大学日記

11月8日(土)13:30より第8回11月セミナーを開催しました。

公開日
2025/11/26
更新日
2025/11/26

社会連携

 11月8日(土)13:30~15:30に、201教室において実施しました。

 コメンテーターとして、岩倉市教育委員会授業デザインアドバイザーの高橋宏滋先生をお迎えして、岩倉市立岩倉北小学校の岩瀬映里先生の6年国語「やまなし」の授業を通して「新しい学びの方向性を探る」をテーマに学び合いました。

 今回は、18名の申し込みをいただき、講師を含め19名の方により学び合いを深めました。


セミナースケジュール

◇前半 提案授業について

 1. 高橋先生より(岩倉市授業デザインの理念)

 2. 岩瀬先生より(授業者のおもい)

 3. 「やまなし」の授業ビデオ視聴

・ テーブルで学びを共有する

 休 憩 ・ 歓 談

◇後半 リフレクション

 4. 全体で学びを共有する

 5. コメンテーターより

 6. 授業者より


◇前半 提案授業について

1. 高橋先生より(岩倉市授業デザインの理念)

 高橋先生からは、本日のセミナーの流れについて説明をしていただき、岩倉市が考える授業デザインの理念についてお話しいただき、授業の中でどう実現しているのかを学び合いたいと提案いただきました。

<2025岩倉市授業デザインが目指す学びの4つの視点>

学びひたる授業

 ① 探究する学び 自分の問いに向かって夢中になって深く考える

          問い➡自ら立ち上がるもの・自ずと立ち上がってくるもの

 ② 真正の学び  本物と出会い本当の意味を学ぼうとする

          「教科する」・教師の教材研究を追体験する

 ③ 協同する学び 他者と支え合うことで深い学びを実現する

          分からないことに向かって言葉を交わす

 ④ 共創する学び 子どもと教師との対話によってともに学びをつくる 

          子どもと教師が横並びの共同研究者となって学ぶ

          よりよい授業(学級)づくりに自ら参画する

 ④はあまり出てこない言葉ですが、①~④は別々の学びではなく、目指す学びを4つの視点でとらえようとするものが岩倉市の学びの骨子になっています。


2. 岩瀬先生より(授業者のおもい)

(1) 子どもたちへの願い

 ① 言葉の奥に隠された作者の思いを感じ取り、文学を読むことの楽しさを味わう。

 ② 「知りたい」という興味や「わからない」「なぜだろう」という問いをもち学ぶ。③ 他者の多様な考えと向き合う中で、より深い解釈へつなげる。

(2) 教師としての課題

 ① 児童同士の意見交換や発言はあるものの、教師がつい話しすぎ、まとめすぎてしまう。

 ② 発言量の多い一部の児童だけで授業を展開してしまう。

 ③ 作品に迫る本質的な問いが曖昧になり、児童の思考が拡散しがちになる。

(3) 今回の授業で試してみたこと(挑戦してみたいこと)

 ① 単元を貫く課題の設定と背景知識の活用

 ② 対話の質を高める仕掛け

 ③ ICTを活用した学びの個別化

(4) 岩倉市授業デザインとの関連として

 ① 協同する学び

  4人班の学習隊形を基本とし、仲間の意見に対し、耳を傾け学び合う姿

  よくわからないこと、不確かなことに向かって言葉を交わす姿

☆② 探究する学び

  単元を貫く課題を各自で設定する

  見通し、読み深め、振り返りの授業展開

 ③ 真正の学び

  作者の思想や行動の情報を生かして表現の意味を考える

  作品と対峙し他者に語りながら自分に問いかける

 ④ 共創する学び

  教師も一人の読み手として一緒に考えていく授業

 以上、ご参加の方々から多くの学びをいただきたいと思います。


3. 「やまなし」の授業ビデオ視聴(45分)

・ テーブルで学びを共有する 自然にグループ毎の対話が始まり、休憩中は授業からの学びに花が咲きました。


 休 憩 ・ 歓 談

◇後半 リフレクション

4. 全体で学びを共有する

< ◎ コーディネーター高橋先生 〇 授業者 ● 参加者 >

テーブルで話題になったこと、学ばれたことについてお話ください。

最初に申し上げました二つの視点についてお話しいただければと思います。

 ① 岩倉市授業デザインの理念が授業の中でどうであったのか。

 ② 「やまなし」の授業を通して、教師の良さや課題について、教えていただければと思います。

どこのテーブルからでも結構です。よろしくお願いします。

このグループでは、まず、見通しを持つことの大切さを話しました。子ども一人ひとりが自分の学びに見通しをもち、学びたいところから学んでいることがすばらしい。

 深めたいところが出たときに、音読に戻す。自分はそうしたことができていないので新鮮で、これから取り入れていきたいと感じました。よく発言をしていた男子は筆者の背景も含め考えていたのに対して、女子は物語の内容や言葉について話していた。教師がどうかかわり焦点化するか、考えていきたい。また、発言ができていない子どもたちが全体の学びから置いて行かれてのではないかと話していました。

◎ 本日の資料4に「本時の見通しと振り返り」にあるように、一部の子どもたちの見通しと振り返りがまとめてあります。ご覧いただいて何かお気づきのことをお話しください。

● この教室は、本当に、自分の言葉で表現ができる子どもたちが多いなと感じました。今、ご指摘のあった資料4の見通文を読むと、作品の中の言葉にこだわり考えようとしていることが分かりますが、実際の授業で語られていた言葉は、作品から離れ作者の背景について語りはじめている。やはり、発言者がどこからそう思ったのかが曖昧なまま授業が進んでいく。多くの子どもたちが「見通文」で作品の言葉にこだわって読み取ろうと書いているのに、外れていってしまったのが、もったいなかった。だから、「どこからそう思ったの」という問いかけであったり、もう一度「音読」へ戻したりを繰り返すことで、真正の学びへ近づくのではないか。また、振り返りについて「見通し」に対しての「振り返り」を書く対比の関係だと思います。子ども同士の会話の中では、お互いに感じた学びを学び合っていますが、せっかくの学びが書かれていなかったことが残念でなりません。

● 私は「たかふみさん」の発言がおもしろいなと感じていました。国語の場合は、二つの言葉を結び付けて考えることが大切だと思っています。例えば、「青い炎」と「青白い炎」を結び付けどうなったかを語らせる。また、文章と自分の経験を比較して発見することが楽しみです。たかふみさんが父とお酒を結び付けて考えていますが、もう少し他の文章と結び付けて考えると、論理的になったと思います。

◎ たかふみさんとたくみさんが授業で目立つ存在ですが、他の方いかがでしょうか。

● 私自身の名前も「たかふみ」です。(会場爆笑)たかふみさんが活躍して、どんどん作品から離れて宮沢賢治のことが語れるのは賢い子どもで、とても6年生に思えないほどだと思います。国語の場合、文章に戻ることだと思います。特に最初のどれだけ音読をしているのかに尽きるように思います。例えば、一斉に読む、その後一人ひとりが読む。一人ひとりがどの言葉にこだわって読むかは違っていいと思います。私が若かったころ、国語の授業のやり方が分からなかった。しかし、子どもの発言をじっくりと聞いていると、実に面白いと思えるようになった。岩瀬先生が授業への思いで書いて見えるように、子どもと一緒になって読むということがとてもよくわかります。やはり、子どもに委ねてやると、子どもたちはどんどん学んでいくことが分かります。本日の教室には、子どもたちだけでも、いっそう深く読む味わう素養・可能性を予感しています。

◎ 岩瀬先生、音読はどうですか。

〇 子どもたちは、授業中、本筋から離れていってしますことがよくあります。毎回、子どもたちが気になったことを扱っているからでしょうか。また、「なりきって」読むということがあったと思いますが、そうすると子どもたちが物語の中に入っていきます。作品の文章はどんどん長くなっているので、音読が減ってきているかと思います。

◎ 授業の途中で小刻みに音読を入れるという印象でしょうかね。

● 昨日、うちの学校は研究発表を行いました。6年担当の先生が「やまなし」を扱った授業をしました。授業者は音とか色とかに注目をして読んでいき、「トブン」という言葉、宮沢賢治はどうしてこの音に注目したのかを課題で進めていました。

改めて、今日の授業では、子どもたちが実にのびやかに賢二の考え方にまで発言し、意見を交流しているところがすばらしいと感じました。

● 私は「やまなし」の授業をしたことがありませんが、資料2の単元構成を読ませていただき、「イーハトーヴ」や単元の前半に宮沢賢治の作品を読んだり調べたりしています。更に「よだかの星」も読んでいる。作品から一旦離れています。文学による映像表現の挑戦である「やまなし」と捉えると、言葉による映像をしっかり読み描き、宮沢賢治の他の作品を読んでから、もう一度読むといった授業になることに興味がありました。

 この教室では子どもたちが自由に先生を学びこえていく姿があります。岩瀬先生はどんな学びこえがあったと感じていますか。

〇 「やまなし」を読んで二度目なんですが、私自身が予測できない授業でした。子どもたちは「納得できない」という言葉を使わなかった。「賢治はこう考えていたから表現したんだ」と発言して、私がわからなかったことを超えてきました。色とか言葉についてもそうですが、子どもたちが生きてきた経験知、環境や自分の家族から読み取ったことに常に驚きを感じました。子どもたちが調べることが好きでした。子どもたちは経験からの自分読みをはじめます。特に男子は調べることが好きす。「命つながり」「宗教」「生まれ変わり」「自己犠牲」ある子は「輪廻の世界」などという言葉を持ち出してきました。そうした言葉を聞いて振り返りに書くのが女の子たちです。私はその振り返りを読んで「はっと」させられています。

● 詩の授業のように、短文を何度も読んでいくうちに、分からない言葉が徐々にわかりかけてくることがあります。私の経験から「やまなし」はまさにそうなんです。何度も何度も読み深めていくことで、様々な世界が立ち現れてくる。そこを大切にしたい。

◎ 音読は意味やイメージが立ち現れてくるように進めようよと、今までも音読を大切にした授業をしてきました。

● 私は31年前にはじめて「やまなし」の授業をやったのですが、二度目にやるときに子どもたちに絵を描かせました。この作品は幻燈の世界ですから、絵をOHPに描かせればよかったと反省しました。やはり、分析的に読むのではなく、イメージを描かせ、表現に至ることが大切だと思いだしていました。

● 授業記録6Pの教師の「だってさ」のあとの(たかふみくん)の発言であったり、7Pの(たかふみくん)の「理想ではない」の発言から女子の発言を導いたりしているが、この子どもはケアの必要な子どもではないかなと思いましたが、いかがでしょうか。

〇 この子どもは、いつもはもっと発言します。いつもの2割程度です。普段はリーダーとして授業のまとめをしてくれるような存在です。

● 「共創する学び」という視点について伺いたいのですが、言葉に対して「どう思ったの?」という問いかけなのか。やまなしの中で「でもさぁ、これはこういうことじゃない。どう思う?」と進めていく、子どもと教師との対話なのか。やまなしはよく見える作品なので教えてください。

◎ 「やまなし」は皆さんの発言にもでていた通り、教師でも読んでわからないことが多い作品だと思います。この作品を子どもと一緒になって教師も「わからんこと」を考えようという方向があって、その方向に近づこう、そういう授業を目指していきたいと思っています。もちろん教師からの「それどういうこと」という問いかけもありますが、その先に教師も知りたいという思いがあります。


5. コメンテーターより

◎ 資料4の「見通し」で子どもたちは表現の意味や秘密を一生懸命にやろうとの願いをもって授業をスタートしたのは間違いないことです。しかし、今回の授業者の挑戦として、宮沢賢治の人生や考え方、宗教、父親との関係などと絡めて理解させたいという願いがありました。その方向で授業が進んでいったのですが、作品の表現になかなか戻ってこれなかった。このことが課題かなと思います。そのことについて授業者としてはどうですか。

◎ 岩瀬先生は「やまなし」の授業は二回目です。一回目をやったときにいろいろ努力をして「どの学級でも生まれるような解釈」が子どもの発言からできていました。二回目をするときに、私から余計なこと「前の授業を超えなきゃね」といいました。「カニのお父さんや青白い炎に絡んでくるよね。そこに挑戦しようか」と助言し、今回の授業ではちょっと強引さが出たのかなと思います。授業が筆者の背景に流れた原因は私の助言にあると思います。(会場爆笑)しかし、教師の挑戦を見つけていかないと、子どもたちの中にも知的な発見が生まれません。教師の中に発見がない授業では、子どもたちの中に新しい学びは生まれない。教師が見つけた発見、それこそが真正の学びになると考えています。


6. 授業者より

〇 この授業では、本当は「青い炎」「青白い炎」という言葉の変化に戻ってきたかった。時間を取りたかったです。一方、私としては前時に「よだかの星」を読み、十二月の青色の表現の意味に広げていきたいと思い取り上げました。しかし、子どもたちの中では、「昨日『青い』はけっこうやったよね」という感覚になってしまいました。そうした、授業者と子どもの思いにズレができてしまったのは事実です。 いつも、次の単元に移るとき見通しを立てる時間で、「今まで読んだ単元の気になるところ」を書いてからはじまります。ところが、今回の単元ではステップアップして「筆者の意図に迫ろう」から捉えさせたので、そのズレが大きかったのかと感じています。子どもたちと一緒になって読みを作りたいという思いもありますが、自分がやってみたい授業のイメージがあり、どうしたらいいのか困っています。(会場笑い)


以上、いつも以上の多様な意見が交換でき、充実したリフレクションとなりました。



7. 参加された方からの振り返りを紹介します。

◆ 生徒たちが一つ一つの言葉と向き合っている。宮沢賢治の他の作品を読み、作者を知ることが学びの支えになっていると感じる。作者を知ることが見方・考え方となり、つかみどころのない言葉一つ一つを生徒たちは、一人一人の価値観とつなぎ合わせながら掴もうとしているように感じた。音楽の鑑賞においては、作曲者や演奏者のことを知りすぎると、感情的になってしまい、本来の楽曲の良さ、演奏の良さをとらえきれずに必要以上に感動してしまうことがある。今回の授業においては、作者のことを知りながらも作品と向き合おうとした生徒、作者のことを頭の真ん中に置きながら作品と向き合おうとした生徒がいたため、土俵が変わってしまい、聴き合うことに難しさを感じる場面もあったように感じる。ただ、小学校6年生がここまで言葉一つ一つと向き合い作品の全体像をとらえている姿は本当にすごいと思った。