養護教諭の授業から「思いが伝わる授業」という視点に気づく
- 公開日
- 2014/11/29
- 更新日
- 2014/11/29
仕事
市の養護教諭の研修会の授業研究でアドバイスを行いました。養護教諭の授業力向上のための研修です。
授業は1年生のストレスの学習です。保健・体育の教師がT2として参加しています。
授業者を縛っていたのが、保健には試験があることでした。試験に出る言葉の説明や定義を押さえておかなければいけないという意識があるため、目指すものと活動にずれが生じていたのです。例えば、ストレスに積極的に対処できることを最終ゴールにして、どのような活動をして何を考えさせればいいのかだけを考えると授業がすっきりしたのです。教科書に縛られず、養護教諭だからこそ伝えたいことを中心にして、そのことを説明するのではなく、子どもたちに考えさせ気づかせたいところでした。
どんな時にストレスを感じるかということを子どもたちに聞きます。「テストの時」といった言葉が出てきます。この後、ストレスとストレッサーの定義をして、ストレスには適度なストレスと過度なストレスがあること、ストレスによる心と体への影響について授業者が主体となって説明します。その上で、ストレスがあるとどうなるかを子どもたちに聞き、授業者がそれを心と体のどちらかに分類していきます。確かに教科書的な「ストレスとは、・・・心と体に負担がかかった状態」といった定義を知識として教えることから出発してもよいことなのですが、子どもたちがストレスを感じると言えるのですから、そこを起点として子どもたちに考えさせてもよかったでしょう。具体的には、「ストレスがかかっているってどうしてわかるの?」といった質問をすることで、ストレスによる心身の影響を子どもたちに気づかせることができます。「ストレスがなければいいよね。試験がなければ最高だね」とゆさぶって、適度なストレスの必要性に気づかせることもできると思います。ストレスへの対処を自分の身近な問題とするためには、教師から情報を与えるのではなく、子どもの体験から出発させることが大切です。その上で、定義を押さえればいいのです。
用語の説明を写させますが、そのねらいは何でしょう。大切だからとノートに写しても、覚えるのは試験前でしょう。教科書に線を引くことと変わりありません。覚えさせたければ、できるだけ教科書や黒板を見ずに写させるという方法もありますが、ここにあまり時間を使うのは意味があることには思えません。定義を知ったからといって、ストレスに対応できるようになるわけではないのです。
子どもたちにストレスへの対処法を考えさせるために事例が用意してありました。
同じ学級のAさんとBさんは仲のよい友だちです。Bさんに同じ学級で部活動が同じCさんという友だちができ、3人で行動するようになりました。Aさんは、BさんとCさんの部活動の話についていけなかったりします。Bさんが自分から離れていくのではないかと不安になりました。Cさんをじゃまに思ってしまう自分が嫌で仕方なくなり、腹痛などの体調不良が出てきました。
このような事例で、「ストレッサーは何?」問いかけたところ、すぐに「Cさん」という声が上がりました。授業者は思わず「そうだね」と答えて、そのまま、Aさんだったらどのように行動すればよいかを考えさせました。授業者としては、Cさんと仲よくするBさん、Cさんをじゃまに思う自分の気持ちなど、他のストレッサーも想定していたようでしたが、とっさのことで上手く広げることができなかったようです。
自分の考えを持たせてから、グループで話し合わせます。ここで、1つに絞るように指示します。1つに絞ることでよい考えが消えてしまう可能性が高くなります。ストレッサーをCさんとしたため、子どもたちの発表は、「Cさんのよいところを見つける」といったCさんとの関係をどうするかがほとんどでした。話を聞いてもらうといった、別の視点の対処もあったのですが、埋もれてしまいました。
こういう場合、グループでは友だちの考えでなるほどと思ったもの書き加えさせ、個人で一番納得したものを発表させるとよいでしょう。似た意見、ちょっと違うよという意見をつなぎながら焦点化したいところです。
子どもたちの発表を授業者がいいねと認めていくのですが、すぐに拍手をさせます。子どもたちは、拍手をすることでその意見を無批判で受け入れてしまい、考えを深めることをしなくなります。「どう、これでストレスは解消される?」といったゆさぶりが必要です。
発表が終わったあと、自分にストレスがたまったらどうするかという対処法を考えて発表させます。ストレッサーが具体的でないので、どうしても「素振りをする」「大きな声を出す」といった、気分転換、逃避的なものになってしまいます。試験のようにストレッサーが時間の経過で消えるものはいいのですが、乗り越えない限り逃れられないものはこういった対処ではなかなかうまくいきません。逆に言えば、こうすればうまく対処できるという万能の方法はないのです。その中で、解決に向かう可能性の高い方法の1つが「相談する」です。誰かに寄り添ってもらうことでストレスの負担が減ることが多いのです。授業者はこのことを子どもたちに話しました。しかし、教師からの説明なので子どもたちはあまり実感が持てなかったように見えました。子どもたちから言葉を引き出し、深めたかったところです。「いい対処法が見つからなかったからどうする?」「素振りをしてすっきりしても、すぐまたストレスがたまらない?」といったゆさぶりをすることで、「相談する」といった他の視点を引き出すことができたと思います。
授業後は時間の関係で検討会をせずに、私の解説が中心でした。場面ごとに授業技術と授業構成の両面から話しましたが、日ごろ授業をする機会の少ない方たちからすると、個々の要求度が高いように感じられたようです。いつも前向きに参加してくださる方たちなので、できるだけ参考になる情報を提供しようとしたのですが、参加者の声をもっと拾いながら、疑問に答える形にすべきだったのでしょう。養護教諭の方々は、日ごろから子どもたちの心と体の問題に直面されているので、伝えたい思いがたくさんあります。どのようにすればそれが伝わるのか、その視点で授業を解説することが必要だったと思います。授業者が私の話を前向きに受け止めてくれたことが救いでした。
毎日授業をしている一般の教諭でも授業力向上はそれほど簡単ではありません。養護教諭ではなおさらです。上手い授業ではなく、思いが伝わる授業という視点も必要であることにあらためて気づかせていただきました。よい機会をいただいたことに感謝です。