日記

調べることから考えることへ

公開日
2016/07/21
更新日
2016/07/21

仕事

昨日の日記の続きです。

若手の3年生の、生物の授業を参観しました。
目の各部の働きを子どもたちがグループで調べている場面でした。子どもたちは資料集やグループに1台のiPadを活用して調べています。授業者は子どもたちを笑顔で見ることができるようになってきました。子どもたちとの関係も良好です。
途中で、追加で説明や指示をしますが、子どもたちは自分の作業に集中して顔が上がりません。追加の指示はいつも黒板に書いておくようにすればよいでしょう。
子どもたちは集中して活動していますが、調べることが終わってしまったのか、ちょっと緩んでいるグループもありました。終わったグループへの次の課題を準備しておく必要があります。
作業を終えて発表に移る時に、まだペンを持っている子どもがいました。ここは、いったんきちんと作業をやめさせることが必要でしょう。
指名した子どもに「黄斑」「盲班」の説明をさせますが、調べた言葉をそのまま読み上げます。子どもたちは自分でも調べているので、自分の手元を見ています。一人ずつ発表させた後、授業者が整理をしますが、調べたことをそのまま発表するのではなく、子どもたちに特徴と違いについて整理させるとよかったでしょう。また、黄斑と盲班の位置を確認して、なぜ眼球の中心に黄斑があるのか、なぜ盲班は中心に無いのかといったことを考えさせても面白いでしょう。調べるだけの活動ではなく、それをもとに何か思考する活動を入れないとただ調べて終わってしまいます。発表することの意味もあまりありません。調べたことをもとに考える課題になることが大切です。
この3年間で、授業者は確実に子どもたちと関係をつくって授業ができるようになってきています。子どもたちが考える場面をどうつくるかといった、次の課題も明確になってきました。こういった自身の課題を意識して授業に臨んでほしいと思います。

英語でGDMを取り入れて2年目となりました。高校1年生と2年生のコミュニケーションの授業で取り組んでいます。
1年生担当の方は、今年初めてGDM挑戦しています。”Live”と呼ばれる、場面を使って英語で表現する活動では、授業者がまだ慣れていないために余裕がないようです。子どもたちの状態をまだよく把握できていませんでした。個人を指名してやり取りをすると、どうしてもその子どもに英語でしゃべらせることに意識が行ってしまい、一部の子どもがそのやり取りを聞いていないことに気づきません。全体でやり取りすればどの子どももよい表情で参加します。個人から全体、全体から個人への切り替えを上手くできるといいと思います。
新しいことに挑戦する苦しさを味わっていますが、どなたからも前向きに授業を進めようという意欲を感じます。

2年生は、子どもたちが、写真を使いながら自分の好きな物や場所の紹介をする場面でした。
発表者はしっかりと全体を見て話ができます。用意した英文を暗唱しているというのではなく、自然に自分の言葉として表現できているのが印象的でした。写真という具体物があるので、それを使うことで言葉が出やすくなっているようにも感じました。英語が言葉として使えるようになってきています。聞いている子どもたちも柔らかい雰囲気ですが、集中して友だちの言葉を聞き取ろうとしているのがよくわかります。発表を終わった後の、発表者の表情がとてもよいことが、子どもたちの達成感を表わしているように思いました。こういった経験が子どもたちの自信につながっていくのでしょう。
GDMの成果が着実に出ていると思います。

校内研修の打ち合わせを行いました。
各教科で授業改善の試みが進んでいます。そういった取り組みを教科や個人に留めるのではなく、学校全体で共有しようというのがねらいです。2学期の初めに授業公開日を3日間設定し、そこでできるだけ多く授業を見合ってもらおうというものです。どういった点を見てもらいたいかを明確にして、教科ごとに公開授業を決めていただきます。
この学校独自のメソッドがいろいろな教科で生まれつつありますが、従来の研究紀要に代わるものとして、そういったものをわかりやすくまとめたものをつくることも検討されました。イメージとしては保護者や受験希望者に伝わるようなものです。こういうものをつくることが、自分たちの取り組みを整理することにもつながります。よい形で実現することを願っています。
学校案内も、今年度はとてもよい形でリニューアルされていました。上からの指示ではなく、先生方の中の学校をよくしたいという気持ちが原動力となって、いろいろなものが変わって来ているように感じます。学校がよくなっていく手ごたえを感じました。