若手の授業から意識していない行動について考える
- 公開日
- 2014/05/29
- 更新日
- 2014/06/02
仕事
昨日は小学校で授業アドバイスをおこなってきました。市内の全小学校での授業アドバイスの一環です。
2年生の国語の授業は「いなばの白うさぎ」でした。授業規律のある教室です。経験年数の少ない授業者ですが、熱意が伝わってきます。しかし、私たちが授業を見ているためか、ちょっと表情が硬いように思いました。
教科書の挿絵の拡大コピーを使って、「何がいるか」をたずねます。白うさぎがサメの上を跳んで渡っているところと、その斜め上に大国主命の姿が描かれています。子どもからサメがいるという発言がでると、「サメについて気づいたこと」と発問して、すぐに挙手させました。それまでたくさん挙がっていた手が急に少なくなりました。当然です。質問が途中で変わってしまったのですから。子どもたちの戸惑いが伝わってきます。授業者は自分が質問を変えてしまったことを意識していませんでした。意識していれば、「サメがいると言ってくれたけれど、じゃあサメについて何か気づくことないかな」と質問が変わったことを子どもにきちんと伝え、子どもが考える時間を取ることができたと思います。
大国主命の目線に注目して、うさぎを見ているといった面白い発言も出てきます。子どもたちから言葉を拾いだして拡大コピーにその内容を書き込んだ後、ペアでどんな話か予想して話し合うように指示をしました。挿絵だけから想像するということは、かなり無理があります。根拠を持って話すことは難しいことです。指示の後すぐにペアにしましたが、考える時間を与えずに話をさせるのは現実的ではありません。このあと少し時間をかけて発表をさせましたが、根拠のない予想ですので、あまり時間をかけずにこの後の話聞くための動機づけ程度にすればよかったと思います。
子どもが発表しようとしてフリーズする場面が授業中に何度かありました。授業者は子どもが発言するのを待っています。時には「こんなこと書いてあったね」と水を向けますが、なかなか動き出しません。授業者はその間じっとその子を見つめています。一概には言えないのですが、この教師のまなざしが子どもに対するプレッシャーになっているように感じました。教壇の上からじっと見られると結構強い圧力を感じるものなのです。ちょっと体をかがめて、笑顔でうなずきながら、時には視線を他の子どもにも向けることをすれば、また子どもの反応は変わったのではないかと思います。
授業者が物語を読むから目をつぶって話を聞くように指示をしました。ここで、ある子どもが教科書を見たいと言いましたが、授業者はかなりきついトーンで否定をしました。実は、挿絵の拡大コピーを提示する前に子どもたちに教科書を広げさせていました。教科書はカラーなのでそちらを見てもいいと伝えたのですが、発表の場面からは教科書を見る子どもはほとんどいません。その後も教科書を使う場面はありませんでした。使う必要が特にないのなら、最初から広げさせない方がよかったと思います。教科書を広げているから、見たくなるのです。きつく否定したことについて確認をしたところ、授業者はそのことを思い出せませんでした。これは要注意です。意識して強く否定したのではないということです。とすると、子どもが同じことをしても授業者がどのような対応をするかは恣意的になっている可能性があります。対応が予測できないので、子どもが教師の顔色を見るようになる危険性があります。教師はどんな時に厳しい態度を取るかが子どもたちにわかりやすい存在でなければいけません。厳しい態度を取ったときはその理由をきちんと子どもたちに伝える必要があるのです。
授業者は話をよく聞くようには伝えますが、その目的や目標を明確にしません。授業者の朗読を聞いているうちに集中力を失くす子どもが次第に増えていきます。聞き終ったあとに、どんな話だったかを子どもたちに発表させました。子どもたちは記憶をたぐりながら答えますが、どうしても断片的になります。どんな話か説明することを意識して話を聞いていなかったからです。話の中ではサメは「ワニ」です。このことを焦点化して、サメなのかワニなのか考えさせます。しかし、子どもたちは結論を出すための知識を持っていませんし、根拠もありません。こういう活動は空中戦になってしまいます。また、この授業のめあては「むかしばなしをきいてたのしもう」ですが、そのこととこの活動はつながっていません。楽しむのであれば、どこが面白かったかとその理由を説明するといった活動であるべきだと思います。一連の活動をもう少し連続性のあるものにする必要があります。
楽しむことでなく話を聞き取ることをめあてとして構成するという考えもあります。例えば、挿絵からどんなことがわかるか、どんな場面を描いているのかを発表させる。話を聞いて、この挿絵の場面はどんな場面を表わしていたのか聞き取る。もう一度挿絵を見ながら、物語のどんな場面かを発表させる。このような流れです。
話を聞かせた後は、「うさぎ」は「白うさぎ」、人物は「大国主命」であることを確認していきます。ここで、「なぜ大国主命とわかるの?」といった発問をすることで、袋を持っているからと聞き取った内容を根拠として説明させることを意識させます。袋の中身をたずねることで、聞き取った内容の細かいところまで問うことができます。「これはサメだった?」と問うことで、話の中ではワニしかでてこなかったことを確認します。ワニに見えないけれど、挿絵はこの話に出てくるワニを描こうとしたはずであることを気づかせ、知識として昔はサメのことをワニと言っていたことを伝えればよかったと思います。また、挿絵を見た時に子どもたちから出たことを活かして、大国主命はうさぎを見ているのだろうかと確認するのもよいでしょう。大国主命が白うさぎと出会ったのは、ワニを跳んでいる時ではなく、毛をむしられた後だから違うと、話の内容を根拠として説明させることができるはずです。挿絵の場面の確認が終われば、「この後、白うさぎは何をするのかな」と話の続きを思い出させることもよいでしょう。聞き取った内容を根拠として考える活動をできるだけたくさんさせたいところでした。
授業者と話をしていて、もう少し笑顔があるといいということをアドバイスしました。ところが授業者には心外だったようです。ちゃんと笑顔をつくっていたつもりだったのです。このことも気になることです。実は昔、私が笑顔をつくっているつもりが子どもからはそうは見ていなかったということがありました。そのため、意識して笑顔をつくる訓練をしました。この方も私と同じだというつもりはありませんが、厳しくしかった時と同じく、子どもたちから自分がどう見えるのかがあまり意識されていないようです。子どもたちの姿や行動を目指すものにすることに重点を置いているために、手段がどうであるべきか、子どもからどう見えるかまでは意識できていないように見えます。とてもまじめで熱心な先生です。こうならなければという結果を求める気持ちが強いため少し余裕を失くしているようです。笑顔のことをお話ししたのは、笑顔は余裕を持つことにもつながるからです。子どもたちと余裕を持って接することで、きっと大きく成長してくれることと思います。
他の先生の授業アドバイスについては明日の日記で。