記事

創造の理

公開日
2023/08/08
更新日
2023/08/08

船井幸雄の人間学

船井氏は続ける。「このよくなるようにする力が創造力であります。しかも、よくなるように使う創造力はつきを呼ぶ、健康になる、幸福になるというルールをつくりました。逆に世の中が悪くなるように創造力を使うとつきが落ちる、病気になる、不幸になるというようなルールもつくられたようです。しかも、人間に対してあなたはつきがあるとかないとかがすぐに分かるように、人間の様相として人相にでるようにしたのです」
 このように考えてくると、船井氏は、人間の使命を「創造力を活かして、つぎつぎと良いものをつくり、世のため、人のために貢献するように生まれてきた」と定義しているわけである。
 この創造の理についてもう少し私なりの解釈をする。創造主がいるかどうかは別にして、私は、この創造の理について賛成である。人間の歴史は何かの物をつくり出してきた歴史であったといってもよいのではないかと思う。そのとき、人間が体にまとう物が必要だと思うから衣服ができてきたし、海の上を移動できればいいなという思いは船を誕生させた。 月に行きたいという思いがあったからこそアポロ計画が成功したわけである。テレビ、携帯電話、自動車など自然以外の人工物はみな人間の思いの産物といえる。
 私自身のことで振り返ってみても、大学を卒業する時に大学院にいけたらいいなという思いは29歳で実現した。また、前任校に赴任した時に一冊でもいいから本を出版したいと思ったら四年目に出版できた。いつか算数の教科書を執筆したいと願っていたらこれも実現した。また、雑誌の編集を手がけてみたいなあと思っていると、これも実現した。それらは、無理矢理自分から獲得したというものではなくて、ごくごく自然のお導きで実現した。不思議なことである。考えてみれば神戸にいたときには実現不可能なことであった。
 さて、創造主の存在については、宗教では当然のことである。科学者で創造主の存在を公言する人もいる。例えば、エレキギターや自動炊飯器を発明した工学博士の政木和三氏も神様の存在を主張している。また、岡崎国立共同研究所の東晃史氏も「もはや、神仏を信じるか信じないか?という設問は、科学的に愚かであることを知るべきであろう。意識は、神々の序列によって動く生き物であり、意識が地球を変えているのである。…無神論者の良識では地球環境は守れない、ということを指摘しておこう」と述べている。