グループ活動の後の発表を考える
- 公開日
- 2016/07/07
- 更新日
- 2016/07/07
仕事
昨日の日記の続きです。
ベテランの国語の先生は、高校の授業で古典の作品の一場面をグループで絵にするという活動を取り入れています。今まで教科書の脚注や資料集を見なかった子どもたちが、積極的に見るといった変化が見られるようになったそうです。グループの中から「あー、そうだったのか」といった声が上がったりもするそうです。
この日は、2年生の古文での授業です。
徒然草の「世に従はん人は」の「沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし」が表していることが何かをまとめ、この話から場面を選んでイラストにするのが課題です。これまでに、グループでワークシートにキーワードを書きだし、それをもとにまとめる作業をして、イラストも描いています。
グループの隊形になるように指示をし、班長を集めてこの後の活動の指示を行います。机を移動したばかりの落ち着かない状況で班長を集めたので、ざわつきが止まりません。全体に対して指示、確認をしてから、グループにした方がよかったでしょう。
互いにまとめを聞き合い、質問や疑問があれば話し合って、その内容を代表が全体で発表する流れです。
子どもたちの様子を見ていると、互いに聞き合っているというよりも、発表予定者が仲間の意見を聞いてまとめているだけのような感じがします。意見をもとに話し合えているグループは少ないように感じました。
代表が前に出て発表しますが、子どもたちの顔が上がらないことが気になります。発表者も手元のまとめを読んでいるので子ども同士の視線が交わりません。子どもたちは自分のまとめと比べているのでしょうか、ワークシートを見ながらもよく聞いているように見えます。しかし、発表を聞くことの意味が明確になっていないので、子どもたちが発表から何を得ようとしているのかはよくわかりません。また、自分の発表が終わるとほっとしてか、その後聞いていない子どももいます。聞く目的をはっきりさせる必要があります。
発表が終わると質問を受け付けますが、なかなか質問は出てきません。発表のねらいもはっきりしていないので、質問をする視点も明確ではないのです。最後に子どもたちが拍手をして終わります。しっかりと拍手をすることから、子どもたちの人間関係のよさを感じます。しかし、形式的になっているように思います。この一連の活動の目標に対してどうであったかという評価が必要です。これが、明確になっていないので形式的な拍手での評価で終わってしまうのです。
発表を聞きながら本文にあたるなど、何らかの反応を示す子どもがいます。質問が出にくいのであれば、代わりにそういう子どもたちに何か問いかけてみると面白かったかもしれません。
子どもたちの発表は、個別にどのような意見があったかが中心で、それをもとに話が深まったという報告はあまりありません。しかし、中にはグループ内でそれは違うと議論になったものもあります。こういった話題を学級全体の話し合いにつなげたいところです。
授業者はすべのグループの発表終了後、「自分たちと違う考えや、発表を聞いてなるほどと思ったことがあったのではないか?」と問いかけ、もう一度グループで話し合わせます。こういった活動をすることを事前に伝えて発表に臨めば、また子どもたちの姿は変わったと思います。
司会役の班長が、話をつなげようとしていますが、単発の意見が出るだけで深まっていきません。授業者が全体で子どもたちの発表を焦点化して議論すべきことを明確にしておくべきだったしょう。
授業者は子どもたちの動きが止まっていることに気づいて、「もう意見が出ないという班はこんなこと考えて」と次の課題を提示します。よい判断ですが、「もう意見が出ない」と条件を付けたために、聞こうとしない子どもも目立ちます。いったん作業を完全に止めて、新たな課題として提示した方がよかったでしょう。
子どもたちのイラストに「生老病死」が多かったが、その理由を考えてほしいというのが新たな課題です。時間のこともあったでしょうが、まず子どもたち自身にそのことを気づかせる場面がほしかったと思います。それがないため、どうしても自分たちの課題になりにくいのです。この後子どもたちが再び動きだしましたが、参加できない子どもも目立ちます。
再び発表させますが、きちんと話し合いを止めませんでした。自分の座席で発表させたこともあり、それを聞かずに自分たちの話を続けているグループがありました。
最初の発表を「想像しやすい。描きやすい」と授業者がまとめます。「このグループでも描きやすいと言っていた」と言って、いったん子どもの考えをつなぐのですが、そのまま順番で次のグループを指名します。こういう場面では順番にこだわらずに、同じ考えのグループの話を聞くとよいでしょう。
次のグループは、本文に「生老病死」について書いてあるからと答えます。「なるほど」と授業者は受容して、「本文には季節のことやいろいろなことが書いてあるのに、なぜそちらは描かない、描きにくい?」と返します。それに対して発表者は「わからない」と答えます。仕方がないので、次のグループに移りました。ここでの切り返しは発表者に対するものでしたが、「どう、みんなはどう思う?」と学級全体に広げて、他の子どもにも問いかけたいところでした。よい意見や、より深く考える材料が出てきているので、それを全員のものにすることを意識するとよいでしょう。
この日は時間がないからということで、「みんなに答を言ってほしかったけれど」と前置きして、「具体的だから」と解説を始めます。答と言った時点で子どもたちは、授業者の求める答探しをするようになってしまいます。ここで解説をすることよりも、答が出てくるための活動をしたかったところです。全部のグループを発表させることを優先するのではなく、途中であった「本文には季節のことやいろいろなことが書いてあるのに、なぜそちらは描かない、描きにくい?」という問いかけをもとに焦点化していけば、子どもたちは、描きやすいか描きにくいかが、具体的か抽象的かで決まることに気づいたと思います。ちょっとと残念でした。
授業者は日ごろから子どもたちをよく見ているのでしょう。子どもの様子から、必要な対応をとろうとしていました。切り返しもできるのですが、発表を全部のグループに順番にさせなければいけないと考えているために、授業の自由度が狭めてしまっています。発表の仕方を工夫することで授業者の力がもっと発揮されると思います。
この学校で、授業改善に向けての第一歩が踏み出されたように思います。この波が学校全体に広がり、大きなうねりになることを期待しています。次回は、全体に対してお話をさせていただきます。今回の5つの授業で見せてくれた子どもたちの具体的な姿をもとに、ポイントを整理してお伝えしたいと思っています。