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算数科での「話し合い」とは

公開日
2022/04/01
更新日
2022/04/01

算数・数学授業:志水メソッド総括 ○付け法、意味付け復唱法、音声計算、適用問題定着法など

9/24 今日のひとこと

メール通信「夢現大」第301号に小西祥二さんの編集後記に、次のような文章があった。

<研修後,ある職員から「(算数で)“話し合う”というのは,思っていた“話し合う”のと違いませんか。別の言葉で言った方がよくないですか。」と言われました。
 話し合いというと,「Aがよいか,Bがよいか。」について根拠を明らかにして考えを明らかにしていくという印象が強いようです。
 算数数学の授業では,「Aの考え,Bの考え知り,それに共通するCを見いだす。」
といった“話し合い”となります。表面的に対立形式になっていても,そこには創造的な学びがあります。
 算数が苦手な教員にとっては,“話し合い”という言葉で言われても,同じようには組み立てられないと言っていました。>

「話し合う」という言葉の定義・イメージが異なっていました。
「Aがよいか、Bがよいか」というような二者択一的な発想では、どちらかが生き残ることになります。これでは、考え方を捨てられた子どもたちは、いやになってしまいます。これが、「愛」の足りない授業だと私は書きました。
まずは、AにもBにもそれぞれのよさがあります。これを認め合うことから始まります。その上で「より便利、より簡単」ということはあります。

次に、Aが正答で、Bが誤答の場合の比較です。これははじめから勝負が決まっています。わざわざ敗者特定のための授業をなぜするのでしょうか。これも「愛」の足りない授業だと言えます。特に、誤答の子どもが少人数の場合は、できなかったことへの心の傷をさらに、えぐることになります。

では、多くの子どもが誤答をしていた場合は、取り上げないでよいのでしょうか。これもまた、違います。取り上げる必要があります。なぜ、誤答への考え方をしたのかを明確にすることなのです。
逆思考の問題で、かけ算なのにわり算になってしまう問題がありました。このとき、はじめに思ったことを出し合いました。すると、8人の子どもが勢いよく手を挙げたのです。つまり、思考が「ずれ」ていたことを表現したのです。そして、この「ずれ」について指導しました。まず、「ずれ」たことへの共感があります。すると、わかってくれました。
正答・誤答の二者択一式ですと、誤答に対してははじめから否定があるのです。

私は、正答・誤答の二者択一式の授業からの脱却こそが、算数を好きにさせることになると考えています。○つけ法は、このための手だてでもあるのです。
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