日記

学校の授業を考える

公開日
2012/07/24
更新日
2012/07/26

独り言

ある学生の方から、学校の授業よりも予備校の授業の方が役に立ったし、教科のおもしろさがよくわかって、受験ということを差し引いてもよかったという話を聞きました。何人かに聞いてみても同じような意見です。私が高校生のころは、予備校は受験のためのテクニック的な話が多く、学校の授業はその教科のおもしろさを伝えようとしていたというように感じていたので、ずいぶん印象が違います。そのことを知り合いの先生に話したところ、予備校の先生は授業(講義?)のことだけに専念できるけれど、今の学校の先生は授業以外の仕事が多い。部活動や校務、生徒指導などで、授業をしている以外の時間のほとんどを使われる。条件が違いすぎる。なるほど、たしかにそうです。この理屈は、学習塾にも当てはまるのかもしれません。

ちょっと違った視点でみると、教科のことに専念したければ予備校の講師や塾の先生の方がよいということにもなります。では、学校の教師は? 私が思うに子どもの成長をトータルで支えることがその魅力なのだと思います。だからこそ、部活動や生徒指導にあれだけ頑張れるのです。しかし、だからといって授業の質が予備校や塾より劣ってもよいということにはなりません。子どもをトータルに見ているからこそできる授業があるはずです。話術やネタのおもしろさで引き付ける、これが試験に出るからと目先のことで引き付ける、それとは違った方向性があるはずです。そこにエネルギーを使わなければ、学校は部活動や友だちと話をする社交場で、勉強は予備校や塾でする。そんな歪んだ図式になってしまいます。では、学校の授業は予備校や塾とどう違うべきなのでしょうか?

それは、子どもたちがかかわり合うということです。一方的に講義を受ける、これが試験に出るからと受け身で覚える。そういうものではなく、互いにかかわり合いながら、高めあう。それは、子どもたちが学校という共同体の中で互いにかかわりながら暮らしていて、彼らを教師がトータルに見ているからこそできることだと思います。部活動や生活指導に頑張っている先生を見ると本当に頭が下がります。しかし、子どもたちのトータルの成長には学習はとても大きな要素を持っています。それこそ、学校が死守しなければいけない最たるもののはずです。時間がないからといって、予備校や塾に明け渡してもいいのでしょうか。同じ土俵で戦う必要はないのです。子どもが自分で考え、伝え合い、学び合う授業を目指せばいいのです。

先日紹介した玉置崇先生の著書(「スペシャリスト直伝! 中学校数学科授業 成功の極意」が届く参照)の冒頭、第1章「玉置流授業づくりの大原則30」の「大原則1 玉置流授業の定義」にこう書かれています。

「講義」…その時間で一番大切なことを教師が言うのが講義
「授業」…その時間で一番大切なことを生徒が言うのが授業

そして、

授業とは、その時間で一番大切なことを、学ばなくてはいけないことを、
・生徒自ら気付き、発する
・生徒が教師の指導により気付かされ、発する
・生徒と仲間との学び合いにより気付き、発する

まさにここを目指してほしいのです。

夏休みは、部活動に専念できると頑張っておられる方も多いと思います。ちょっと、立ち止まって2学期以降の授業に思いを馳せてください。先ほどの定義にあったような授業はどのようにすればできるのだろう、どのような発問をすればいいのだろう、どのように受け応えればいいだろう。そんなことを考えてみてほしいと思います。イメージできなければ、本を読んだり、同僚と話し合ってみてください。多少は余裕のある夏休み(予備校や塾は稼ぎ時?)だからこそ、是非授業のことを考えてほしいと思います。