形から一歩先に進む(長文)
- 公開日
- 2016/08/10
- 更新日
- 2016/08/18
仕事
昨年までおじゃましていた小学校と同じ中学校区の小学校で授業アドバイスを行ってきました。小中連携で授業規律を共通にしている学校です。この日は若手を中心に授業を見せていただきました。
全体的に気になったのは、授業規律が形に終わっているということです。指示をしてその形ができた後、すぐに緩むのです。子どもたちは、指示された瞬間にその形が取れればよいと思っているようです。
ハンドサインが多用されています。意見や考えなら「賛成」というハンドサインを出すのは納得できますが、「何をつくりたいか?」といった判断にふさわしくないものに対しても子どもは「どうですか?」と友だちに判断を求めます。形だけにならないためにも、授業者が使う場面を意識して指導する必要があります。
挙手した子どもが発表した後、「賛成」のハンドサインが挙がれば、それで先に進むことが多いことも気になりました。答がわからなかった子どもは答を知っただけで、理解してできるようになったわけではありません。答を知ること、覚えることが学習になってしまいます。わかる過程、理解する過程を省略するための言い訳の道具にハンドサインがなっているように思いました。
子どもが順番に発表する場面でのことです。発表が終わると子どもたちは拍手をします。マナーとしてはよいことなのですが、延々と続いている内に音がどんどん小さくなっていきます。手を動かさない子どもも目立ってきます。聞く側に意味のない活動、発表に対する評価のない活動では、形式的な拍手で終わってしまうのです。発表の目標を明確にし、よいところを共有することが必要です。
全体的に子どもたちのテンションが上がりやすい傾向がありました。先生が子どもたちに「同じです」「いいです」といった決まった形の反応を求めていることがその原因の一つだと思います。反応を求めるのは悪いことではないのですが、根拠を求めることをしないと、言いっぱなしになってしまいます。このことに注意が必要です。
また、形をつくるために、指示に従えていない子どもを注意する場面も目につきます。指示に従えている子どもが、できていない子どものために我慢することが多くなっています。できている子どもを笑顔で認めてほめることを優先してほしいと思います。
3年生の授業は3桁の筆算の少人数での学習でした。
最初に前時の復習で、筆算の問題を前で子どもが計算して説明しました。最後に「どうですか?」と聞くと、大きな声で「わかりました。同じです」と返ってきます。ほとんどの子どもがハンドサインを出していますが、全員ではありません。この間授業者は後ろの方からずっと発表者だけを見て、子どもと一緒になってハンドサインを出していました。手の挙がっていない子ども、反応していない子どもをよく見て、本当にわかっているのかいないのかを確認することの方が大切です。全員を見るということを意識してほしいと思います。
課題を書いたボードを黒板に貼りながら話をします。当然子どもたちの方を見ることはほとんどありません。
ここで、先ほどの問題の答が違っているという言葉が聞こえてきます。1の位の計算が違っているというのです。それを受けて、何人かの子どもが違っていると声を上げます。そこで、子ども指名して説明させます。また、「わかりました。同じです」という子どもたちの声で終わりました。最初の「わかりました。同じです」はなんだったのでしょうか。いかに子どもたちが形式的に言葉を発しているのかよくわかります。授業者も子どもたちの形式的な「わかりました。同じです」を信じて、自分で確かめていません。授業規律を形から入ることは否定しませんが、形式で終わってしまっては意味がありません。ここに大きな問題があるのです。
授業者はこの日の課題となる筆算の問題を貼って黒板に向かってしゃべります。子どもたちの方を振り返って「前回の問題と違うところがあります」と問いかけます。1/3くらいの子どもが大きな声で「はい、はい」と反応します。すぐに授業者は指名をしますが、他の子どもは考える間もありません。素早く反応できる子どもだけが活躍する授業になってしまっています。指名された子どもが「10の位に0があることです」と前に出て発表し、またまた、「わかりました。同じです」で終わります。子どものつぶやきを拾って、「何で0があると困るの?」と問いかけると、また、すぐに「はい、はい」と一部の子どもの手が勢いよく挙がります。前に出て発表し、「どうですか?」「わかりました。同じです」で終わる、基本一問一答型の授業です。活躍の機会は最初に指名されるしかありません。スピードとアピールが求められるために、テンションが上がってしまいます。
挙手と指名に頼らずに、ちょっとまわりと相談させるといったことをするだけで、子どもたちの様子がずいぶん変わるのではないかと思います。
10の位が0の時に何が困るかは、実際にやってみないとわからない子どもがたくさんいます。やってみて、初めて困ったこと、この日の課題が共有できるのです。
ここで、「隣から借りられない」という説明に対して、いつもの「わかりました。同じです」に続いて、「他にもあります」と何人かの手が挙がりました。面白そうな場面になりましたが、授業者は子どもたちに手を挙げさせたまま、子どもの説明をまとめて、「ここまでにしとこうか」と次に進めました。これでは、子どもたちは授業者の求める答だけが必要とされていると感じてしまいます。子どもたちがどんなことを考えたのか聞きたい場面でした。
この日のめあてを黒板に書いて、子どもたちに写させます。書き終わった後、1分与えますが、まだ書けていない子どもが目立ちます。書けていないので、授業者はそのまま待ち、書けたら鉛筆を置くように指示します。子どもたちは、書けていなくても時間をもらえるので、早く書けるようにはなりません。早く書くことを意識させることが大切です。早く書くように促し、早く書けた子どもを評価することが必要です。指示は鉛筆を置くことだけなので、鉛筆を置いた子どもがごそごそしています。指示されたことしかやらない子どもになっています。「鉛筆を置いて、どうやって計算すればいいのか考えてください」といった指示が必要だったのかもしれません。指示されなくても、次の行動を考えられる子どもに育てることを意識してほしいと思います。
結局、まだ書いている子どもがいましたが、授業者がこの日の課題を書き始めてから5分、1分与えてから3分半経って時点で次に進みました。早く書けた子どもはよく我慢していたと思います。
めあてを全員で読んだ後、自分でどうやったらいいか考えるように指示します。子どもたちは戸惑っています。そのことに気づいて授業者は、隣と相談するように指示します。一部のペアは動き始めましたが、ほとんどのペアは動けません。課題が自分のものにはなっていないからです。先ほど述べたように、まず自分で計算させてみれば、何が問題かがよくわかり、どうしよう、どうすればいいのか考えます。いきなり抽象的に考えることは3年生ではまだ難しいと思います。「計算できそうかな?やってみて」といった発問の方がよかったかもしれません。
授業者は隣同士相談するように指示した後、次の活動のための板書を始めます。授業者は準備が終わると子どもたちの方を向いて、「どうやったらいいのかみんなの意見を出し合って、計算棒で考えたい」と話します。結局ここまで、子どもたちの様子は見ないままでした。子どもの状況を把握することをもっともっと大切にしてほしいと思います。
ここで、いきなり計算棒が出てきました。説明に計算棒を使うのであれば、子どもたちに考える道具として最初から与えてあげる必要があります。授業者の都合で授業が進んでいます。
ここまで「どうやったらいいのか考える」と言いながら、ここからの展開は計算棒を使って1の位から順番に計算します。授業者は「1の位、計算できる人」と問いかけ、挙手した子どもを指名します。この活動は、「考える」というよりも、「計算する」「やってみる」という言葉が近いように思います。
指名された子どもは、10の位から借りられないから100の位から借りてと一気に説明します。続いて10の位の計算をしようとしますが、授業者はそこで止めました。この日の学習で一番のポイントは、10の位から借りられないから、100の位から借りるというところです。まずここを押さえるのかと思いきや、「次、10の位の計算をやってくれる人」とそのまま次に進みます。複数の子どもを指名するために、計算を位で分けたのでしょうか。よくわからない場面でした。
次に指名された子どもは、9からすぐに引きます。そこで、授業者は「どうして9になったのか?」と全体に問いかけますが、1の位の計算の時に押さえておくべきことだと思います。ここで挙手する子どもは半分くらいしかいません。先ほどの1の位の計算をした時に10の位から1を借りたところをきちんと理解していなかったということです。子どもたちがわかっていないのに「わかりました」といったのか、1の位の計算だけしか注目していなかったので繰り下がった時に10の位がどうなったのか考えていなかったのかわかりませんが、最初の押さえの甘さが問題だと思います。
ここでも挙手した子どもを指名して進んで行きます。わからない子どもは常に置いて行かれることになります。指名された子どもはその場で説明を始めます。子どもたちは、最初は発表者を見ていましたが、授業者が説明に合わせて黒板で指をさしたのでそちらに注目してしまいました。指をさす必要があると感じたら、発表者を前に呼ぶことが必要でした。子どもたちは、また「わかりました」とハンドサインを出しましたが、今度はそれで先に進まずに、授業者が説明を始めました。大切なことは授業者が説明するのではあれば、子どもたちは友だちの説明を聞く必要はありません。それこそ形式的に「わかりました」と言えばいいのです。
授業者は自分の説明を「納得?」と子どもたちに確認します。一部の子どもたちがうなずいたのを確認して次に進みます。子ども同士をつなぐことがありません。一人が説明した後、手が挙がっていなかった子どもに「納得した?」と確認した後、説明させるといったことも必要だと思います。
100の位の計算を指名してさせた後、今度は、計算棒ではなく普通の筆算をさせます。計算の手順を「はじめに」「つぎに」「そして」「だから」と話型で説明することも指示します。こういう形で教えることにはちょっと疑問があります。手順が3段階であることをあらかじめ指示していることになるからです。言葉の使い方として、わかりやすくするために一つ一つの手順を明確にする。結論であることをわかりやすいように「だから」の後に書く。このことが基本となります。これをまず押さえておき、「さいしょに」「つぎに」「そして」は、必要に応じて使うように教えるべきです。本質を押さえた上で形を教える必要があると思います。形式ばかりではダメなのです。
個人で作業させたのち、「言葉、話してくれる人?」と問いかけます。この日本語も気になります。「言葉で説明してくれる人?」といった表現にするべきでしょう。半分以上の子どもの手が挙がります。続いて「アシスタントやってくれる人?」と聞くと、子どもたちは異常にテンションを上げて「はい、はい」と手を挙げます。これはどういうことでしょうか。今回指名されるチャンスはこれしかないと思ったからでしょうか。それとも、アシスタントであれば間違える心配がないので安心してやれると思ったからでしょうか。いずれにしても、気になるレベルのテンションの上がり方でした。授業者は「あんまり手を挙げない子、頑張って手を挙げてごらん」と言葉を足します。この言葉の中に「手を挙げることがよいこと」という価値観が感じられます。ふだん自信を持って手を挙げられない子どもにとっては、ちょっとつらい言葉のような気もします。
もう一人が指名されると、子どもたちの集中は一気に崩れます。もう活躍のチャンスがないからです。子どもたちが一生懸命手を挙げても、活躍できる子どもはほんの少しです。挙手に頼らず、たくさんの子どもが活躍できる場面をつくってほしいと思います。
指名された子どもの説明は、「はじめに……て、……て、……て」と「て」でつないでいき、「つぎに」「そして」「だから」と続けました。話型に変な形で縛られているように思います。
説明が終わった後、授業者は「まだ他に言える人?」と問いかけます。「他に」という言葉は何を意味しているのか気になりました。子どもたちは他の「考え方」ととったのか、手を挙げる子どもは数人です。手を挙げない子どもが一様に下を向いていることも気になりました。
次に指名された子どもも、「はじめに1の位は……」と、先ほどの子どもと同様に「て」を使って一文で説明します。「つぎに10の位は……」、「そして100の位は……」と説明していきます。位ごとに分けることで上手く説明していますが、これなら「はじめに」「つぎに」「そして」というつなぎの言葉はなくても十分に伝わります。1の位の説明にこそ、つなぎ言葉がほしいと思いました。
相互指名でもう一人を指名しますが、子どもたちはもう集中力はありません。授業者は相互指名させている時から、発表と関係なく板書をし続けています。子どもの発表を聞けているのでしょうか。子どもたちの様子が気にならないのでしょうか。授業者が板書する時間がほしいために相互指名させたように見えました。相互指名でもう一人発表しますが、子どもたちの集中はどんどん下がります。発表を評価したり、聞いたことをもとに問いかけられたりすることがないからです。
結局子どもたちにはただ発表させるだけで、評価することもなく、授業者がまとめの説明を始めました。授業者は説明した子どもにこういう意味だねと確認しながら話しますが、大切なのは授業者がどう理解したかでなく、その説明を他の子どもがどのように理解したかです。
授業者は「必ず9を書くようにしてください」と説明します。これも形です。結論を与えるのではなく、100の位から繰り下げて、そこから10の位を繰り下げると10の位はいくつになるかを確認して、「それぞれの位がいくつになるのか書くことを忘れない」ことをポイントとして押さえるべきでしょう。形で覚えて、訓練で定着するというパターンになっています。より本質的なことを意識させて、そのことを訓練で定着させることを考えてほしいと思います。
最後に「引かれる数の10の位が0の時、……」と授業者がまとめますが、3桁の場合にしか通用しないまとめです。「引けなければ上の位から借りる。そこから借りられなければ、もう一つ上の位から借りる」「それぞれの位の数がどうなるか書くのを忘れない」ことが本質的なポイントでしょう。こういったことを子どもに言わせて、子どもの言葉でまとめるようにできればよかったと思います。
問題を1題解かせます。「授業者はできたらぶつぶつ言ってね」と指示します。外化は大切なことですが、できてからぶつぶつ言うのはよくわかりません。ぶつぶつ言いながら解くのであれば、自分がやっている操作を意識することに役立ちます。自分の考えを整理するのであれば、相手を意識してしゃべることが必要です。ねらいがはっきりしなければ、まわりの子どもにとって雑音になるだけのような気がしました。
できる子どもにとっては簡単だったのでしょう。すぐに終わって遊んでいます。できた子どもへの指示が必要でした。
挙手で指名した子どもに、前で説明させます。指名された子ども、言葉で説明しながら10の位を9と書きました。授業者は10と書いてからそれを消して9と書くように説明していたので、「わかりました。同じです」ではなく、違うとハンドサインを出す子どもが何人かいます。「答はいっしょ?」と確認して、「書き方が違う」という言葉を引き出して、授業者が解説し、「必ず9を書くことが大切」とまとめました。せっかくのハンドサインなのですから、子どもに活躍させたいところでした。
練習問題を解かせます。授業者は○つけをするのですが、システマティックに動きません。横に行ったり、縦に動いたりしているために、スルーされる子どもがいます。黙って○をつけますが、子どもの表情が変わらないことが気になります。○と一緒にほめる言葉をかけてほしいと思います。志水廣先生の提唱する「○つけ法」などを参考にするとよいでしょう。
相互指名で、答だけ確認していきます。ここでも授業者はその間、教科書を確認したり板書をしたりで、子どもたちを見ることはしていませんでした。
○つけで全員完璧であることが確認できているのならよいのですが、つまずいている子どもがどうやってできるようになるのかわかりません。できない子どもは常に結果を与えられるだけで、できるようになる場面がないことが気になりました。
形が先行して、子どもたちに何ができるようになってほしいのか、そのために何が大切なのかが明確になっていないように思います。形は何のためか、形の次に来るのは何かを意識して授業を組み立ててほしいと思いました。
この続きは次回の日記で。