再び、ICTの活用について
- 公開日
- 2012/06/27
- 更新日
- 2012/06/27
独り言
ICTを活用した授業を論じるとき、その特性や利点ばかりが言われたり、逆に、授業の本質はここであって、ICTはそこには役立っていない、それよりももっと授業の中身を考えるべきだと言われたりします。また、ICTがなくてもできる、わざわざ使う必要はあるのかということも、よく言われます。この議論は、微妙にかみ合っていないように思います。トータルに見て、ICTがそのコスト(準備等の労力)に見合っただけの効果があったかどうかが問われるべきだと思います。
以前ICTの活用について書きましたが(ICTの活用について考える参照)、このことについてもう少し整理してみたいと思います。
たとえば、社会科で子どもたちに、「あれ?」「どうなっているの?」「知りたい!」と疑問や興味を持たせる場面を考えてみましょう。どのような資料を見せるか、どういう発問をするかを考えることが第一になります。どんな資料があるか、どんな資料があればよいか、そのような知識の有無が絶対的な授業の質に影響します。名人であれば素晴らしい資料と発問で子どもたちを見る見る引き込んでいきます。しかしだれもが名人というわけではありません。なかなかよい資料が見つからないかもしれません。それでも、少しでも子どもたちを目指す姿に近づけるための手段の一つとしてICTのような道具があるのだと思います。
同じ写真でも、モノクロで印刷して配るのと、カラーで大きく映して見せるのではその効果は変わります。友だちの気づきを手元の写真で確認しても、なかなかみつからないこともあります。経験の浅い教師だと「見つかった?」と聞くだけで全員が見つけたか確認せずに進むこともあります。参加できない、よくわからなければ、子どもたちは興味を失っていくかもしれません。ベテランであれば、「まわりの人とたしかめてごらん」と子ども同士で確認させることで、なんなくクリアしてしまうかもしれません。
一方、スクリーンに大きく映せば、全員の顔が上がります。友だちの気づきもスクリーン上で共有することで、全員に瞬時に伝わります。子どもたち同士がつながり、誰もが参加することで、疑問や興味も共有しやすくなります。
この例では、ICTは必須ではありません。しかし、授業者によってはICTを活用することによって、この場面での本質、子どもに疑問や興味を持たせることを実現するために大いに役に立っているのです。
では、子どもが黒板に解答を書く代わりに、実物投影機を使ってノートを映すことを考えてみましょう。子どもが黒板に解答を書く時間は、よほどの工夫がない限りあまり意味のある時間とはなりません。この時間がなくなるだけで、多くの時間が生まれます。この活用自体は先ほどの例と違って授業の本質とは直接関係がありません。しかし、これも立派なICT活用です。授業によっては、子どものかかわり合いのための貴重な時間を生み出してくれた、一番の功労者といえるかもしれません。
授業をよりよくするという視点でICTの活用を考えると、教師に求められることは大きく2つだと思います。ICTで何ができるか、どんな利点があるが、その具体例を知ること。もう一つはICTを使う以前に、その授業で何が大切なのか、その実現のために何が課題になっているかを明確に意識できていることです。後者の視点では、その課題がすでに解決されてしまっているとICTを活用する必然性はありません。名人がその典型です。しかし、多くの教師にとっては解決されていない課題があるはずです。そのすべてがICTで解決できるわけではありませんが、有力な道具となるはずです。時間がないといったある意味本質でない課題でも、それを解決することで本質的な問題の解決につながることもあります。また、ICTを使わなくて解決できている課題でも、ICTのよさを知ることで、それをより簡単に実現したり、よりよいものに変えたりできることがあります。
ICTという道具の出現で、前者がクローズアップされました。それに対抗するように後者の視点も授業の本質といった表現で強調されてきました。これらは相反するものではなく、互いがからみ合うことで、よりよい授業の実現につながっていくものだと思います。