日記

先生方の予想以上の変化に驚く(長文)

公開日
2014/10/28
更新日
2014/10/28

仕事

先週末に、小規模校で授業アドバイスを行ってきました。2回目の訪問です。

びっくりしたのが、前回のアドバイスを忠実に実行している先生がとても多かったことです。少人数の学級ではその影響は見えにくいのですが、比較的人数が多い学級では子どもたちの様子が大きく異なっていました。

2年生はベテランの国語の授業です。
子どもたちを笑顔で受容することができ、やる気を引き出すのがうまい方です。何枚かの連続した絵にセリフをつける活動をしていました。絵と絵のつながりを考えていう条件が付いています。子どもたちは既に1枚目を終えているので、それを思い出してから取りかかりました。前回は1枚目だったのであまりつながりを意識していないはずです。2枚目となる今回は、作業を開始する前に、話がつながるとはどういうことかを押さえておく必要があったのではないかと思います。
2枚目の絵だけを見てセリフを考えます。あとから修正する活動を設けて、そこで考えさせるというのならよいのですが、つながりを考えるのであればと少なくとも前後の絵を見ながらでないと、上手くいかないと思います。「つながる」というキーワードと目標や評価基準の関係を明確にするとよいでしょう。
子どもたちは、すぐに手が動きます。前向きです。日ごろからこういった活動を通じて、子どもたちをポジティブに評価していることがこの姿をつくり出しているのだと思います。わずかな時間見ただけで、言うべきことではないかもしれませんが、指示や説明が伝わらなかった時の補足やアドバイスを個別の指導に頼るところがあります。子どもが困ればすぐに先生が助けます。子ども同士のかかわり合いを意識してほしいと思います。

3年生は算数の授業でした。
前回訪問した時は、授業者が一方的に説明する場面が目についたのですが、今回は全く別人のようでした。同じことを何人もの子どもに説明させています。子どもの発言をうなずいて聞き、しっかり待つこともできています。いつも、子どもを見ることを意識しています。子どもたちも、集中して発言を聞いていました。
指名されてどうしても発言ができなかった子どもがいた場面で、授業者は「助けてくれる人?」としました。他の子どもが手を挙げて説明をしたのですが、答えられなかった子どもはその後しばらく元気がありませんでした。助けてもらったというより、失敗したという思いの方が強いのだと思います。「助けてくれる人?」ではなく、「まわりの人助けてくれる?」として、まわりの子どもが発言者を助けて本人の口で説明させるようにするとよいでしょう。たとえオウム返しでもいいのです。本人が発言して、「よく言えたね」とほめられることが必要なのです。「助けてくれてありがとう」「助けてもらってよかったね」と双方に声をかけて、助け合えることを肯定的にとらえる空気を学級につくるようにします。
また、教科書のキャラクターの言っていることを説明させる場面がありました。キャラクターの言葉は、自習や子どもから考えが出なかった時のためにあるものです。子どもからそういった考えを引き出すようにしてほしいと思いました。

4年生は、初任者の国語の授業でした。
自作の詩の朗読の仕方を考えて練習する場面でした。グループで互いに朗読の仕方をアドバイスし合っています。子どもたちとの関係が上手くいっているのが、授業者がグループとかかわると、子どもが友だちへのアドバイスなのに一生懸命教師に向かってしゃべることでわかります。先生に聞いてほしいのです。しかし、このような行動は望ましものでありません。授業者がその場を離れると、今度は友だち向かって一生懸命に説明していました。教師が子ども同士のかかわり合いを結果としてじゃましていたのです。グループ活動なのに教師に向かってしゃべるような時は、笑顔で軽く首を振って友だちに向かうようにうながすとよいでしょう。また、すぐに子どもたちの活動を見に行くのではなく、少し離れたところで見ていることも大切です。
詩の朗読に関して、どのような工夫があるか、過去どのようなことを意識して朗読したかかといったことを全体で確認してから活動するとよいでしょう。工夫するための足場をつくることが必要です。また、朗読の目標も明確にするとよいでしょう。聞いた人にどのように感じてもらいたいかを意識することで、発表の後の評価もしやすくなります。
初任者指導の先生の指導のおかげもあり、前回の訪問時と比べると確実に進歩していることをうれしく思います。

6年生は算数の授業でした。
子どもが説明した後、納得できたかどうか聞きます。子どもたちはしっかりと聞いて反応を示します。続いて別の子どもが説明し、納得した子どもが増えたことを評価します。最後に1人、なかなか納得できない子どもがいます。また別の子どもが説明に挑戦します。1人納得できない子どもは終始真剣に聞いています。説明が終わったあと、拍手が起こりました。納得できなかった子どももうれしそうに拍手をしています。何となくではありますが、納得できたと言ってくれました。他の子どもたちもとてもうれしそうでした。とてもよい場面に出会えました。授業者は、一問一答を止めて、子どもたち自身が何度も説明し合うことで理解する授業スタイルに変えてくれました。自分の今までのスタイルを変えることはなかなか難しいのですが、前向きに挑戦してくれたようです。とてもうれしいことです。

授業研究は。1年生の算数と5年生の国語で行われました。
1年生の算数は、繰り上がりのある足し算です。どちらの数でも10をつくることができることを考える場面でした。授業者は子どもたちの発言をしっかり受容しようとしています。子どもの考えをつないで、子どもたちの言葉で説明しようとしていました。子どもたちとの関係もよく、引き付けるための工夫もいろいろとしているので、どの子どもも積極的に授業に参加してくれました。
子どもたちの状況がよいので、算数の授業の進め方が気になりました。この日の課題は赤い箱に4個、青い箱に8個、おにぎりが入っていて、合わせて何個というものです。子どもに数字はどれと問いかけ、4と8に○をつけます。続いて大切な言葉を選ばせます。「あわせて」という言葉から足し算だとわかるので「あわせて」に○をつけます。こういったやり方をよく見るのですが、これはとても危険な教え方です。子どもは、数字を見つけて何算かを考えるのが算数の問題を解くことだと思ってしまいます。これでは、大切な問題を把握する力はつきませんし、教科書が意図的に赤い箱、青い箱と区別をし、それぞれの箱が10個入るような絵を描いていることがムダになってしまいます。問題文を読んで、その表わす状況を具体化できることが大切です。それを助けるために教科書は必ず図が描かれているのです。2つの箱におにぎりが入っていて、それを合わせるということはどういうことか、具体的に操作させてもいいでしょう。問題文の表わす状況を具象化することを通じて足し算になることが理解できるのです。「あわせて」と書いてあるから足し算ではなく、問題文の「あわせて」という言葉の表す状況から足し算であることがわかるのです。
合わせるという操作を赤い箱に詰めて行うのか、青い箱に詰めて行うのかで、10をつくる2つのやり方に気づかせるのです。ここまでで、10の補数を考えてきているので、4にいくつ足すと10になる、8にいくつ足すと10になるという発想を大切にする必要があります。授業者は数図ブロックを使って演算までさせましたが、ここは10の補数を考えるために使うにとどめるべきだと思います。
教科書は、「10の固まりをつくって考える」「操作活動を通じて、10の固まりをつくるために、もう一方の数から補数を持ってくる」「10の固まりをつくるために、補数を考え、補数を使ってもう一方の数を分解する」「補数がわかれば、すぐに計算ができる」「どちらの数をもとに10をつくってもよい」といった流れで考えるようになっています。前の時間にやったことをもとに積み重ねていくのですから、10の補数を使わずにブロックの操作活動に戻ることは避けたいのです。いつも言うように、教科書に縛られる必要はありませんが、教科書の意図は正しく理解してほしいのです。
また、「さくらんぼ図をどちらにつくってもいい」とさくらんぼ図を起点として説明をしました。これも問題です。どちらの数をもとに10をつくるか決めて、もう一方の数を、補数を使って分解するのです。「どちらに10をつくってもいい」とするべきなのです。

5年生の国語は、気持ちを上手く伝える言葉について考える授業でした。
気持ちが上手く伝わった、伝わらなかった経験を書いたカードをもとに、その原因をグループで考え、全体での発表の方法を考えるという場面でした。この日の流れとゴールがはっきり示されないまま、一つひとつの活動が進みます。子どもは原因を話し合うのですが、その目的がよくわかりません。何となく話しているのです。
子どもたちは自分の経験を、カードをもとにして話すのではなく、順番に回して読み合っていました。ワークシートやカードを使った時によく起こることです。書かれたものに頼らず話せるようにすることが大切です。
授業者は順番にグループを回ります。そこで、個別に指導を始めてしまいます。個別指導を多用すると子どもたちはわからなかったり苦しくなったりした時に自分たちで考えずにすぐに教師に頼るようになってしまいます。活動が止まってしまうような状態であれば、いったんグループ活動を止めて、全体で困っていることを共有し、子どもたちで解決できるようにするとよいでしょう。
続いて、どうすれば伝わるのかを発表する方法を「選ばせ」ます。教科書に書いてある例を読んで、それをもとに選ぶというのです。発表方法を選ぶのは何のためかという目的が明確ではありません。子どもは自分がやりたいかやりたくないかを主張します。まず、選ぶのではなく考えることが大切です。聞いている人にどうなってほしいか、そのためにはどんな方法があるか、過去の経験を発表させる、小規模な学級なので、あまり出てこないようであれば、教科書の例も参考にする。与えられたものから選ぶのではなく、目的から方法を選ぶという決定方法を取らないと、根拠のない話し合いになってしまいます。
授業者は、子どもとの関係もよく、指示も徹底できます。だからこそ、単なる作業ではなく子どもたちが考えるためにどのような課題や指示をすべきかを考える必要があると思います。
授業の最後に漢字の学習をしました。こういった練習や小テストは授業の最初におこなうことが多いのですが、子どもが一番やる気のある時間を練習に使うのはちょっともったいない気がします。声を出したりして脳を活性化するという意味で最初にやることは否定しませんが、本時の学習が一通り終わった後でこういった学習ができるのであれば、とてもよいことだと思います。問題は、そこで子どもたちが集中できるかです。この学級では、子どもたちはとても素晴らしい集中を見せてくれました。これであれば、最後にやった方がいいと思えるものでした。

授業検討会の場では、教科書の意図を読み取ってほしいことを先ほどの算数の単元を例に、具体的に話しました。算数に限らず、教科書のキャラクターや子どもの発言は、それを前提とするのではなく、子どもたちから出させたいことであることにも注意してほしいことを伝えました。
単元、1時間の授業、一つひとつの活動、それぞれに目標となるゴールと評価の基準を子どもたちにわかる言葉で明確にすることが必要です。また、個別指導に頼らず子ども同士のかかわり合いを大切にすることもお願いしました。

私の予想以上に多くの先生がよい方向に変わっていました。この素直な気持ちを忘れずに研究に取り組んでいただければ、とてもよい授業スタイルがこの学校に根付いていくと思います。