9月6日(土)13:30より第6回9月セミナーを開催しました。
- 公開日
- 2025/09/13
- 更新日
- 2025/09/13
社会連携
9月6日(土)13:30~15:30に、201教室において実施しました。
コーディネーターとして、東海学園大学の埜嵜志保先生を迎え、刈谷市立朝日中学校 伊倉 剛先生の社会科の授業を通して「問題解決学習の実践から考える主体的な学び」をテーマに学び合いました。
今回は、13名の申し込みをいただき、講師を含め15名の方により学び合いを深めました。
セミナースケジュール
◇前半 提案授業・本日の学びについて
1.社会「ふるさとに生きる」実践の概要の説明:伊倉先生
2.本時の展開(分節)の説明:埜嵜先生
3.授業記録の読み合い
意見交流
休 憩 ・ 歓 談
◇後半 リフレクション
1. ビデオ視聴
2. 授業者・コーディネーターより
◇提案授業・本日の学びについて
1.社会「ふるさとに生きる」実践の概要の説明:伊倉先生
2018年愛知教育大学附属岡崎中学校2年生「ふるさとに生きる」という実践です。
単元構想をご覧いただくと1学期の実践です。7年前の実践で、一番やりたいようにさせてもらった授業です。震災から7年目となる2018年の4月に全村避難が解除になり、帰宅したのが村民の7%でした。学校も再開されました。そろそろ授業として扱ってもよいのではないかと思い行いました。
私は、福島県・飯舘村の小学校を訪ねました。すると、村の雰囲気は意外にも明るいことに驚きました。前向きに震災と対峙している福島の方々のことを、ぜひ生徒にも知ってもらいたいと思い、実践を始めました。
2.本時の展開(分節)の説明:埜嵜先生
本時は11/15時の展開
テーマ:福島の安心は取り戻せるのか
・発言総数:117(追究まとめにもとづく意見交流、スカイプをつかった飯舘村中学生との交流)
・時間はかかるが取り戻せる/観光業やPRをがんばれば/安全は数値に現れている/そんな簡単じゃない
・安全と安心
・発言記録の分節の概要について説明
3.授業記録の読み合い(15分)
テーブルにおいて意見交流(10分)
◇意見交流
1.全体で学びを共有する
< ◎コーディネーター埜嵜先生 〇授業者:伊倉先生 ●参加者 >
◎ テーブルでの聴き合いから学ばれたことをお話ください。
● 安全と安心は違う。安心を取り戻すには数値が大事と言っているが、本当に住めるのかというと、明言している人は少ない。安心に至るには、安全以外の要素もある。
桜:鋭い指摘。しかし、「どうしたらいいか」という小百合からの指摘に「時間の問題」になってしまった。考え方の変化が子ども同士の話し合いで起きたのか?
● 根拠や数値を述べながら意見を出している。安心と安全の違いを認識している。
49さゆりに対する50桜:揺れている。
43・45大地:悩んでいる。最後どうなったのか?
● 43・45大地:これ以前は『「安全である」福島の外の人は「安心できていない」』という議論。この発言では、『「安全」の次元でも「安心」でもない』。未来の可能性も含めて自分ごととして切実にとらえている。事態の受け止め方が重い。でも、99で「気持ち」を聞いている。
● 一人ひとりの発言が多い。自分の意見が言える。でも伝えて終わりじゃない。繋がっている。人の話が聴けている。
安全は数字で証明されるが安心はちがう。時間がたてば、というが、スケールがちがう。5~10年もいれば100年、一生もある。同じ「数字」でも伝えることがちがう。
桜:33は突き放した言い方?自分なりの解決策を提案したいが、それができない憤り?「病院」みんなと同じであることが大事。「自分にとっての安心」➡「福島の人にとっての安心」。我々がどう思うか、ではなく、住んでいる人がどう思うか。
- 休 憩 -
◇後半 リフレクション
1.ビデオ視聴①
(33桜:どんな様子で発言するのか?)の視聴
伊倉先生から解説
桜の考え方を揺さぶりたいと思って単元構成をしました。桜にとっての新しい見方・考え方をもってもらうために考えたことです。最初に申し上げた。福島を訪れた折に感じた「いい意味での違和感」について考えさせたかった。
桜の発言の言い方は、想定外でした。こんなに本気で素直に発言するとは、今までのどの授業においてもない姿でした。期待以上でした。39で桜は発言しています。「福島のお米は放射能がどうたらこうたらという意見も出ていた。その状態が、日本国民全員にあるから。」という発言の背景には、桜の母親が、自宅で食べるお米に福島産を選んでいないという現実への直視があり、語気の憤りにつながっていると感じます。
私は、子どもと教材の距離を縮めたいと考えています。子どもが切実感をもって主体的に追究するために大事にしています。この授業では、新たな一手としてスカイプによる福島の子どもたちとの交流授業をしました。桜の授業後の振り返りを紹介します。
ふり返り「福島は安心を取り戻せるのか?」
1時間以上かけて通学することを強いられたり、病院や商店などの事業所が再開していなかったりするなど、とても安心を取り戻せたとは言えない。何の罪もないのにマイナスになっているのはおかしい。それなのに、飯舘中の子たちは、そんなことを少しも感じさせず、いつも笑顔で前向きに過ごしている。福島の安全は数値でも示されているし、福島は、本当に安全なのではないか。問題はやはり風評だ。私たちが今感じていることを広く伝えられれば、福島は安心を取り戻せる。安心を取り戻せるか、戻せないかではなく、何としても取り戻さなければならない。
これを読んで、私としては授業で自分がねらった思いにはまりすぎでいるなと感じながら読みました。
ビデオ視聴②
(スカイプによる交流授業の様子:99大地:今の気持ちとか、どうでしょうか?)の視聴
2.授業者・コーディネーターより
埜嵜先生から
① 桜さんの葛藤(発言回数8)
第3分節の33・39の発言から「福島のお米は放射能がどうたらこうたらという意見も結構出てたの。その状態が、日本国民全員にあるから。」の発言には、教室での対話から出たようにそれがあると示しているが、やはり母親の存在が大きいのではないか。身近なお母さんがそうであるように、日本国民にもある。言い換えると、他の人が変わっているのであれば、お母さんも変わっているはず。日本国民の在り方の典型を身近なところから感じ取っているからこそ出てきた発言だったと思います。この発言は、すでに行われていること(観光業に力を入れる、特産物のPRをする、数値上の安全性を訴える、など)の強化では問題は解決されない、新しい何かをしなければ、という想いの現れと考えられます。
第5分節50の発言は、自分たちの生きている間にはどうしようもないという、諦めと取れる。しかし、時間が解決する、とも言い切れない(言いたくない)。
第8分節174の発言からは、生活者にとっての当り前の「安心」が保障されているかという視点が見える。問題の切実感の再認識が現れている。
② 本実践に見る教室空間の意義と生徒の主体性
・実証の認識を深める
-事実を持ち寄り共有する
・解決策を構想する
-アイディアを出し合い吟味する
・当事者と出会う
-実際の声を聞き取り再考する
・見えにくい実社会のリアルを追求する場
-現実のリアルを教室に持ち込むために加工する。だからこそ追究しやすくなる面もある。しかしこの実践は、教室で当事者(飯舘中学校の生徒)と出会うことにより、それを越えている。
・意思や願い、葛藤をもつ主体として現れる場
-問題が社会にとって切実であるがゆえの迷いやためらい
スカイプ対話において「福島の現状を知らない私たちが、福島のことを考えることについてどう思いますか?」という発言からは、当事者でない私たちが、勝手に考えていいのだろうかという迷いやためらいが現れていました。
-問題が自分にとって切実であるがゆえの葛藤やもどかしさ
切実な問題だから、しゃべれない生徒がいる。簡単に結論できないから問題解決学習として取り組んでいる。我々は、授業に現れている姿を通して子どもを理解していきたいと考えていますが、やはり手掛かりでしかありません。いろいろな資料を緻密に見ていくしかないなと感じています。
伊倉先生から
埜嵜先生の最後の発言の中で、「切実な問題だから、しゃべれない生徒がいる。」はその通りだなと思います。授業のスカイプのやり取りの中で、「福島の人に言いたいことありますか?」に対して誰も手があがらなかった。実は、言ってはいけないと思ったのですね。言えた子どもは数字に強い生徒なんですね。数字ならばしゃべれる。ずうっと線量計をもってはかっています。
問題解決学習での問題はなかなか解決できないものです。簡単に結論が出るような問題は、問題にならない。生徒は「新たな発想、次のアクションが必要。特別な何かがいるんだ。」ということを探しはじめます。
参加された方からの振り返りを紹介します。
◆今日のセミナーで学習した中で重要だと思ったことは、教材と子どもの生活との関わりです。セミナーの終わりに埜嵜先生がおっしゃったように、学校という一種の安全柵を飛び越えて、本当に難しい社会問題に切り込んだ実践でした。
39桜の(米を買う時に福島産を選ぶかについて)「その状態が、日本国民全員にあるから。だから数値、数値って言っていても意味ない」という発言が、問題の難しさの本質に届いていると考えます。消費者の立場からすれば、いくら安心と思われても、主観的に数%でもためらいを感じたなら、その商品を選ばないことが合理的です。家族のためを思えば尚更です。しかし誰もがそのように安心で無難な選択をすれば、被災地はいつまでも立ち直ることができません。大人である私もこのことによい解答を持っておらず、評価することもおこがましいのですが、このように問題を問題たらしめている真の難しさに生徒たちが向き合えたことは意義深いことだと思います。