日記

参加者のレベルが高い研修会

公開日
2015/06/27
更新日
2015/06/27

仕事

市の授業力向上研修会で講師を務めてきました。年3回の第1回目です。市内の各小中学校から、若手を中心に参加をいただいています。今回は参加者の1名が授業をして、全員で検討をするというものでした。

授業は中学校1年生の国語の表現の授業でした。子どもたちに「キムチ」を実際に食べさせて、その美味しさをグルメレポーターとして伝えるというものです。
子どもたちに教科書を開かせて、授業者が教科書の一部を読みながら授業の説明をします。範読ではないので、子どもたちは教科書を見る必要はありません。授業者は歩きながら説明をしますが、視線は子どもたちに向きません。教科書は使わず顔を上げさせて、全員を見ることができる前方から、一人ひとりの顔を見ながら話をするべきだったでしょう。
グルメレポーターを話題にしますが、よく知らない子どももいるようです。一部の子どものテンションだけが上がります。シチュエーションを理解させるだけの場面ですから、早く説明して本題に入りたいところでした。
この日のめあてを子どもたちに聞かせ、記憶をもとにノートに書かせます。集中させるのにはよい方法です。しかし、子どもたちがノートに書き終ってから、めあてを板書し始めます。これは時間のムダです。このやり方をするのであれば、めあてを書いた紙を用意して貼るといったことが必要でしょう。
キムチについて知っていることを問いかけます。授業者は子どもたちをよく受容することができます。子どもの答を聞いて、問い返したりすることもできます。しかし、発言者と二人だけの世界に入ってしまい、他の子どもにつなぐことはしません。子どもも授業者に向かってしゃべります。また、子どもが発言するとすぐに板書をしますが、子どもの視線を奪うことになります。子ども同士がかかわり合うことをもう少し意識することが必要でしょう。
「ひりひりする」という言葉に対して、「口の中が燃える」と子どもから足されます。授業者は「口の中」に注目させます。五感をもとに表現を考えるためです。しかし、子どもの言葉や表現を豊かにするというのであれば、「ひりひり」という「擬態語」や「燃える」という「比喩」表現に注目しないのは疑問です。せめて「本当に燃えるの?」とぼけたりして、こういった表現を意識させたいところです。
体の図を使って感覚器官に注目させ、板書した子どもの言葉を「見た目」「味」と授業者が説明します。子どもたちから出てきた表現を分類させますが、「耳」という子どもの発言を授業者が「音」と言い換えました。子どもは感覚器官の図に引きずれていたのです。教師が勝手に言い直すのではなく、「見た目はどこでわかる?」「味は?」と聞いて、「耳でわかるのは?」というように、先ほどの「見た目」「味」と関連させて子どもから「音」という言葉を子どもから出させたいところです。
五感の内、「手」に関することが出てきません。足りないと言って子どもに問いかけます。挙手した子どもが「しょっかん」と答えました。授業者は「食感」と解釈して、ここで挙がった表現全部が「食感」だと説明します。発表した子どもは納得していないように見えました。「触感」といったつもりだったのかもしれません。「『しょっかん』ってどういうこと?」と確認をするべきだったでしょう。
グループになってキムチを食べます。子どもたちは素早くグループの隊形になります。この活動に意欲的なことがわかります。「3番さん取りに来て」と子どもを指定して取りに来させます。こういう指示の仕方は上手です
子どもたちは黙って味わいながら食べます。授業者は食べ終わると元の隊形に戻させました。グループにした意味がよくわかりません。授業者は「2分でたくさん書いてください」と指示しますが、「何を?」という声が聞こえてきます。個人の形になった時に、子どもの動きを一度きちんと止めてから、ていねいに指示をする必要があったでしょう。
子どもたちは、再びグループになって付箋紙に書いたキムチを表現する言葉を五感ごとに集めます。しかし、それとこの授業のゴールであるレポーターとして「美味しさを伝える」こととどうつながるのか道筋がよく見えません。考えることがあまりないので、単純な作業になってしまい、子どもたちのテンションが上がり始めます。授業者は教室の中を常に移動し続けますが、子どもから質問されると一人の子どもと話し続けます。これでは、学級全体の様子を把握することができません。昼休みの様子を見ていると、子どもたちは些細なことでテンションが上がりやすい状態になっています。授業者は子どもたちのテンションが上がりすぎないように常に全体の様子を把握している必要があります。
続いて、個人で五感を意識してグルメレポートを書きます。このレポートの目的は何であるかは確認しません。というか「美味しさを伝える」ということは授業者にとっての目的ではなかったのでしょう。そのため、ここで押さえることをしなかったのです。
全体での発表です。発表者が決まると子どもたちのテンションが上がります。聞く側の視点、発表する側の視点が明確にならないままに活動が始まったので、無責任にこの場面を楽しむことになったからです。発表が終わると拍手ですが、これもテンションが上がる要素です。授業では儀礼的な拍手にはあまり意味がありません。きちんと評価と一体化する必要があります。授業者は「上手な表現」という言葉で評価しましたが、「上手な表現」とはどういうことでしょうか。抽象的な言葉で曖昧に評価しても子どもたちの力にはつながりません。子どもたち自身で評価できる具体的な基準が必要になります。
個人活動、グループ活動、全体発表それぞれの場面の目的、目標、評価が曖昧なまま進んでしまいました。
グループ活動では、でてきた表現を「美味しさ」を感じさせるものとそうでないものに分ける。そうでないものはどのように言い換えると「美味しさ」を感じさせられるかものになるかと考える。また、これ以外にも「美味しさ」を感じさせる表現はないか考える。グルメレポートの目的もキムチが嫌いな人にも「美味しそうだ。食べてみたい」と思ってもらえるものにし、目標は発表を聞いた人にできるだけたくさんそう感じてもらうとする。このようなことを考える必要があると思います。
授業者は、子どもの言葉を拾いよく受容することができます。子どもとの人間関係も良好です。しかし、授業中に日ごろの生活の場面での人間関係が持ち込まれています。席の離れた友だちと話をする子どもの姿も目につきます。このことに注意しないと、授業規律が崩れる危険性があります。

全体での授業検討会は、3つのグループに分けて話し合いました。焦点化したいので、子どもたちに「どんな力がついたのか?」「どのような変容があったのか?」を中心に話し合っていただきました。この市では、グループでの授業検討が定着しているので、スムーズに話し合いが進みます。ほどよいテンションでよく聞き合えています。
どのグループの発表も、とても的を射たものでした。授業者のよさを具体的に伝え、この授業の課題をきちんと指摘するだけでなく、こうしたらもっとよくなるのではないかという提案も同時にしてくれます。だれもが納得できるものです。私などいなくても、彼らだけで十分に学べるというか、私自身がしっかりと学ぶことができました。予定していたこの授業における目的や目標をどう考えるかという話は止めて、より一般的な目的、目標、評価基準、評価場面の話や子どもとのつぶやきの拾い方、つなぎ方について話をさせていただきました。

もう何年も続いている研修ですが、毎年参加される先生方のレベルが上がっているように感じます。どの学校もきちんと授業研究をしているからこそ、これだけの検討会になるのだと思います。参加者の発言から私が学ぶこともどんどん増えてきているように思います。私にとっても楽しく学びの多い研修会になりました。
次回の研修で模擬授業をしてくれる先生もとても意欲的です。次回がとても待ち遠しく思えます。