日記

学校訪問で気づく(長文)

公開日
2012/06/12
更新日
2012/06/12

仕事

昨日は中学校の学校訪問に参加させていただきました。午前中は公開授業、午後は2つの研究授業でした。

午前中の公開授業を通じて前回訪問時に感じた子どもたちの変化(子どもたちの変化を感じた訪問参照)の正体が見えてきたように思いました。今回は公開授業ということもあってか、前回の訪問と比べて多くの授業でグループ活動やペア活動の場面が見られました。子ども同士がかかわり合う場面では、表情もよく、子どもたちのやる気が感じられました。集中力の差はやテンションは、根拠を持って話し合える内容か、子ども自身の課題となっているかによって違っていましたが、総じてとてもよい雰囲気です。子どもたちの人間関係も崩れてはいません。ところがその同じ授業でも全体での追究場面となると大きく変わってくるのです。友だちの発言を聞かない、教師が話しているのに子どもが板書を写している。そんな授業が増えているのです。子どもの活動の結果はとりあえず発表して終わる、一問一答で進むなど、発言をもとに子ども同士がかかわりながら互いの考えが全体に広がっていくような活動がないのです。また、前回の比較から考えると、ふだんの授業でもペアやグループでの活動場面が減る傾向にあるのではないかと想像します。それで、子どもが変化したように感じたのです。しかし実際には子どもが変化したというよりも教師が変化したということなのです。今までと変わらない授業スタイルの先生の教室では、以前と同じかそれ以上によい姿を見せてくれています。こういう先生方は子どもが変わったとは感じないでしょう。自分たちの発言が活かされない、友だちの発言を聞いても意味がない、だからかかわらない、聞かない。子どもたちは単に授業に対して素直に対応しているだけだったのです。

午後の授業研究は、道徳と国語でした。
道徳は、介護の問題から同居するようになった祖父母との軋轢から、主人公の中学生が祖父母に出ていってもらいたいと考えるという資料をもとに、家族について考える2時間授業の後半でした。主人公に賛成か反対かと立場を明確にさせて意見を聞きあい、考えを深める場面の前半を見せていただきました。教師と子どもたち、子ども同士の人間関係がよいことが印象的でした。コの字型の机の配置もあってか、友だちの顔を見て話を聞ける子どもがほとんどです。友だちの意見を聞きながら考えを深めていっていることが感じられました。少し気になったのが、「賛成、反対」という問いのためか、私が見ていたときは客観的、評論家的で、建前で話していたことです。このような問いかけ方では、本音が出にくい傾向があります。「あなたならどうする」と迫る質問の方が、本音が出やすくなるようです。しかし、後半では実際に介護の問題を抱えている子どもの意見をとりあげたりしながら、子どもたちの本音をうまくひきだしたようです。協議会では、子どもに対する接し方、特に介護の問題を抱えている子どもへの気遣いの細やかさが、指摘されました。このあたりも子どもとの人間関係のよさの秘密があるように思いました。
「あなたならどうする」と考えさせ、「そのとき、父母や、祖父母はどう感じ、どうするだろうか」と意見を述べ合う展開だとどのようになっただろうかと、道徳の授業の進め方についていろいろと考えるきっかけをいただきました。

国語の授業は、説明文の構成を考える授業でした。教科書の文章を形式段落でバラバラにして順番を変えた資料から、本論と思われる文を抜き出す。はっきりしない文が本論に入るかどうかを考えるのに、正しい順序に並べ替える。こういう展開でした。私は後半を見たのですが、黒板には本論とは何かは書かれてはいませんでした。以前にやった授業をもとに進めているようなので、そのときには整理されたのでしょう。しかし、この授業ではそのことが根拠となるのですから、明確にしておく必要があります。言葉のはしばしに具体という単語が出てくるので、具体的なことが書かれているというのが定義の一部なのでしょうが、それではわからない文が出た時点で、再度本論とは何かが明確されなければなりません。残念ながら、そこは明確にせずに、正しい順番に並べれば、どこにあるかで(本論の文の間にあれば)わかると一言言っただけで、グループで並べ替える作業に移りました。並べ替えるにしても明確な視点、根拠を子どもたちは持っていません。逆にどの文が序論、本論、結論かグルーピングすることも並べ替えるための一つの方法です。これが明確でないのですから難航するはずです。子どもたちは試行錯誤しながら終始高めのテンションで作業をしていますが、根拠がないので話し合いは成立していませんでした。
このことが、発表の場面に現れました。理由も言ってと発表を促したところ、どのグループも挙手しません。そこで、理由はいいからとすると、ほとんどのグループの手が挙がりました。2グループ発表しましたが、その違いについて全体で考えることはできません。根拠がないのですから。結局、事前に回収してあった教科書で答を確認して、問題の文が本論になると結論づけてこの時間は終わりました。実はこの教科書は紙にくるんで一人ひとりの椅子の裏に貼り付けてありました。このサプライズに子どもたちは大いにわきました。結局、理由については次の時間で扱うようですが、子どもはサプライズと並べ替えが正解かどうかに気をとられ、そのことを意識している様子はありませんでした。
授業検討会では、グループ活動のときの子どもたちのようすが細かく報告されていました。先生方が子どもを見る視点がしっかりしていることを感じました。私がいなかったときに若手の先生から教科書のサプライズを評価する発言があったようです。若手はどうしてもこの種のパフォーマンスにひかれる傾向があります。授業の本質には関係ないそれどころか最後のまとめでなぜこの順番かじっくり考えなければいけないときに、無駄にテンションを上げてしまうマイナスなものです。このために時間を使うのであれば、もっともっと教材研究に力を入れてほしい、そのことをわかってほしいと思いました。

学校訪問終了後、学校の現状について教務主任、校務主任、研修担当と話をさせていただきました。どなたも現状をしっかり認識しておられました。授業を大切にする意識が、研究発表後時間が経って薄れてきているのではないかという危機感を共有することができましたが、問題は今後どうしていくかです。すぐによい答えが見つかるとは思いませんが、知恵を出し合うことで、きっとよい方向にもっていけるでしょう。ここを乗り切ることで、この学校の授業力が継続的に向上する仕組みが見えてくることと思います。私も新たな挑戦として、前向きに取り組んでいきたいと思います。