子どもたちに伝えたいものがある授業だから考えさせられる(長文)
- 公開日
- 2016/07/06
- 更新日
- 2016/07/14
仕事
昨日の日記の続きです。
ベテランの先生方もグループを活用した授業に挑戦してくれました。
高校1年生の国語は絵や写真を言葉で表現する授業でした。
最初の挨拶の時に、子どもたちをよく見ています。準備ができていない子どもがいたので、号令を待つように指示しました。
柔らかい雰囲気で、穏やかな語り口です。教科書を開くように指示すると、子どもたちは落ち着いて指示に従います。子どもたちとの関係のよさが感じられます。
夏目漱石の夢十夜の紹介を行います。作品の一部を範読し、続いて、夢一夜を漫画化したものも紹介します。漫画では女性がベッドに寝ているが、自分は小説を読んで和室で布団に寝ているイメージを持ったことを話し、受け取るイメージが人によって異なることがあると伝えます。ちょっとした読書紹介ですが、そこに授業者の伝えたい思いがさり気なくこもっていました。子どもたちに伝えたいことをたくさん持っている方のようです。押しつけがましくなく伝えようとするその姿勢は、子どもたちにも伝わっているように思いました。
「絵と文章の間には落差があることを学習した」と前回の授業のまとめを授業者が説明します。今日はその続きをもうすこしやってみようと伝えます。子どもたちは授業者の言葉を聞いていますが、顔は上がりません。「どんなことを学習した?」と子どもたちに問いかけて、顔を上げさせたいところでした。
校舎のような建物の前で家族らしい大人と子どもが写っている集合写真を見て、内容がよくわかるような説明の文章を書くのがこの日の課題です。教科書に従って、全体、人物、背景の3つの視点で文章を個人で書き、その後グループで突き合わせてまとめます。この日の活動の流れをきちんと伝えていますが、やはり子どもたちは教科書を見ていて顔が上がりません。続いて授業者は今指示した内容を板書します。ここで子どもたちの顔が上がり始めます。板書の後、客観的な文章で箇条書きにすると補足します。ていねいな対応で指示を徹底させていますが、一方的なコミュニケーションになっているのが残念です。
何をするのかはとても明確なのですが、子どもたちは指示に従って活動しているだけです。この活動の目的や目標が子どもの視点で明らかになっていないことが気になります。子どもたちは3つの視点で箇条書きにしていきますが、どのような文章が書ければよいのでしょうか。その評価の基準はどのようなものでしょうか。「読んだ人がどのような写真か想像して、本物に近いイメージが持てるような文章にする」「写真の雰囲気までも伝える」といった目標が必要なように思います。
机間指導で子どもの書いているものを見ながら、「真ん中の女の子の入学じゃないかもしれない」「まずは、自分で」とヒントを話したり追加の指示を加えたりします。「たくさん書くように」と途中で目標が追加されました。「家族じゃないかもしれない。男の人と女の人の間に隙間がある」と揺さぶったりもします。もしこういったことをするのであれば、途中でいったん止めて、どんなことを書いたか何人かに発表させ、そのやり取りの中で授業者が写真の中の「事実」と写真を説明する「客観」を意識させるような働きかけをすればよいと思います。
5人のグループになって互いに聞き合います。グループをつくる時の子どもの動きがやや遅いことが気になります。通常の隊形と違い、輪になります。面白い試みです。教室に余裕があるので可能になっています。ただ、反対側の子どもと距離が大きくなるので、声を大きくする必要がありそうです。子どもたちは、程よいテンションで話していましたが、一通り発表し終わったころに、一部のグループで大きな声が上がりました。何か面白いことを発表した仲間がいたのでしょう。それを引き金に全体のテンションが異常に上がりだしました。ちょっと心配な状況です。授業者はしばらく様子を見ていましたが、次の活動に移るための指示を始めました。よい判断です。ところが先ほど声を上げたグループの子どもがしゃべるのをやめません。「○○班の人。△△君、どう?終わった?」としゃべっている子どもに声をかけます。決して強い口調ではありません。しかし、すぐに口を閉じ落ち着きを取り戻しました。子どもとの関係がよいからこそ、指示が通るのでしょう。
続いて、仲間の情報で参考になるものを付け加えてよいので、これらをもとに客観的に全体の構成をまとめることを指示します。「校舎が白いので新築1年目」と書いてあったが、これは客観ではないと注意をします。前時までに主観と客観の違いは押さえてあったと思いますが、まだ注意が必要なようです。ここで、授業者が明確にこれは違うと否定していますが、できれば子どもたちにどう思うか聞いて、自分たちで判断、修正させたいところでした。
グループの隊形のまま、個人作業に入ります。どのようにまとめればいいのかよくわからなかったのでしょう、書き始める前に相談している姿が見られます。方向性が見えたのでしょう、しばらくするとしゃべるのをやめて書くことに集中し始めました。ただ先ほど声を上げたグループは、なかなか書き始めようとはしません。声こそ大きくないのですが、まだしゃべっているようです。授業者は机間指導をしているのですが、そのグループにはなかなか向かいません。気づいていなかったのかもしれません。結局そのグループの数人は、最後まで書くことに集中しませんでした。
子どもから受けた「操作報告のように書くのですか?」という質問を全体に対して説明します。子どもたちの作業を止めずに話をするので、手が止まらない子どもがほとんどです。この質問を活かすのであれば、全体を止めて中間発表をし、その中で「○○君が面白い質問をしてくれた。聞かせてくれるかな?」とその子どもに発表させて、「どう思う?」と子どもたちに判断させたいところでした。
書き終った子どもが出てきたので、早く主観、妄想を入れた文章を書きたい子どももいるだろうからと、並びに書くように指示しました。「妄想」を書くことは面白いと思うのですが、できれば「推測」としたいところです。何らかの「根拠」が必要なのが「推測」です。「妄想」では根拠も何もありません。ちょっと飛躍しすぎるように思います。
作業をやめて、元の隊形に戻り、「書いたことについて振り返ってみましょう」とまとめに入ります。ここで授業者が「客観と主観で文章を書いたけれど、客観で文章を書くのは難しいと感じてくれればいい」とまとめます。これでは授業者が子どもたちに感じてほしいことを結論として強制していることになります。振り返りは、子どもたち自身に出力させるべきものです。
2020年の入試の予想問題の例として、800字で写真の意味を説明する問題を紹介し、これからは、一問一答形式の答が明確にあるものではなく、自分で考え、自分なりの答を生み出すことが大切であると説明します。子どもたちは活動するのですが、最後は授業者が伝えたいことを一方的に話す形になっていました。子どもたちが書いた文章をもとに考えたり、深めたりする場面がありません。伝えたい思いがたくさんあるために、こうなってしまったのだと思いますが、子どもたち自身の言葉で語らせたいところでした。
今回の授業は、与えられた写真でやらされている感があったと思うので、次は自分たちで選んだ写真でやることを告げ、授業者が用意したインパクトのある写真を紹介して終わりました。
この授業の続きを別の学級で見ることができました。
授業者は毎時間、読書や授業に関連しものを紹介しているようです。今回は、絵や写真を表現することに関連して、小説の脚本化の例を少し話されました。こういった活動もしてみたいと伝えます。国語教師として、子どもたち伝えたいことが全身からあふれているような方です。だからこそ、子どもたちは授業者の話を真剣に聞いているように思いました。ある種、古き良き時代の教師の姿を彷彿とさせてくださる方です。とはいえ、新しい授業スタイルに挑戦するという姿勢も併せ持っていられます。こういう先生にお会いできたことはとても幸せなことです。
前時の活動を授業者が振り返って、この日の活動に移ります。アクティブ・ラーニングという言葉を主体的に学ぶと説明して、教科書の写真ではやらされている感が強いので、今回は子どもたちが選んだ写真をもとに、前回と同じような手順で進めることを伝えます。
用意された写真は、「銃弾を受けてまさに崩れようとする兵士」「餓死寸前の子どもを、その横でじっと見ている禿鷹」「ベトナム戦争で、ナパーム弾で焼け出されて裸で逃げている少女」「阪神淡路大震災で、崩れた橋から今にも落ちそうなバス」など、子どもたちを惹きつけるインパクトのある報道写真です。黒板に貼っていくと、子どもたちからは、「おー」といった声が上がります。中にはその写真を見たことのある子どももいるようです。授業者はこの写真がどういうものであるかの説明は一切しません。子どもたち自身で読み取らせようというのです。
グループで、どの写真を選ぶかを決めさせます。この学級は人数が少ないからでしょうが、先ほどの学級と違い4人グループで、机はピッタリとくっつけました。
子どもたちで写真を選ばせることを主体的と言っているのですが、グループで一つ決めるのは問題があります。決定するための根拠がないからです。それぞれの思いがぶつかったときに、自分の思いを通せない子どもが出てきます。グループで同じ写真について書くことで、互いに学び合わせるのがねらいならば、まず自分の書きたい写真を選ばせて、同じ写真を選んだ子どもでグループをつくるという方法もあります。人数の調整が難しいかもしれませんが、自分で選ぶことを優先した方がよいように思います。1人しかいない子ども同士でグループをつくるのもありではないでしょうか。
子どもたちはどの写真にするか決めかねているようです。近くで見ていいよと授業者が声をかけると、2/3ほどの子どもたちが席を立って黒板に見に行きます。一部の子どもだけが見に行っているグループもありましたが、途中で残りの子どもも見に行きます。写真を前にして相談を始めるグループもあります。誰も席を立たなかったグループは、人だかりが消えると全員で見に行きます。なかなか面白い行動でした。
席に戻って来てすぐに書き始めている子どももいますが、次の指示待ちをしているのか多くは動きがあまりありません。授業者は各グループが選んだ写真を個別に確認した上で、必要なグループには写真を渡しました。この動きをきっかけに子どもたちは鉛筆を持ちます。
しばらくすると、子どもたちの手の動きが止まりだします。絵を前にして話している子どももいますが、なかなか4人のかかわりは生まれません。しかし、ある程度時間が経つと子どもたちは話し始めます。どう書けばいいのか、一人では行き詰まったのかもしれません。子どもたちが話し出したのを見て、「文章にして見てね」と授業者が書くことを促します。「あと5分待ちましょう」と授業者がタイムリミットを設定すると、書くことに集中し始めました。
「客観的に書くこと」が、活動の目的ですが、今回の写真は客観的な事実を切りとることで撮影者が伝えたい主観があります。ここをどのようにとらえるかが難しいところです。書けた人に対して、今度は主観で書くように指示します。子どもたちは、時間いっぱい集中して書き続けました。
最後はグループで読み合って、代表を決めるように指示しますが、客観的に表現することの意味がはっきりしていません。表現することで何が伝わればいいのかが明確ではないのです。この一連の活動の前に、客観的な文章を書く意味、その価値について子どもたちが考える、気づくような場面が必要だったと思います。
活動を終わって、授業者がまとめに入ります。子どもから「これって正解があるんですか?」という質問があったことを伝え、「正解があるわけではない」と前置きした上で、写真の解説を始めました。「目の前で死にかけている子どもを助けずにシャッターを切っていると非難された」といった、それぞれの写真にまつわるエピソードも話します。その話を子どもたちはとても集中しています。ここでも、これらの写真を通じて伝えたい授業者の思いを強く感じます。このことはとても素晴らしいのですが、子どもたちが行った活動の具体的な評価や価値付けがなかったことが残念でした。
授業について深く考えられている先生です。自分が伝えるのではなく、子どもたちから引き出すことを意識されると、授業は大きく変わると思います。この先生の授業が今後どのように変化し、進化していくかとても楽しみです。
この続きは、明日の日記で。