先生や子どもたちの頑張る姿を見る
- 公開日
- 2015/06/09
- 更新日
- 2015/06/11
仕事
小学校の授業研究に参加してきました。授業研究に先立ち4人の先生の授業を参観しました。先生や子どもたちの頑張っている姿をたくさん見ることができました。
1年生の国語の授業は、なかなか椅子にきちんと座れない子どもがいました。あいさつの後、他の子どもたちを待たせて、椅子に座るようにうながします。叱ることなく辛抱強く対応します。これ以上他の子どもたちを待たせるのは限界かなというところで、その子どもが席を立って自分の列を一周します。授業者は「一周したら席につこう」と声をかけました。その子どもは歩き終ると満足したのか、席につくことができました。この授業中はずっと席についていることができたようです。授業者は、前へ戻ると「みんな待っててくれてありがとう」と一声かけることを忘れませんでした。子どもたちは先生の言葉にうれしそうに反応します。子どもたちとの関係ができていることを感じました。この後、子どもたちは集中して授業に参加しました。授業者は表情を崩さず、叱ることをせずに対応し続けました。よく踏ん張ったと思います。
先ほどの子どもは教科書もなかなか開きません。しかし、席についておとなしくしているので、授業者は様子を見ていました。これはよい判断だと思います。あまりにこの子どもにかかわりすぎると学級全体がおかしくなってしまいます。個人作業の時などに個別対応しますが、行動をうながす前に頑張って席についていることを一言ほめるとよいでしょう。この子どもも思い出したように教科書を開くときがあります。そういう時に一声ほめることが大切です。気の長い話ですが、よい行動をほめながら少しずつよい行動を増やすのです。
子どもたちを先に6人指名して順番に音読をさせます。この時、聞いている子どもの役割がはっきりしません。どうしても集中力が落ちてしまいます。それぞれの役割や活動を明確にし、終わったあとに評価することを忘れないようにします。
指名した子どもの声が小さい時がありました。授業者は、「聞こえた?」と発表者と反対側の子どもに確認しました。よい対応です。一方的に「大きな声で」と指示するよりも、他の子どもとのかかわりの中で大きな声を出そうとさせることが大切です。もし聞こえていなかったなら、「いいこと言ったから、もう一度聞こえるように話してくれる?」と発表者に声をかけ、聞こえなかった子どもに聞こえたかどうかを確認します。聞こえたら「○○さんの話してくれたこと、もう一度言ってくれる?」と言わせることで、発表者にちゃんと聞いてもらえたという達成感を持たせます。
ある子どもが発言した後、他の子どもが「はい」という返事がなかったことを指摘しました。言われてみればその通りです。しかし、指摘された子どもの表情はよくありません。その子どもにとってネガティブを言われたからです。こういう時は、「○○さん、『はい』って言わなかった?教えてもらえてよかったね。気づくことができたから次からは言えるね」というようにポジティブに言い換えることが大切です。この時教師が笑顔をつくることで、言葉だけでなく、表情でも「よかった」ことだと伝えることを忘れないようにしましょう。
2年生の国語は、アナウンスを聞いて教科書の絵から迷子を捜す場面でした。
ワークシートを使って、聞きとった特徴を確認します。ワークシートには「ふくそう」といった視点がすでに書き込んであります。これでは、子どもが特徴を聞き取るのではなく、ワークシートの項目を聞き取ることになります。この教材の国語としての目標とはずれてしまいます。また、その結果を発表しても、聞き取れなかった子どもは、確認のしようがありません。わからなかった、できなかった子どもができるようになる場面が必要になります。
「遊園地の絵を見て、迷子を捜してもらうのにはどんなことをアナウンスしてもらえばいいかを考える」「一度アナウンスを聞いて、迷子を捜すのに役に立ちそうなのはどんなことかを発表させる」といった活動を通じて特徴を意識させてから、あらためてアナウンスを聞いてメモをとらせるとよいでしょう。その時、「ふくそう」「○○」と分けて書くことを指示して、どんな視点があったかをまず確認します。聞き取れていない子どもがいたら、「本当に言っていたかな?」と再度アナウンスを聞かせて、確認します。
その情報をもとに子どもを探す活動は、国語本来の学習活動ではありません。素早くやらせ、隣同士で確認させて終わるといった程度でよいでしょう。
4年生の道徳は命の大切さを考えさせる授業でした。
授業者は子どもたちとの関係もよく、子どもたちはよく集中しています。まず、子どもたちに命は大切であることを確認して授業に入ります。アザラシの写真をディスプレイで見せて、子どもたちから「かわいい」という言葉を引き出します。その上で、次の写真を見せます。アザラシを人間が殺そうとしている写真です。アザラシを食べることや、毛皮を服にして寒さをしのぐことを伝えた上で、殺すことに賛成かどうかをたずねます。子どもたちに、自分の考えをたくさん発表させます。子どもたちは自分の意見を言って終わりではなく、友だちの言葉をとてもよく聞いています。何を言っても安心な雰囲気があり、自分たちの言葉で授業が進んでいるからでしょう。「外国の人の命も大切」という言葉が出てきました。そのまま次の子どもの意見に進んでいきましたが、ここは立ち止まって、「それってどういうこと」と聞き返したいところでした。この授業のねらいに近づける発言だった思います。
授業は続いて牛の写真とおいしそうな牛肉の写真を見せて、「牛は殺してもいい?」と問いかけます。賛成の意見が増えます。
この後、「肉を食べなくても生きていける」といった極端な意見も出てきたようですが、最後は授業者が「いただきます」の話をして、人間が生きるために奪わざるを得ない命に感謝して終わったようです。子どもたちはその後の給食の時間では、「命に感謝していただきます」と言ったそうです。素直な子どもたちです。
オーソドックスな展開の道徳ですが、学級がとてもよい状態なので、子どもたちがよく考える授業になりました。
この授業では、動物を殺すのは「賛成」か「反対」かを軸にして考えたのですが、最初の「命は大切か?」から始まって、「命を大切にするってどういうこと?」を軸にして考えると、もう少し深く考えることができたのではないかと思いました。「殺さないこと」といった意見をまず出させてから展開し、最後にもう一度同じ質問をするのです。
道徳では、最初と最後に同じ質問をして、気持ちや考えの変化を共有するといった方法があります。こういう方法も知っておくと、道徳の授業づくりの幅が広がると思います。
3年生の道徳は、相手の気持ちを考えることについての授業でした。
私が見たのは、「悪口を言ったグループの子どもたちに対して、言いたいこと」を聞く場面でした。こういう課題にすると、子どもたちは第三者的な立場に立って、無責任に相手を批判したり、一方的な正義感を押し付けたりします。そうではなく、相手の立場に立って考える、自分のこととして考えさせることが大切です。
ここでは、「悪口を言ったグループのリーダー格の子どもの気持ち」「グループの他の子どもの気持ち」を問うことから始めるとよいでしょう。悪意があったと考える子どももいれば、悪気はなかったと考える子どももいるでしょう。リーダー格ではない子どもたちは、同調しなければ自分がいじめられると考えるかもしれません。いじめでよくある構造です。子どもたちは自分が思いもしなかった考えに触れることで、考えが深まっていきます。そして、最後に「あなたがそのグループにいたら、どう行動するか?」を聞くことで、自分の問題として考えさせます。「止める」といった子どもがいれば、「あなたがいじめられるかもしれないよ?」と揺さぶってもいいでしょう。ただ、子どもたちの考えに優劣をつけるような発言をしてはいけません。子どもたちの本音を聞き合うことが大切です。少しでもいいので、子どもたちの変容をうながし、今後の子どもたちの行動につなげるのです。過去の体験を振り返って終わる道徳をよく見るのですが、私はあまり賛成しません。過去の体験をもとに、これから先の行動を考えることが大切だと思っています。
授業研究については、明日の日記で。