日記

教科の根っこをしっかりと押さえることの大切さを感じた授業

公開日
2015/11/06
更新日
2015/11/09

仕事

小学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。この日は4人の若手の授業アドバイスと全体に対してお話をさせていただきました。

4年生の理科の授業は、空気の圧縮の実験でした。
前時は空気鉄砲の実験でした。復習から授業は始まります。空気鉄砲で、前の玉が飛ぶ理由を子どもに確認します。指名された子どもの説明を他の子どもがうなずいて反応します。よい姿です。しかし、授業者は子どもの発言や聞く態度を評価せずにすぐに自分で説明をします。子どもたちはよく育っていますが、授業者は余裕がなかったようです。
授業者は続いてすぐに、「閉じ込めた空気に力を加えると、空気の体積と手ごたえはどうなるか」というこの日の課題を示します。子どもたちにとっては、特に疑問を感じていることでもありません。これでは子どもの課題になりません。「空気鉄砲の玉の出口を押さえたらどうなると思う?」と問いかけたりして疑問を持たせてから、課題につなげたいところです。

授業者は注射器の口をふさいでピストンを押し込む実験の手順の説明に入りましたが、子どもは実験の必然性がないまま、作業の指示を聞くことになります。
子どもたちに実験の結果を予想させます。これはとてもよいことなのですが、子どもたちに明確な根拠はありません。予想なのであまり時間をかける意味はないのですが、グループで話し合わせます。グループはほとんどが5人です。見ているとどうしても端の子どもが1人参加できなかったり、2人と3人に分かれてしまったりしています。5人でのグループは子どもでは難しいようです。
子どもの予想は、感覚的なものと数値で示すものに分かれます。「何目盛りというと、わかりやすいね。誰にでもよくわかるね」というように、その違いを評価し価値付けすることが大切です。

実験後子どもたちに結果を聞きます。子どもからは色々な表現が出てきます。一人ひとりの発言をしっかりと受け止めるのですが、それを深めたり広げたりする場面がありません。同じような結果を何人にも言わせたり、意見が分かれた場合は、もう一度実験して確認したりする必要があります。そういった場面がないのです。子どもの意見に対して、授業者がすぐに説明をします。
手を放してピストンが元のところより少し手前までしか戻らないという意見と元に戻るという意見があった時に、すぐに「誤差」という子どもがいました。理科では「誤差」の概念は大切ですが、簡単に「誤差」で切り捨てることは危険です。戻る時は誤差と言えますが、押し込める量の違いは「誤差」ではなく、加える圧力の違いです。「なぜ誤差だと思った?」と「誤差」がどうかの判断をする場面もつくりたかったところです。また、子どもの「手ごたえが重くなる」という表現を授業者が「固くなる」と言いかえました。ここは、何人かの子どもに発言させて、子どもからよい言葉を引き出したいところです。

グループで実験の結果を書く作業をさせます。その時、結果の書き方のポイントを授業者が一方的にしゃべります。以前にもこういった機会はあったはずですから、「何が大切だった?」「何に注意する?」と子どもたちに問いかけて、子どもに言わせたいところです。
まとめを書く子どもは限定されています。中にはその作業に参加しない子どももいます。子どもたちはあまり考えずに作業をしているので、テンションが上がっていきます。また、グループでまとめてしまうと、結果の違いが埋もれてしまいます。大切なのは違いがなぜ起こるのかを考え、場合によってはもう一度実験して確かめることです。

各グループの代表の発表では、足りない言葉を足す場面や、同じ結果になったのかを全体に確認する場面がありません。子どもの活動に対する価値付けや評価、共有がないのです。
発表の後で、「何か気づくことはありませんか?」と問いかけますが、子どもたちはこれまで何も考えずにただ実験していただけです。実験することがこの日の目標になっていました。すぐに答えられるはずはありません。挙手は一人だけです。せめて先ほどのグループ活動の時に課題として与えておけば、また違ったと思います。
「空気は中身があるの?」という質問に、「空気の限界までいった」というつぶやきが聞こえてきました。面白い発想ですが、授業者は拾うことができませんでした。そもそも授業者は何を根拠として「空気に中身があるかどうか」を説明するつもりだったのでしょうか?子どもが課題を解決するために必要なことやステップが意識できていませんでした。そのため、子どもの言葉を拾って、考えをつなげていくことができません。「空気は中身があるのか?」がこの日の課題であれば、最初に提示して予想させ、どのような実験をすればわかるのかから考えさせるべきだったでしょう?

最後に、中に空気の入った星形の樹脂?を注射器に入れ「星の大きさが変わります」とピストンを引いてみせます。星が大きくなるのを見て子どもたちが興味を示します。この日一番子どもたちが意欲的になった場面でした。子どもたちは勇んで自分の道具で実験をしました。しかし、なぜ最後にこの実験をしたのか子どもたちにはわかりません。せめて、星形の樹脂が力を加えると変形することを見せておく必要があったでしょう。押すと縮む、引っぱると伸びることを確認してから、「どうなると思う?」とこの日の実験結果から予想させたいところでした。

授業者は、子どもたちを受容しよい関係をつくれています。学級の雰囲気もとてもよいと思います。次の課題は、「子どもの発言や活動をどう評価、価値付けするか」「子どもの考えを子どもに返しながらどう深め、つなげ、広げていくのか」ということです。
今回の授業では、理科としてこの単元で何を子どもたち考えさせるのか、どのような理科的なものの見方・考え方を身につけさせるのかといった、教材研究や単元観がしっかりしていませんでした。もっと言うと、理科はどういう教科なのかがわかっていないということです。これはこの授業者に限ったことではありません。小学校の教師は全教科を一人で教えるのでとてもたいへんだと思います。だからこそ、その根っこの部分をしっかりと意識して授業に臨んでほしいと思います。
授業者は基礎的な力はついてきていると思います。だからこそ、より高度なことが求められるのです。これからの成長に期待したいと思います。

この続きは次回の日記で。