日記

ベテランの思いを受け取った授業

公開日
2011/10/28
更新日
2011/10/28

仕事

昨日は中学校で道徳の授業研究に参加しました。

午前中に若手の先生と授業参観をしたのですが、とても素敵な場面に遭遇しました。2人の若手の授業でのことです。

一つは、国語の時間です。ほとんどの子が一生懸命参加している中で集中力を切らしている男子がいました。手遊びをして、顔も上がったり下がったりしています。この子がこの後どのような動きをするかじっと観察していました。一緒に参観している先生には、「おそらく教師は気づいているが、すぐにしからずに様子を見ているのでしょう」と話していると、隣に座っている女子がその子に話しかけ、ペンで教科書の文を指し示しました。どうやら、授業に参加するように促し、作業の指示をしたようです。話しかけられた男子は嫌な顔をせず、素直に作業をしました。終わると、また手遊びをしているのですが、教師からの問いかけには手を挙げていました。その後も何度も隣の女子が声をかけていましたが、しだいに男子生徒の手遊びはなくなり、授業の後半は集中して積極的に笑顔で授業に参加していました。女生徒は、終始柔らかい表情で決して男子をしかっているという風ではありませんでした。子どもたちの人間関係がとてもよいことが見て取れます。この授業は子どもたちの笑顔がとても多かったのですが、特にまわりの子どもたちとかかわる場面でたくさん見ることができました。子どもたちのノートには教師の板書ではなく、自分たちの考えがたくさん書かれている。そんな授業でした。

もう一つは、社会の授業の一場面です。どのような課題や指示だったのかはわかりませんが、子どもたちが資料を一生懸命見ていました。その後、先生の問いかけに三分の一ほどの子どもがゆっくりと手を挙げました。その時の子どもの表情が、全員笑顔なのです。挙手するのが楽しくてしょうがない。授業が楽しくてしょうがない。そんな表情です。よくある、先生に指名されたいというアピールではなく。落ち着いた、柔らかい雰囲気です。ずっとこの教室に居たくなるような温かな空気で満たされていました。

とてもよい気持ちで、午後からの道徳の授業研究に参加しました。社会科のベテラン教師が、授業に入っている学級を借りてのとびこみ授業です。
資料の選定、授業の構成、授業技術、どれを取っても素晴らしものです。子どもたちを資料に引き込む読みのうまさ。これはという子どもの発言に対する切り返しの見事さ。正直これはまずいと思いました。なぜなら、こういう授業は「私にはできない」と最初から別世界のものと思ったり、「あんな風にやってみたい」と思うのですが、授業技術の本質を忘れて、教師の個性である芸の部分をまねしようとしたりすることが多いのです。
どのような意見が出るのかとても興味を持って検討会に参加しました。どのグループからもこの教師の授業技術の素晴らしさとともに、「もっと子どもの内面に迫る」「子ども同士のかかわり合いを高める」といった視点での意見がたくさん出てきました。この学校の教師集団の授業を見る力の確かさ、授業をよくしようという気持ちが表れています。司会者が、この資料をもとにやってみようと思うか問いかけたときに、多くの先生がやってみようという表情になりました。とてもよい検討会でした。
「これは道徳の授業としては前半部分」と言う言葉が授業者との雑談の中で出てきました。彼の口からは直接は語られませんでしたが、あえて子どもの本音に迫る部分を見せないことで、先生方に道徳で大切なことに気づいてもらい、自分もやってみようと思わせるために仕掛けらた授業だったようです。高いところから物申すのではなく、同じ目線の高さから同僚に伝えようとする、とても素敵な先生です。そういえば、授業中になんども「ありがとう」という言葉を授業者から聞くことができました。子どもとも同じように接しているのです。

素晴らしいベテランがいて、若手が伸びていることがこの日見たことに表れています。この学校にかかわれていることをとても幸せなことだとあらためて感じた1日でした。