愛される学校づくり研究会で考える
- 公開日
- 2015/11/05
- 更新日
- 2015/11/05
仕事
先日、愛される学校づくり研究会がありました。
第一部は2月6日(土)に開かれる「愛される学校づくりフォーラム 2016 in東京」の午前の部に関連して“「チーム学校」で示された地域連携担当は何をすべきか”というテーマで3人の地域コーディネーター経験者のお話をうかがい、それをもとに会員で話し合いました。
改正された教育基本法の、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」を具体化するために、学校・家庭・地域が一体となって地域ぐるみで子どもを育てる体制として、学校支援地域本部が設置され、地域とのパイプ役として学校に地域連携担当の職員を置くことが求められます。今回は、地域コーディネーターの側から見た学校との連携の問題をきっかけに、本音の意見が飛び交いました。
「学校側は窓口になる先生以外、地域との連携に積極的であるように思えない」「学校によっては地域とのかかわりを求めていない」「地域が何を協力しているのか、どんな活動が行われているのか、知らない、興味を持たない先生が多い」という意見が出されます。「ボランティアに『ごくろうさん』という声かけがされる。『ありがとう』という感謝の気持ちが感じられない。そもそも、助けてもらっているという感覚はあるのだろうか?」と学校はボランティアが助けてくれて当たり前と思っているのではないかという指摘もあります。「学校だから、子どもたちのためだから、ボランティアは協力するのだ」という意見を、学校は重く受け止める必要があると思いました。
一方、会員の学校では地域の協力で助かっているという声がたくさん聞かれました。立場上地域とかかわる方が多いからでしょう。私個人としては、地域の方がどのように感じているのかが気になります。子どものために学校に協力しているのですが、それに対してきちんとフィードバックがされているのでしょうか?学校からお願いされるばかりで、自分たちの思いが実現できているのでしょうか?一方の学校は、本当に地域の方と協力したいと思っているのでしょうか?学校は地域の思いの上に成り立つべき存在であると学校の教職員が思わなければ、担当職員をおいても地域連携は進まないと思います。
体制整えるばかりではなく、学校側の意識を変えることが重要なカギになると強く思いました。
第二部は、会員の推薦の方に模擬授業をしていただき、授業検討を行いました。こちらもフォーラム関連して、午後の部の進行のリハーサル的な要素もありました。
授業は小学校一年生の道徳です。「はしのうえのおおかみ」という話をもとに、親切について考える授業でした。
冒頭に親切という言葉を取り上げます。優しくされた経験について問いかけます。低学年なのでこれもいいように思いますが、最初にどんな話か、何について考えるかがわかると子どもは最初からそのように思って授業を受けます。子どもたちの思考を誘導してしまう心配があります。
授業者は、表情豊かでとても受容的です。子ども役の大人でもすぐに惹きつけられます。
ペープサート(紙の人形劇 Paper Puppet Theater)でお話を見せます。オオカミが一匹しか通れない狭い橋の上で出会ったウサギを追い返して、いい気持ちになります。それが面白くて、タヌキやキツネといろいろな動物を追い返して意地悪をします。ある日、クマと出会い、自分ではかなわないと引き返そうとしますが、クマがオオカミを抱きかかえて橋の上でぐるりと回転してうまくすれ違うことができました。オオカミは次にウサギに出会った時にクマと同じようにして、いい気持ちになりました。
話し方も上手で、演じている間も子ども役から視線が離れません。日ごろから子どもをよく見ていることがわかります。
登場した動物を確認します。指名した子ども役が答えると「よく覚えていましたね」と必ず受容や称賛の言葉を返します。その言葉も多彩です。この先生の学級は暖かい雰囲気だろうと想像がつきます。ただ、一問一答形式になるきらいがあります。実際の子どもであれば、「先生大好き」「先生聞いて」という気持ちが強くなり、先生と子どもの関係が強くなりすぎる可能性があります。場面にもよりますが、他の子どもに同意を求めることや同じ考えでも言葉にさせることをしないと、子ども同士のかかわりができなくなる心配があります。
「おおかみさんを中心に考えてもらいます」と宣言します。ちょっと唐突な気がしました。あえて、オオカミを中心に考えることを宣言しなくても、そのままオオカミの気持ちを問いかけていけばよかったように思います。大人だったせいもあったのでしょうが、一瞬子ども役が戸惑ったというか、身構えたようになったような気がしました。
子ども役にウサギを追い返したときのオオカミの気持ちを問いかけます。子ども役からの意見をなるほどとしっかりと受容し、時には聞き返して言葉を足させます。個への対応としては素晴らしいのですが、やはり授業者一人ですべてを受けてしまいます。子どもの意見を先生が説明する場面もありました。「似た意見の人いる?」「同じように考えた人?」とつないであげるとよいと思います。「先生に聞いてもらいたい」から「友だちに聞いてもらいたい」に変えていくことが必要です。子ども役の先生方も、発表者の方を向かなくなりました。授業者が中心となっているからです。
オオカミがクマと出会ったときの気持ちを問いかけます。子ども役からは、「強そう、まずいな」という意見が出ます。授業者は、板書する時に「まずいな」を落としました。ここは、何がまずいのかを確認したいところでした。
続いて、クマに親切にされた時の気持ちを答えてもらいます。子ども役からは、「きゅ〜んとした」「渡れてうれしい」「くまさんはやさしいな」といった言葉が出てきます。ここで授業者は子どもたちからどんな気持ちを引き出し共有したかったのかがよくわかりませんでした。ここは、「きゅ〜んとしたって気持ちわかる?何にきゅ〜んとしたんだろうね?」「○○さんは、くまさんのことをやさしいと思ったんだ。他の人はどう思ったと思う?○○さんと同じ?」というように「親切にされたオオカミがどのように感じたのか?」「クマに対してどのような気持ちになったのか?」を子どもの意見をつなぎながら焦点化したかったところでした。
クマと同じようにしてウサギを通してあげた時のオオカミとウサギの気持ちを聞いていきます。ここでも、子ども役の意見を「素敵な意見」と上手に評価する場面がありました。よい雰囲気で、子ども役の意見を聞きだすことができます。ただ、この時間で子どもたちがどのような変容をするのかを考えてみると、この教材に最初に触れて感じた以上に深まる場面があまりなかったように感じました。「親切にされるとうれしい」「親切にすると気持ちがいい」と強く感じる場面がほしかったように思います。
オオカミがクマと出会うところでいったん話を止めて、「ここでオオカミはどんな気持ちでどう行動するだろうか?」ということをたくさん言わせるというやり方もあると思います。「どうしてそう思のか?」といったことも聞けるとよいでしょう。自分が意地悪していい気持ちになったとことと関連づけておくと、クマの対応から、親切にすると自分も相手も気持ちがよいことに気づいてくれると思います。ただ、一つ間違えると、「くまさん賢い」「そういう手があったのか」と違う方向に行ってしまう可能性もあります。そんな時は「くまさんに出会う前にこのやり方に気づいたとして、おおかみさんはそのように行動しただろうか?」と切り返すといったことが必要になるでしょう。このあたりは難しいところだとは思います。
「親切にしてよかったなあ」と思ったことを子ども役に言わせます。過去に親切にしてよかったという経験がない子どもにとっては、なかなか厳しい問いかけになります。道徳では、過去のことよりもこれからどのように行動するかを大切にするとよいと思います。親切という言葉ではなく、「人にどんなことをすると気持ちがいいかな?相手も気持ちがいいと思ってくれるかな?」と子どもたちに考えたり言わせたりして終わるというやり方もあるでしょう。
最後に、一人ひとりのよい行動をほめるカードを全員に配って終わります。授業者の人柄を感じることができるとても素敵な授業でした。ただ、こういったことがすべて授業者と子どもたち一人ひとりとの関係を強化することにつながり、相対的に子ども同士のかかわりが弱くなることが気になります。低学年では、教師が中心になって子どもをコントロールすることが必要な場面が多いのですが、子ども同士のかかわりもバランスよく授業に組み込んでほしいと思いました。
検討会は、検討する授業の質が高かったので学びの多いものになったと思います。それと同時に、道徳の難しさも考えさせられました。また、フォーラムでは参加者は見ているだけになりますので、その方々に満足していただけるために検討会をどのように進めるとよいのか、当日使用する授業検討システムの活かし方を含めてコーディネーター役の先生は悩むことになると思います。きっと工夫が感じられるものになると期待しています。
「愛される学校づくり研究会」は、2月のフォーラムに向けての動きが加速しています。詳細は12月に発表できると思います。毎年楽しみにしてくださっている方、もうしばらくお待ちください。