日記

形式にこだわらず、子どもの実態に応じて、授業の進め方や構成を考える

公開日
2016/08/18
更新日
2016/08/22

仕事

間が空いてしまいましたが、前回の日記の続きです。

5年生の算数の、式の表し方とその意味を考える場面でした。
授業者は黒板に貼ったこの日の問題を子どもたちに写させた後、読み上げます。かなりの子どもたちの顔が上がりません。顔が上がらない子どもはノートを見ているようですが、中には目線がノートにない子どももいます。今一つ集中が感じられませんでした。
4列の十字に並んだいちごの数を数える問題で、いちごを線で区切り、4×5の式になった考え方を説明するものです。子どもたちは落ち着いているように見えるのですが、授業者が問題の説明をしている時も、顔が上がらず集中しません。授業者は説明が終わるとすぐに挙手を求めます。5、6人の手が挙がるとすぐに指名します。友だちの発言の時も顔が上がらない子どもが多数いますが、発表者が「いいですか?」と聞くとハンドサインを出します。しかし、はっきりと意思表示をしているというのではなく、肘を曲げてよく見えない状態にしています。図を指し示さずに一気に説明するので、子どもたちがすぐに理解するのは難しいと思います。授業者もそのことに気づいていたので、「4個のかたまりを図で示して」と前に出て、図に書き込ませます。子どもたちはよく見ていましたが、ここでも反応はあまりありません。ハンドサインも出しません。授業者が続いて説明をしますが、板書するとすぐに写す子どもが目につきます。言葉での説明の後、授業者が板書を写すことを指示しますが、子どもたちが本当に理解しているかどうかの確認の場面ありません。子どもたちが授業者の提示する答やまとめの板書を写すことが学習になっています。

この日の学習課題は、他の考え方でいちごの数を求めて、どうやって考えたかを説明することです。図がかかれた小さなワークシートを配ります。この時、子どもたちは「どうぞ」「ありがとう」と声を掛け合います。「ありがとう」を言うことはよいことですが、子どもたちの表情が乏しいことが気になります。仕方がないことなのかもしれませんが、形式になっているようです。

授業者が机間指導をしながら、子どもの書いた内容をチェックし、それで問題がなければ次のワークシート渡します。先生のチェックを受けないと次がもらえないので、手が止まっている子どももいます。ちょっと待ち時間がもったいないように思います。
「これと同じだね。ほかのやり方でやってみて」といった声をかけることもあります。こういった時に、たとえ同じでもまず考えたことを認めてあげるとよいでしょう。「なるほど」と認めた上で、次の指示をするとよいと思います。
授業者から次のワークシートもらっても子どもたちがうれしそうにしないことが気になります。認められている感がないのです。ほめる言葉をかけて、自己有用感を持たせるようにするとよいでしょう、

作業を終わらせて次の指示をしますが、ここでも子どもたちの顔が上がりません。ペアで説明を発表するのですが、子どもたちはペア活動に対して期待感をあまり持っていないように見えました。発表するという活動だけが指示されて、目標や評価が明確でありません。子どもたちの動きは遅く、互いに目が合わないペアが多いことも気になります。特に聞く側は何のために聞くのかよくわからないので、意欲がもてないのです。ペア活動終了後に、「発表してくれる人?」と聞きますが、数人しか手が挙がりません。ペア活動で認められたという気持ちになっていれば自信を持ってもっと挙手したのではないかと思います。

指名された子どもに、まず考え方の図をかかせます。子どもたちはよく見ています。続いて言葉で説明するのですが、うまく言えません。授業者は子どものノートを見ながら黒板に先ほどの例の表現に合わせて書いていきます。この時点でもう指名された子どもの考えではなくなります。授業者が代わりに説明して、「これと同じ人?」と挙手をさせ、次の考えに移りました。子ども同士が考えを共有する場面がありません。指名した子どもが上手く説明できないと思ったら、「図から○○さんの考えがわかった人、○○さんの考えを説明してくれるかな?」と他の子どもに説明させて、本人にそれでよいのか確認するとよいでしょう。他の子どもに、この考え方が理解できたかどうか確認し、説明させることも必要だと思います。
次に指名された子どもが考え方を図にかいた後、自分の席で説明を始めます。一番後ろの席なので、かなりの子どもが振り向いて話を聞こうとしていました。よい態度です。ところが、授業者は発表を聞きながら黒板にまとめ始めました。声に出して確認して板書するので、子どもたちは全員前を向いてしまいます。まずは、最後まで発表を聞かせたいところでした。結果を板書することよりも、友だちの発言を聞いて理解しようとさせることを大事にしてほしいと思います。
次の子どもも最後列でしたが、説明を始めても最初から数人しかその子どもを見ていません。授業者が板書する態勢をしっかりとっているからです。説明の途中で授業者がその内容をよく理解できないのか、子どもの言葉を復唱します。すると発表者はすぐにノートを持って前に行き、先生に直接説明を始めます。授業者と発表者の2人きりのやり取りが続きます。他の子どもたちは、その結果書かれる板書をぼーっと見ているだけでした。書き終わった後、「わかった?わかる?」と声をかけても反応がありません。「同じ人?」と問いかけ、だれも手が挙がらないとそれで終わってしまいました。同じ考えの人がいないからこそ、きちんと考えを共有することが必要です。授業者のまとめた板書を見て理解するだけなら、最初から授業者が説明すればよいのです。子どもたちが、他者の考えを理解する、友だちの発言をもとに考えるといった場面がありません。
時間がないと言って、まわりの四角から四隅を引く発想を授業者が紹介し、そのやり方をした子どもに説明させます。ちょっと気づきにくいものなので、考え方の図が示された時点で、「おー」「あっ」と言った言葉が出るのが普通なのですが、子どもたちは反応しません。説明を聞いていても、理解しているかどうか表情からはよくわかりません。ハンドサインもあまり挙がりませんでした。それでも、授業者はすぐに、「この他にも2個1組という考えがあったよ」と紹介します。落ち着いて子どもたちが理解する時間がありませんでした。一つひとつの考えを子どもたちとやりとりしながら、丁寧に共有したいところでした。

「いろいろな式が出てきました」と黒板に書かれた説明の式の部分を囲みます。この式が何を表わしているのか確認します。「いちごの数」という言葉が子どもから出てきます。それを受けて、授業者は式と図を一つずつ対応づけ、「今考えた図を表わす式」になっているとまとめ板書します。一方的に説明をされるだけで、子どもたちが自分の言葉で確認する場面はありません。子どもたちは板書されるとそれを写します。続いて「式からいろいろな考えが読み取れる」とまとめていきますが、ここまでそのようなことは考えていません。「考え⇒式」と「式⇒考え」は決して同じことではありません。実際に経験しなければ、スッキリと納得できることでもありませんし、言葉で言われても式から考えを読み取れるようになるわけでもありません。
「考え方の図だけを見て、式をつくる」「式を見て、どんな図をかいたか考える」といった活動をする必要があります。

練習問題は、種類の異なるお菓子の値段と個数が与えられていて、式が何の代金を表わしているのかを考える問題です。子どもたちは、ここまで式の意味を考えることをしていません。この問題に戸惑って、なかなか手が挙がりません。挙手して指名された子どもは、100×6を600円のバームクーヘンの代金と答えました。授業者は「確かに600円はバームクーヘンの値段になっている」と受容します。これはよい姿勢なのですが、そこから「100円のものは?」「かける6だから」と説明を始めます。時間がないのかもしれませんが、ここはじっくりと「100×6」の意味を子どもたちに考えさせなければいけない場面です。その上で、「100で表わせるものは何か」「6あるものは何か」を問わなければいけません。
続いて子どもたちに「100+600」をたずねますが、多くの子どもたちはまだ、板書を写していました。授業者がすぐに手を挙げた数人の中から指名すると、その答を聞いて子どもたちは「いいです」と声を出します。どうみても、子どもたちはちゃんとわかっているようには思えませんでした。

挙手した子どもが答を発表し、先生が説明をし、板書を写すというサイクルが授業の基本となっているようです。その中に子どもたちが考えを理解し、共有するという場面がありません。また、「考え方の図から式をつくる」「式から考え方を理解する」といったことを子どもたちができるようになるために、どのような活動が必要なのかを考えて授業が構成されていませんでした。
形だけに頼るのではなく、子どもの実態に応じて授業の進め方や構成を考えること意識してほしいと思います。

この続きは、次回の日記で。