長く続かない
- 公開日
- 2023/08/18
- 更新日
- 2023/08/18
船井幸雄の人間学
単純の反対は複雑である。教育の授業論で複雑化していくものはにせものである。例えばヒントカードがその典型である。子どもが分かるためには支援しなければならない。子どもの思考は多様である。だから個に応じるためにはヒントは個別にカードとしてあげなければならない。となると、複雑化の典型となるのだ。以前、このヒントカードの授業を見たが、教師は自力解決の間にヒントカードをあげるのに四苦八苦しておりしかもそれぞれに対処できていなかった。私は、ヒントカードをあげるひまがあったらなぜその子どもに語りかけないかと思う。「なぜ、こんな式になったの。」と聞けばいいのである。そうすると子どもは自分の考えを表現する。教師はそれに対して処方箋が浮かぶのだ。上の場合ヒントカードと発問とどちらが単純で万能でローコストかお分かりだろう。第一、ヒントカードを毎日持って算数の授業ができるかという根源的な疑問が私にはある。教育は積み重ねであるから、毎日教師が続けられないとしたら、これは子どもにとって不義理となる。また、結局根づかないものとなる。ヒントカードが必要な子どもというのは遅れている子どもであるが、その子どもには紙よりもむしろ教師の助言の方が効き目があるからである。人間が人間を変える影響力を持っているのである。ヒントの紙は人間よりも影響力が小さいのである。このことを、ある県の研究会で述べたあと、ある先生から「私の学校では、
ヒントカードでやっていましたが、やめました。」と言われた。私の主張の通りだと言われた。複雑で長続きしない方法は結局だめになるということである。
ただし、ヒントカードの役割を全面否定はしない。指導前に子どものつまずきの予想するためにヒントを予想することは大切であるし、また、問題を解くかぎとなる図をヒントカードとして用意することは必要なこともある。だから、要は程度の問題である。簡単な発問で済むのにもかかわらずヒントカードが絶対有効であるという主張は変だなと思うわけである。○付け法、復唱法、音読計算などはとても簡単で効果がある方法である。そして、それらは、持続可能であり、ローコストであるので本物の技法である。
現場の先生がたよりにするのは何かというと「教科書」である。教科書は上の本物の条件に見事にあてはまっているのだ。恐ろしいぐらいである。手軽で、ローコスト、ハイクオリティである。だから教科書をもとにして援業をするのはあながち思いとは言えない。もし、教科書を離れて授業をするには、上の本物の条件を満たすことを考えながら工夫すべきなのだ。