日記

教師の説明は「無批判」で受け入れられる

公開日
2012/10/30
更新日
2012/10/30

授業ワンポイントアドバイス

友だちがせっかくよい意見を発表しているのに、教師の方を向いたままの子どもの姿をよく見かけます。こういう学級の多くは、子どもの発言の後、教師が正解・不正解を判断したり、子どもの発表をわかりやすく説明し直したりしています。子どもからすれば、不正解であれば聞いても無駄です。正解であれば教師が必ずもう一度わかりやすく説明するのですから、不十分な友だちの発言はやはり聞く必要はありません。教師がどのように判断するか、どういう説明をするか、それをしっかり見定めることの方が大切になります。自分が発表して教師に評価してもらうことに意味があって、友だちの発言を聞く意味はないのです。とはいえ、教師の話をきちんと聞くのであれば正しい知識は身につくからよいのでは、という考えもあります。どのように考えればよいのでしょうか。

教師の説明を中心に授業を進めることの問題は、教師の説明は「無批判」で受け入れられことです。子どもたちは、「教師は正しことを言う、だから教師の説明を理解すればいい」、そう考えているからです。同じことを話しても、友だちの言葉は正しいかどうかわかりません。無批判では受け入れません。ここが大切なのです。正しいかどうかの判断を教師がすれば、子どもたちはその判断を放棄してしまいす。考えなくなってしまうのです。このことが、将来にわたってどれほどマイナスになるか容易に想像がつくと思います。情報からその内容が正しいかどうか、自分にとってプラスになるのかといったことを判断する力がなければ社会に出た時に困ってしまいます。考える力、判断力をつけるために、教師ができるだけ説明しない、正解・不正解を判断しないことが大切になるのです。子どもの言葉で授業をつくることが大切である理由の一つです。

子どもが友だちの話を聞く必然をつくる(友だちの発言を聞く意欲を高める参照)。わからない子どもに寄り添って授業を進める(子どもの言葉で授業をつくるときに注意したいこと参照)。こういうことを大切にする必要があります。また、わざと間違えたりして、「教師が必ずしも正しいことを言うとは限らない」と子どもを揺さぶることも有効です。大切なこと、押さえたいことは、教師ではなく子どもが言う授業が理想です。子どもたちが結論や正解を効率よく学習しようとするのではなく、自分たちで間違いを修正し、足りないところを補いながら結論にたどり着く。そんな、過程を大切にした、子どもたちが考える授業を目指してほしいと思います。