子どもを認める難しさ
- 公開日
- 2010/10/29
- 更新日
- 2010/10/29
仕事
昨日は中学校で採用2年目の先生の、数学の授業アドバイスを行いました。
2年目ですが落ち着いた口調でわかりやすく話すことができます。子どもたちも落ち着いて先生の話を聞いています。なかなかよい雰囲気です。子どもの発言を認めることを意識して「なるほどね」「いいね」と受容する言葉をよく使っています。授業アドバイスをより効果的にするために、事前に教頭先生から指導をされていたようです。ところが、発言した子どもたちの表情はさえません。
グラフにする式を3つの中から選ばせた後の場面です。
「A君、どうしてこの式を選んだの?」
「簡単そうだから」
「簡単な問題を選んだということは悪いことではないよ。簡単な問題から始めて性質を見つけていくことは数学ではよくあることだ。いいよ。では、次の式を選んだ人・・・」
この後、A君の顔はしばらく沈んだままでした。
授業後この場面について聞いたところ、A君の顔が沈んでいたことにちゃんと気づいていました。しかし、A君の発言をフォローしたのにうまくいかなかったのはなぜだかよくわからないようでした。A君から見るとフォローされたということは、自分の発言が期待されたものではなかったということです。「悪くない」という言葉は全面的な肯定ではないのです。
「なるほど、簡単だから選んだんだ。いいよね。同じ理由の人いる」
「いるね。簡単な問題から始めて性質を見つけていくことは数学では大切なことだよね。」
このような対応をすればよかったのです。教師が子どもを認めているつもりでも、期待した答えと違った時には、その気持ちが表現に表れてしまいます。また、期待した答えに近づけようといろいろと説明したりします。この先生の場合、子どもの発言に対して、コメントしてから、「なるほどね」「いいね」と言っていたのです。まず受容する言葉を言って認めないと、条件付きで認められた、フォローされたという気持ちになってしまいます。
授業者自身、子どもたちを認めているつもりなのに表情が暗いことに気づいていました。これは意識して行動しているからです。だからこそ、次の課題が見えてきたのです。意識すればうまくいくわけではありません。しかし、アドバイスを素直に実行する姿勢があれば確実に進歩していきます。次に私が授業を見るときには大きな進歩をしていることと思います。