぐに本時の問題が解決できたというようなレポートが多かった。
解決できるようにするために、交流学習として4人くらいのグループ学習のレポートしていた。
私が気になったのは、教師の出る場がほとんど感じられないということである。
また、教師は子どもの考えの看取りも甘いことである。
本当に子どもがどこで悩み、どこでわかるようになったのか、それらを教師がつかんでいるのかどうかあやしかった。
確かにグループ学習をすればできるようになる。でも、それは、本当にできない子どもができるようになったのかというと、単にやり方を友達から聞いたからかもしれない。
こんなのは、カンニングしているだけである。

もっと、子どもは問題ができないことに困らなければならない。
もっと、教師は、その姿を見て困らなければならない。
この困った状態から、つまずきの研究やそれに対する助言の研究が生まれてくるのである。
○付け法をすると、教師は困るのである。子どもの解決過程を見て解釈する必要がある。だから、ノートを真剣に見ざるをえない。
また、意味付け復唱法をすると、教師は困るのである。子どもの発言に潜む数理を見つけださなければならない。だから、真剣に聞かざるをえない。
授業において、なんとはなしに見たり、聞いたりしていることからの脱却を図りたい。
そこに、教師の出る場がある。
[志水廣の公式ホームページ]