高校の若手への授業アドバイス
- 公開日
- 2014/05/28
- 更新日
- 2014/05/28
仕事
昨日は私立の中高等学校で若手の授業アドバイスを行いました。来月に行われる授業研究の授業者4人です。この日はすべて高校の授業でした。
2年生の生物の授業は細胞分裂についての説明でした。授業者はよく通る声で話します。表情も穏やかです。よい雰囲気なのですが、声の大きさが変化しません。間も一定です。表情もほとんど同じです。そのためどうしても授業が単調になってしまいます。テンポが悪いと言われるパターンです。
授業者は、細胞分裂の種類を問いかけました。これは高校ではまだ学習していないところです。中学校の知識の確認ですが、ほとんどの子どもは反応しません。その中で、2人の生徒が教科書を調べています。意欲的なよい行動です。しかし、授業者は無視してしまいました。ここはきちんとほめて広げたいところでした。1人の生徒を指名して発表させた後、体細胞分裂と減数分裂について説明をします。生徒たちがこの授業で一番集中した時でした。授業者がワークシートに書き込むべきことを説明し始めると集中力は急速に下がっていきました。生徒たちは、今日はどのような学習内容か期待していたのです。しかし、いつも通りのワークシートに書き込む作業が始まったので、意欲が下がってしまったのです。この後、細胞分裂についての説明と書き込みが続きました。子どもが考える場面はあまりありません。子どもはずっと受け身の状態でした。
授業者は子どもに興味を持ってほしい、キラキラと目が輝いてほしいと思っています。しかし、どうすればよいかはわかっていません。子どもたちが主体的になれる課題である必要あります。1つの例として、細胞分裂を順に解説する代わりに、写真を用意して子どもたちに時系列に並べさせる課題を示しました。知識のある生徒はすぐに並べ替えることができます。しかし、その根拠を問うことで、考える必然性が出てきます。細胞を染色して顕微鏡で観察した時は、1つの細胞の変化を連続的に見ることはできません。細胞分裂の時期が違う異なった細胞を見ることしかできません。その観察結果から細胞の分裂の様子を時系列に並べ替えたはずです。その思考をたどるのです。
いかにして生徒が考える授業にするかが授業者の課題です。子どもの活動量を増やすことと合わせて取り組んでほしいと思います。
1年生の体育は、発表の後の余った時間を使ってドッヂボールをしていました。正規の内容ではないので多くはコメントしませんでした。授業者は、生徒同士がかかわり合いながら活動する授業を目指しているということです。とてもよい視点だと思います。しかし、ドッヂボールの様子を見ていると生徒同士のかかわりはあまりよくありません。一生懸命やっているのですが、一部の生徒は外野で座ったままです。その子たちに他の子どもは参加するように促したりはしません。また、仲間同士の声かけがほとんど聞こえませんでした。今回の場面ですぐに判断するわけにはいきませんが、このことが気になりました。授業者にはかかわり合いが起こるような仕掛けや働きかけを意識するようにお願いしました。ペアでの活動であれば受け側の役割、順番に活動するのであれば自分の順番でない時の活動をきちんと指示しておくことが大切です。
生徒の集合は、だらだらしていませんが全員が同じような速さで動きました。一人ひとりが自分のペースで急げばいいのか、全体が素早く集合してほしいのかを授業者に確認しました。後者ということです。であれば、集合場所から遠い生徒はそれだけ速く移動しなければいけません。そういうことも指導する必要があるのです。また、集合した時にちゃんと顔を上げずに聞いていない生徒が数名いました。授業者はその中の一人を注意することで他の聞いていない生徒も聞くようになったと話してくれました。しかし、これでは注意をされた生徒は見せしめにされたように感じます。きちんと聞いている生徒をほめることで、聞いていない生徒に気づかせ、聞く姿勢ができた時にほめるといたやり方に変えてほしいと思います。できない子どもを減らすのではなく、できる子どもを増やす発想を伝えました。
1年生の物理は、生徒が授業者の話を聞く姿勢をとっていました。授業者は生徒のつぶやきを「いいよ、いいよ」と笑顔で拾います。受け止めてもらえた生徒に笑顔が浮かびます。こういう雰囲気が子どもに聞く姿勢をとらせているのだと思います。しかし、そのあと授業者はすぐに自分で説明を始めます。他の生徒につなげようとはしません。積極的に反応する子ども以外は受け身です。誰かが指名されると、他の生徒が自分には関係ないという態度を取るのが気になります。すぐに正解だと言わずに他の生徒にもたずねる、「今の答でよさそう?」と判断を求めることが必要になります。
運動についての学習場面でしたが、授業者は根拠や過程を重視しません。子どもに考えさせることより、結果や結論を説明することや公式に時間を割きます。ボールを落とす様子をストロボで撮ったらどうなるかを質問した時のことです。ボールが等間隔の図とだんだん距離が広がる図のどちらが自由落下か聞きます。ほとんどの生徒が正解に手を挙げますが、間違える者もいます。授業者は正解だねと言って、説明を始めます。生徒が考えることがありません。例えば2つの図を比較して何が違うかを問いかけ、一方が等速直線運動であることを確認する。もし自由落下が等速直線運動だとしたら力は働いているかどうかを確認する。その上で自由落下が等速直線運動でなかったら、ボールには力が働いていることになることを押さえる。こういうやりとりをすることで、少しでも根拠を持って考えたり、実験から何がわかるかといったことを予測したりしてほしいのです。
授業者は自分の言葉で事象を説明できるようになってほしいと思っています。試験にもそのような問題を出しています。しかし、数人しかできていなかったようです。説明はいつも授業者がして、生徒はせいぜいそれをノートに写すだけです。自分の言葉でしゃべったり、書いたりといった活動がないので試験は当然の結果なのです。子どもに思考を求めたり、自分の言葉で説明したりする活動を意識してほしいと思いました。
1年生の英語はグループ活動を取り入れたものでした。しかし、グループでどのような活動をしてほしいかが明確でありませんでした。辞書を調べて英文を解釈するのがグループ活動の課題ですが、どこを相談してほしいのかが明確ではありません。個人作業でわからなかったら聞くというものであればそれもありですが、そういうわけでもなさそうです。ほとんどの生徒は辞書を引きながら単語の意味を調べますが、その後の解釈はなかなか進みません。相談することもあまり慣れていないようです。どのようにして学ぶかということが共有されていないのです。グループにすれば子ども同士がかかわれるわけではありません。また、この日の活動の結果を全体で共有する時間もとれませんでした。とりあえず全員が解釈を終わるまでやらせようとしています。グループでの活動が成立しているのならそれもいいですが、できてしまった生徒は時間を持て余し始めています。いつもできた生徒に発表させるという発想では、こういう状況に上手く対応できません。途中でも止めて、答ではなく困っているところを発表させるのです。よくわからないところを共有して、全体で解決するかグループに戻して相談させます。こうすることで、わからない生徒も参加できますし、わかるための方法も身についていきます。
英語科全体でグループ活動を取り入れているのはとても評価できますが、この場面に限らずグループ活動の基本的なことがまだ共有できていないようです。このことに関しては英語科と話し合う時間を取りたいと思います。
この日も教科指導部の主任が一部の授業を一緒に参観してくれました。その時話題になったことをその後の自分の授業ですぐに実践してくださいました。上手くいったことと困ったことをさっそく相談してくれます。とても柔軟で積極的です。
この日は板書をせずに生徒の発言をつなぐことに挑戦されました。生徒をよく見ることで、誰が考えているか、誰を指名すればいいかが見えてきます。うまく生徒に言葉を足させていくことで、生徒の言葉でまとめることができたようです。板書をせずにまとめを自分でノートに書かせましたが、生徒は板書がないとなかなか書けないようです。自分の言葉で書けばいいのですが、正解を写さないと不安なようです。生徒のノートを見てよくまとまっているねと評価して、自信をつけさせることが必要です。こういう経験を何度か経験することで自信を持って書けるようになっていきます。思い立ってすぐに実行し、これだけの結果を出せるのはさすがです。教科指導部の主任がまず変わろうとしてくれることが私にとっては本当に心強いことです。
研究授業の授業者には、何か1つでいいから変化することに挑戦してほしいことを伝えました。次回訪問時には、指導案を見せていただく予定です。とても素直な先生方です。どのような挑戦をしてくれるかとても楽しみです。