日記

中学校の授業研究でアドバイス

公開日
2012/10/05
更新日
2012/10/05

仕事

昨日は中学校で、数学の授業研究のアドバイスをしてきました。今回は、若手の先生3人に子どもたちのようすから何がわかるかを解説しながら授業を見学しました。

TTでおこなわれた、1年生の1元1次方程式の活用の最初の時間でした。T1は以前と比べてずいぶん柔らかい雰囲気をつくることができるようになっていました。そのせいか、子どもたちは授業者ととてもよい関係で、実に素直に自分たちの気持ちを態度で表現していました。おかげで、子どもたちの動きから授業の課題が明確になってきます。学ぶことの多い授業でした。

最初に小テストで方程式の解き方を確認します。すぐに全員が集中していたのですが、できた子どもたちは、何もすることがないので集中を切らしていました。落ち着いていてじっと待っていますが、何かを考えているわけではありません。手遊びを始めている子もいます。テスト形式にこだわると、このような弊害があります。そのデメリットを越えるメリットがないのであれば、テスト形式にこだわらず、まわりと相談したり確認し合ったりを許す、練習問題形式の方がよいように思います。
答え合わせは、式の変形の1行ごとを子どもに言わせるのですが、残念ながら子どもたちは発表者の方を見ません。子どもたちの関係はできているのですが、発表をすぐに授業者が板書するので、そちらの方がわかりやすいからです。また、変形の結果だけを問われているので、友だちの言葉を聞く必然性もあまりありません。子どもたちは自分にとって聞く価値のあるものしか聞かないのです。なぜ先にカッコを外すのか、なぜ同類項をまとめるかといった、一つひとつの手順の意味、価値を問うといったことをしなければ、教師の板書を写せば済むのです。逆に手順の確認だけであれば。早いテンポで進めないと、考える必要の無いところで無意味に時間が消費されます。

最初の課題は、3か所穴のあいたレシートから、買った商品の単価を求めるというものでした。教科書の例題は同様のレシートから、問題を文章化してそれを解くというものです。この例題の前にまずこの課題に挑戦するという流れです。
子どもたちは、黒板に貼られたレシートを見て大いに興味を持ちます。集中力が上がりました。授業者が黒板にリンゴ1個の値段を求めようと書くと、全員が集中して写していました。課題は写すというルールがある意味徹底しているのでしょう。

「こういう問題を解くときに最初に何をする」という問いかけで「図を書く」を子どもから引き出しました。先ず図を書いて問題把握をするということです。ここで図を授業者が書きました。今度は子どもたちの動きはバラバラでした。授業者が書くリンゴの絵を1つずつ写す生徒、じっと図を見ながら切りのいいところで写す生徒、写さずにじっと図を見ている生徒、実に様々です。
この場面は図を写すことにはあまり意味はありません。そもそも図を書くことが最初の一手であれば、自分で書けなければ問題を解くことができないわけです。であれば、自分で図が書けることの方が大切になります。この場面の扱いはもう少し変わったものになるはずです。
教科書の例題がレシートと文章から構成されていることの意味をもう少し考えるべきだったのかもしれません。レシートは実は表構造になっています。教科書は文章と表を行き来することで問題を把握したり、その構造を理解させたりすることを意識しています。この文章題を解くには図よりもレシートの方が整理されていてわかりやすかったはずです。レシートだけで問題を考えるのであれば、あえて図に頼らない方がよかったのです。また、穴が3つあるのに単価をだけを問うことは唐突です。「3つの穴をどうやって埋めよう」とレシートから何がわかるかを考えさせた方が課題としては自然だったように思います。

子どもたちに、ペアで解き方を考えさせたとき、うまくかかわれているペアと2人ともお手上げで話し合えないペアに分かれました。さっさと解決したペアは手持ちぶさたです。ペア活動は逃げられない関係です。ペアにこだわる必然がないのであれば、まわりと相談させた方が、活動が停滞しにくくなります。

子どもたちの考えを発表させていく中で突然xを使った方程式が出てきました。塾等で予習している子どもは、前の発言と関係なしにいきなり本命の方程式を発表してしまう可能性があります。授業者としては前の発言につないでくれると思っていたのですが予想外だったようです。ここで、方程式の「6xがわかる人」と聞いてしまいました。ここで「わかる」と聞いてしまったので、「わからなければいけない」「わからないとダメ」という負の感情が起きてしまいます。突然で理解出なかった子どもは、ここから心理的についていけなくなります。一方、わかっている子にとってはもう聞く必要のないことです。うまく子ども同士をつなぐことができなくなって、テンポが悪くなってしまいました。「わかった人」ではなく「困っている人」と問いかけ、「困っている人」を「わかった人」が助けるようにして進めていくとつながっていったと思います。

授業者は予定した次の例題にいくことをあきらめ、立式の説明が終わった後、少し時間をかけて方程式を解かせました。今回の授業は立式できることがねらいなので、方程式を解くことはいったん止めるか、全体ですぐに解いて、次の例題に移るという判断もあったと思います。

授業検討会は、司会者がどうすればより学びの多いものになるか色々と試行錯誤していることがよくわかりました。各グループの発表をつなげる工夫から、ふだんの授業でもうまく子どもをつないでいることが伝わってきます。
今回、授業が予定した流れの通りに進まなかったこともあり、先生方の話し合いは、教材部分にかなり深入りしていました。そんな中でも、子どもたちが集中した場面とその理由は何か、子どもたちに聞くのか板書を写すのかどちらを求めるのか、ペア活動でかかわれなかった子どもたちにどういう支援をすればよかったのか、全体での場では自分たちの言葉ではなく、教科書の記述のようなかたい言葉で話そうとするためなかなか気軽に話せないといった、子どもの動きに関することがたくさんでてきたことは、日ごろの授業で子どもを大切にしていることの現れです。先生方のレベルの高さがうかがえます。

子どもたちに「わかった」と聞かないこと、「困ったこと」を聞いて困り感を共有することが安心して話せる授業につながるなど、時間の中でできるだけアドバイスさせていただきました。

授業後、授業者2人と話をさせていただきました。私が指摘するまでもなくT1の授業者はこの授業の課題に気づいていました。しっかり成長しています。ただ、うまく対応できずに修正できなかったのです。これからは受けの技術を磨いていく必要があります。そのためには、子どもの視点で教材や発問を見るということが大切です。子どもはどこでつまずくだろうか、何が壁になるだろうか、発問に対してどのようなことを考えるだろうか。こういったことを事前にしっかり考えることが教師の引き出しを増やし、受けの技術につながっていくのです。また、教科書の記述の意味をしっかりと考えておくことも大切です。もう一度教科の内容をしっかり勉強し直す時であることも伝えました。
もう一つ伝えたのが、できる子どもが退屈しだしていることの危険性です。学級を崩すのは、大抵はこういう子どもたちです。今は人間関係がよいので大きな心配はありませんが、一つ崩れだすと一気に崩壊する危険性もあります。より高い課題に挑戦し、できる子どもと困っている子どもをつなぎながら、一人ひとりが進歩していくような授業を目指してほしいとお話しました。
何年にもわたってつきあってきた先生です。着実に進歩していることをとてもうれしく思いました。これからの課題は、時間をかけてクリアしていくものです。休まずに一歩ずつ前進してほしいと思います。

研修を担当している教務主任が、先生方のよりよい学びを常に目指していることが色々な場面で伝わってきます。自分のなすべきことを常に意識しているその姿は、他の先生方にきっとよい影響を与えてくれることと思います。この日も本当に学びの多い1日でした。先生方に感謝です。