中学校で授業アドバイス
- 公開日
- 2014/05/22
- 更新日
- 2014/05/22
仕事
昨日は中学校で授業アドバイスをおこなってきました。中間考査が終わって試験返しも終わったところでした。
3年生は4月からの頑張りの疲れが出たのか、集中力を失くした子どもをちらほらと見かけました。そのような子どもがすぐに見つかるのは、他の子どもの姿勢がそろっているからです。全体としてはよく集中できているということです。現在教育相談中ですから、担任から気になる子どもに対して適切な対応を取っていただけることだと思います。修学旅行が近づいています。修学旅行で気持ちをリフレッシュさせるとともに、よい人間関係を構築して苦しい子どもを支え合う雰囲気を作っていただけたらと思います。
1年生は、4月の様子と大きく違っていました。以前は、子どもたちの様子がバラバラに感じられたのが、良くも悪くも一つの集団という感じになってきました。多くの先生が授業規律を意識したことがわかります。気になるのが、子どもたちから答を求める姿勢を強く感じることです。例えば、友だちの発言をあまり聞こうとはしませんが、正解とわかった後の教師の説明は集中します。教師の言葉を聞くことより板書を写すことを優先します。どうやら中学校で初めての定期考査でそれなりのショックを受けたようです。子どもたちが、試験で点数をとることにつながるような行動をとっているのです。しかし、子どもたちが変わろうとしていること自体はよいことです。この機会に再度学習の仕方や授業規律をきちんと伝えることができれば、子どもたちはよい方向に大きく変わっていくと思います。目先の点数ではなく、学びを求めるようになってほしいと思います。
1年生の社会科で国や国名について学習する場面を見ました。グループに1つの地球儀で国の形からその国を探し、手元の地図で確認します。子どもたちはすぐに見つけますが、活動はそれで終わってしまいます。どこにあるか発表してもらいますが、挙手をするのは1/3です。指名された子どもが掛図で位置を示すと、いいですと声がたくさん上がります。どのグループも見つけているのですから、この確認作業に意味はあまりありません。子どもたちもここで発表することにあまり意味を感じていないから、多くの子どもがわかっていても挙手をしないのです。この一連の活動は単なる作業で、社会科としての学びが何かが考えられていません。地球儀とメルカトル図法の掛図では手に入る情報は違います。国の位置を言葉で説明するといった課題にするだけで、地球儀とメルカトル図法の違いが見えてきます。日本を基準にして位置を示す課題にするだけでも、方位の問題(特に東西)を考えることができます。
国名の由来について問いかけましたが、これは知識です。知っている子どもしか答えられません。想像するにしてもそのための基本となる知識を全体で共有しなければ、考えることはできません。知識を与えてから考えさせる発想が必要になります。時間の関係がありますから何とも言えませんが、いくつかの国名の由来を知識として与えた後、人名、川の名前などの地理的なものというように分類して、そういったものが国名の由来とになる背景を考えるといった活動も考えられます。国の成り立ちや人々の生活とかかわりの深い物に目を向け、暮らしや文化を考えるきっかけになると思います。
子どもの顔が上がるまで話を始めないというように、授業規律も意識しています。しかし、場面の転換で作業が止まる時にはできていても、展開している時には意識ができていませんでした。板書をして説明に戻っても手が止まらない子どもがいます。写すのを止めて顔を上げさせる必要があるのですが、その余裕がありません。ここで注意を促さなければこういう場面では顔を上げなくてもいいと思うようになります。授業規律を意識した指示をしているから、逆に指示をしないとその場合はいいという間違った授業規律ができてしまうのです。徹底することを意識してほしいと思います。
2年生の数学の授業は、子どもたちが非常によく集中していました。教師の話をよく聞いてくれます。こういう状態をつくれれば、中身の勝負ができます。等式を変形してある文字について解く場面でした。授業者は、この時間で大切なことが何かを明確に意識して授業を進めていませんでした。男子と女子合わせて何人という関係を文字で表し、移項して男子について解きます。ここで何が既習事項であり、何が新出事項なのか明確になっていません。「文字が2つである」「yに値を入れれば1元1次方程式になる」といったことを確認して、既習事項の方程式との関係を整理する。「文字が2つの方程式と考えることもできるね」と次の連立方程式への布石を打って、「xを求めることはできるか」といった問いかけをし、「解くためにはどうするか」と1元1次方程式の解法の復習をする。yを求めることもできることを確認して、それぞれ「xについて」「yについて」「解いたんだね」とここで新しい考え方を定義する。こういったポイントを押さえてほしかったのです。
子どもたちは、結局今日は何を学習したのかよくわからないまま、指示されたことをこなしていくだけでした。
授業者は子どもたちに問いかけますが、期待する答が出てくると「そうだね」とすぐに取り上げ、説明を始めてしまいます。大切な発言であれば、「今○○さんが言ってくれたこと聞けた」「聞けなかった人がいるね。○○さんもう一度聞かせてくれるかな」「どういうことかわかった」と全体で共有する時間を取る必要があります。自分の中で授業のポイントが整理できていないため、どこを大切にするか、どこは流すかが明確になっていないので、軽重がないのです。その結果、テンポの悪い授業になってしまいました。板書も過程とポイントとなることが書かれていないので、振り返ってみても、何をやろうとしているのかがわからないものでした。
また、この日の授業でポイントとなることが理解できているかどうかの確認方法も明確ではありません。「今日習った新しい言葉は何?」「それってどういうこと」とストレートに聞いてもいいでしょう。「この等式をxについて解いてみて、yについて解けるかな」と問題を解かしてもいいでしょう。方法はともかく確認を意識してほしいと思いました。
授業者は自分で教材研究が足りないことをよく自覚していました。子どもたちがしっかり聞こうとしてくれるから子どもたちに申し訳ないと思っています。だから教科の力をつけなければと真剣に考えています。この姿勢であれば、確実に力をつけてくれると思います。教材研究の視点を含めて、これから一緒に学ぶ機会をつくっていくつもりです。
学校訪問での社会科と数学の指定授業の指導案の検討会に参加しました。
どちらの教科も授業者を他のメンバーが支えて一緒につくり上げていることがよくわかるものでした。授業の流れはよく考えられていました。しかし、子どもがどう活動するのか、活動させるためにどのような課題、発問にするのかがシャープになっていません。同じような課題でも、ちょっとした提示の差や切り返し、発問の仕方で子どもの動きが大きく変わってきます。指導案に表れないかもしれませんが、そういうところをどう考えている、準備しているかが大切です。授業者に質問をしながら、そう言ったことを考えていただきました。勤務時間終了後の遅い時間にもかかわらず、どちらの教科もたくさんの方が参加してくださいました。同僚性を感じます。教科の代表の授業という意識を感じました。この後も教科でブラッシュアップしてくれることと思います。実際の授業どのようになるかとても楽しみです。
この日も大変充実した時間を過ごすことができました。先生方の授業、子どもたちの様子からたくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。