板書を写す意味
- 公開日
- 2010/05/28
- 更新日
- 2010/05/28
授業ワンポイントアドバイス
教師が黒板に何か書くと、一斉に子どもがノートに写しだすシーンによく出会います。教師の説明も聞かずにひたすらノートをとり続ける子どももいます。教師もたまらず「後で書く時間をあげるから、話を聞いて」と指示を出したりします。
でも、そもそも板書を写す意味は何でしょう?
「あとで授業を振りかえるため」といった記録面を重視する
「写すことで記憶に残る」といった写す作業に価値を求める
いろいろな考えがあると思いますが、この2つに集約されるのではないでしょうか?
もし板書がそのままノートに残るという「記録」を重視するのであれば、書かせずにあとでプリントにして配れば済むことです。その時間をもっと有効に使う工夫をすべきです。板書はメモにとどめて、まとめは子どもが書く。その書いたことを互いに発表させて、その意見も取り入れて最終的に自分のノートを完成させるなどしてもよいでしょう。
「せめてノートだけでもとらせないと遊んでしまう」とノートをとらせれば、「ノートをとればそれだけで授業に参加した」と思う子どもを育てることになります。ますます、授業中に考えなくなります。この悪循環を断つ勇気が必要です。
もし、「写す」という行為自体を大切にするのなら、本当に写すという作業が目指すものにつながっているかを考える必要があります。
何も考えずひたすら板書を写しても、単に目に映っているものを写しているだけで記憶には残りません。「黒板を見ないで写して」と記憶する必要性を作る。数学などは黒板の一部を隠して、自分で埋めさせるという手もあります。
ほとんどの授業で板書を写す場面がありますが、写す意味を意識して板書の使い方を工夫してほしいと思います。