日記

模擬授業で多くを学ぶ(長文)

公開日
2012/10/11
更新日
2012/10/11

仕事

昨日は中学校で現職教育の講師を務めました。今年度2回目です。担当の教務主任には、講演以外の内容での実施をお願いしました。授業を見ての研修が望ましいのですが、あいにくその日は定期考査です。そこで、どなたかに模擬授業をお願いして、私が解説するという形を提案しました。研修まで時間のない中でのお願いだったので難しいかと思っていたのですが、教務主任が自ら授業者をかってでてくれました。この学校では模擬授業自体ほとんど経験のある方がいらっしゃいません。初めての試みなので指名した方にプレッシャーがかかってはいけないと考えられてのことでしょう。教務主任のこの姿勢はとても立派だと感心しました。

模擬授業は数学です。開始前に、私から少し模擬授業について説明しました。先生方に数学の得意な方とたずねてみたところ、数名しかいません。これはきっとうまくいくと思いました。子どもたちと同じ目線で参加することができるからです。授業者にこの授業のねらいをうかがったところ、「考える」がキーワードでした。このことを意識して開始しました。

導入で授業者は「日記をつけたことがある人」と聞きました。2名しか手が挙がりません。指名して、いつつけていたかを聞きました。このとき授業者は発言を受容的に受け止めます。ちょっと硬い雰囲気が柔らかくなりました。そこで、もう一度たずねると今度はほとんどの人の手が挙がりました。たくさんの人がつけたことがあるねとコメントして、この授業の課題を配りました。課題は、姉と妹が異なった日から日記をつけ始めているときに、姉のつけた日数が妹の□倍になるのは何日後かというものです。2分ほどの導入で、テンポのよいものでした。しかし、最初は手を挙げなかったのに、次に聞かれたときにたくさん手が挙がったことをどうとらえるかが問題です。その理由を2人の方に聞いてみました。1人は、「挙手して答えることを求められているのかよくわからなかった」。もう1人は「恥ずかしかった」ということです。前者については、挙手して指名されたのを見て発問の意図がわかった、後者はそのやり取りを見てこれなら大丈夫と安心したということです。実際の授業でも起こりうる場面です。ここで、後から手を挙げた人を指名しないと、子どもたちは、友だちの発言ややり取りを見て発問の意図を理解できた、安心して発言できそうになったのに、最初に参加しなければ後からは参加できないと感じてしまいます。せっかく友だちの発言を聞くことのよさを感じるきっかけができたのにそれが無駄になってしまいます。ここは、「たくさん手を挙げてくれてうれしいな。もう少し聞いてみようか」ともう何人か指名してもよかったところです。

課題のプリントを配った後、「読むのがうまそうな○○さん」と指名して音読してもらいました。「たまたま」ではなく、「あなた」だから指名したというのは、指名された側のやる気を引き出し、自己有用感を感じさせます。これに限らず授業者は、子ども役の発言や行動に対して受容的な態度をとっています。実際の授業でも子どもとの関係はきっと良好だと思います。
さて、音読をしているときの子ども役はほぼ全員がプリントに集中していました。全員やや前傾姿勢で集中しています。ところが、仕事で目が疲れていたのでしょう、1人の方だけは目を押さえてプリントに集中していませんでした。授業者は子ども役と同様にプリントに集中していたためそのことに気づいていません。集中していない子どもを注意しろということではありません。子どもに活動をさせているときにその様子を見ることが大切なのです。今教室で何が起こっているか、常にそのことを把握するように意識するのです。実際の授業では、このあとその子どもの集中力が戻るかどうかを注意することになります。その状況に応じて次の対応を考えるのです。教師は教科書の文章やプリントの内容は頭に入っているはずです。一字一句目で追わなくても、ちらちらと見るだけで大丈夫です。子どもたちを見ることを第一にするのです。

読み終わった後、「問題の意味はわかりますか」と課題を理解したかを問いました。「質問がある人」と聞いてもだれも手を挙げません。そこで次に進みました。しかし、「わかりますか」と聞かれれば、わかるのが前提です。質問がある人と聞かれても、手を挙げて聞くのは勇気がいります。誰も手を挙げないから先に進む。これは教師のいいわけ、アリバイ作りなのです。
このときの子ども役の動きは少し乱れていました。ちょっと落ち着かないようすの人、小首をかしげる人、気になる動きがありました。ここは、「困ったことはないですか」と聞き、動きのある人に「どう、何か困ったことない」と声をかけることや、「・・・と書いてあるけれど、どういうことか説明できる」と具体的に確認することが大切です。課題を全員がしっかり把握できずに進んでしまうと、この時点でもうついていけない子どもが出てしまうのです。把握できたかどうかを確認するための発問もあらかじめ用意しておくことが必要です。

続いて、□倍の□にどんな数字を入れようということになります。最初に指名された子ども役は「20」と答えました。まわりから笑いがもれますが、バカにした笑いではありません。しかし、授業者は、しっかりと笑顔でその答えを受け止めフォローします。続いて指名された子ども役は「3」倍、次は「2」倍と答えます。その時には笑いは起きませんでした。3人指名した後、授業者は、「20」倍という数字を考えてみることはとても意味のあることだと説明しました。数学的にはこの数字のときには答が負になるため、より深い追究につながるからです。さすがにこの教材のことをよくわかっています。しかし、子ども役はその価値にはまだ気づいていないようです。「ふーん」といった感じで聞いています。具体的な話ではないし、教師からの一方的な説明だからです。
授業者は黒板に「20」、「3」、「2」と書きます。そのとき、一人ひとりと目を合わせて確認しながら書きました。「20」と答えた子どもにはしっかりとうなずいて見せています。笑われた子ども役が安心できるとてもよいやり取りでした。
その子ども役に聞いてみました。何で笑われたのかよくわからなったが、授業者がちゃんと板書して取り上げてくれたので安心したということでした。

ここで問題なのは、この一連のやり取が教師と当事者だけで進んでいたことです。「20」で子どもたちが笑いました。その理由は何だったのでしょうか。「普通は2とか3だろう」、「そんな数のはずはない」、中には「そんな数では答が出ないだろう」と推理している子がいるかもしれません。教師が判断するのではなく、子どもに聞いてみると違った展開になったかもしれません。
「そんな数のはずはない」と子どもが言えば、「みんなそう思う」と返し、異論がなければ「本当にそうか、確かめてみなければいけないね」と押さえる。「答がない」という言葉が出れば、その推論を聞いてみる。こうすることで、「20」が子どもたちの課題になります。教師が「20」の価値を説明しなくても、子どもたちが「20」のときはどうだろうと考えて課題に取り組むことで、自分たちでその価値に気づくはずです。
「20」ではなく、「3」と答えたときに聞いてもよかったかもしれません。「3はおかしくないの?」と聞き、「3」と「20」の違いを明確にすることで、課題をより深く考えるきっかけにできます。

まずは、「2」の場合で考えることにしました。できる人と聞くと何人かの手が挙がります。「すごいね」とほめ、考え方も書くように指示をしました。できた子どもに次の指示を与えることが大切です。しかし、いくつかのやりが出てくるので、授業者としては当然それを比較したいと考えているはずです。ただ解くのではなく「できるだけたくさんのやり方を見つけてね」という課題にした方がよいでしょう。あとで「色々なやり方があるね」と展開した時に、そう言ってくれれば別のやり方も考えたのにと思われずに済みます。

子ども役が課題に挑戦し始めました。すぐにあちこちでまわりと相談する姿が見られます。先生同士の人間関係がよいことがわかります。課題もよかったのでしょう。解きたいという意欲の表れでもあります。その間、授業者は机間指導をしています。ヒントを与えたり、子どもたちがどんな解き方をしているかを把握したりしています。取りあげたいやり方をしている子ども役を2人指名して黒板に書かせました。黒板を見ながら自分と比較している、ヒントにして解こうとしている、ずっと2人で聞き合っている、一切誰ともかかわらず黒板も見ないで解いている、実に様々な姿がありました。しかし、授業者は机間指導で子どもたちの間に埋もれているために、このようすに気づけませんでした。授業者は2人を指名した段階で次のシナリオができています。この時点で子どもたちのようすは授業の展開に大きな影響がないので意識されないのです。時間の関係で模擬授業はここまでにしました。

このあと、板書した子どもに前で説明させる、他の子どもに説明させるといった方法がありますが、いずれにしても板書の内容を理解しようと見ていた子どもとここで初めて見た子どもでは理解度が違います。そのギャップを埋めることは実はなかなか大変です。特に自分で解くことにこだわっていた子どもは、いきなり違う解き方を説明されても戸惑います。また、板書は考えた結果です。考え方の糸口や発想はそこには現れません。ここをどう明確にして共有するかが問われるところです。

ここで少し違った展開の仕方を考えてみました。
一番熱心に聞き合っていた子ども役に、何を話していたのか聞いてみました。「考え方を書いてと先生に言われたので、式を書かなければいけないと思って聞きました」ということです。その結果はどうだったと聞くと、後ろの方に聞いてわかったということでした。とても面白い話です。教師の「考え方」という言葉が子ども役には「式」に変わっています。授業者は式で書くことを求めていたわけではありません。微妙にずれているのです。このずれを起点に授業を進めるのです。いくつかの流れが考えられます。

「最初はどうやったの」と聞き、それを共有して上で、「それで、○○さんからどんなことを聞いたの」と、式にたどり着いた過程をみんなで共有する。

「なるほど、式なら考え方がわかるんだ。それってどういうこと」と聞きながら式を使うときと使わない場合を比較しながら2つのやり方を共有していく。

「式なら考え方がわかるんだ。なるほどね。じゃあ、式以外に考え方がわかる方法はないの?」と揺さぶり、言葉の説明、表や図で考え方を示すことを導く。

いずれにしても、これが正解というわけでもなければ、これらを組み合わせることも可能です。ポイントは子どもの考えや発想をもとに深めたり、広げたりするということです。私も事前に何を話していたか聞いていません。だから他の子ども役と同じように真剣に聞き、理解できないこと、聞き洩らしたことを聞き返します。そうすることで学級の全員が理解し共有できるのです。子どもたちのようすを観察していて、何を考えていたか、何を話していたか聞きたいと思った子どもに「教えて」「聞かせて」とたずねる。そこから、展開するという方法もあるのです。(事前に子どもの考えを知ることの落とし穴参照)

わずか1時間ほどの模擬授業でしたが、「授業の基本であるコミュニケーションがしっかりしていたこと」、また「教材がきちんと練られたものでかつそれを授業者が理解していたこと」、そして、「子ども役の先生方がこんな学級だったら本当にいいなと思う、とても素敵な雰囲気をつくりだしていたこと」が、とてもよい学びを生み出してくれました。特に子ども役の先生方の、明るく素直な反応、互いに積極的にかかわろうとする姿勢はとても素晴らしいものでした。私の話に対しても前回以上に反応していただき、とても気持ちよく進めることができました。感謝です。

研修終了後、校長・教頭・教務主任と長時間にわたってお話をさせていただきました。学校をよくしていきたいという思いがひしひしと感じられます。とても充実した時間を過ごさせていただきました。特に教務主任は、皆さんとより近い立場から、今後どのような働きかけや取り組みをしていけばこの学校の授業がよい方向に変わっていくのかを真剣に考えておられました。
私が年に1度や2度出かけたくらいでは学校がよくなるわけはありません。日常の先生方の変わろうという思いと取り組みがあって、初めて向上的変容をするのです。今日見せていただいた先生方の姿と管理職・主任の姿勢があればこの学校はきっとよい方向に変わっていくと思います。次回訪問の機会があれば、必ず新たな姿が見られることでしょう。皆さんのおかげで本当によい学びができました。ありがとうございました。