日記

子どもたちの姿の変化に戸惑う

公開日
2011/11/15
更新日
2011/11/15

仕事

昨日は中学校で道徳の授業研究への参加と授業アドバイスをおこないました。

午前中は主に若手の先生と一緒に子どもたちの様子を観察しました。定期試験が近いせいか、先生主導で説明をしている授業が目立ちました。その時の子どもたちの様子が、ちょっと気になりました。
友だちの発言を聞かずに板書を写しているが、教師が解説し始めると聞く。それでもまだ写している生徒もいます。また、話を聞いていた生徒も、教師が板書を始めると話を聞かずに写し始めます。話をしながら板書することも問題ですが、それよりも子どもたちが、効率よく結果だけ求めようとする消費者的な行動をとっていることの方が問題です。この学校では、このような傾向はずいぶん減っていたと感じていましたが、今回はかなり目立ったのです。これが試験前の一過性のことなのか、恒常的になってきているのか今後しっかり見ていく必要がありそうです。

一緒に回った先生方からいくつか悩みの相談を受けました。その中に、行事等で一部の生徒が協力しないのだが、なかなかうまく指導できないというものがありました。
話を聞いてみると、ほとんどの子どもは協力的で一生懸命やっています。しかし、教師は100%を望むあまり、できていない子を何とかしようとして、ついつい叱ってしまったり、彼らに訴えかけようとします。どうやらこの先生もそのような対応をしていたようです。ところが、そうすると「悪いのは彼らだ」と他の子どもたちも彼らに悪感情を持ってきます。かえって子ども同士の関係を悪くすることにもなりかねません。子どもたちは教師の難しい顔や怒った顔を見たいとは思いません。できるだけ笑顔で指導できる方法を考えることが大切です。まずは、しっかりできている子どもをほめ、その上でこうなるともっとよくなるという次の目標を与えていきます。その目標達成のためには、一人ひとりがどうすればよいかを考えさせます。子どもには波があります。非協力的な子どもも、時には積極的な姿勢を見せます。その瞬間をとらえ、ほめることで少しずつ変わっていきます。このようなことをアドバイスさせていただきました。

道徳の授業研究は、学級の雰囲気のよさが伝わるものでした。子どもたちは真剣に授業に参加してくれているので、教師側の問題が非常によく見えてきます。この授業では教師が自分の価値観に誘導しようとしすぎてしまい、多くの子どもたちが建前で話をして、自分の問題としてとらえることができませんでした。
検討会では、道徳の授業としてどうあるべきかについて、よい意見が先生方からたくさん出てきました。また、この学校の道徳の指導をされている外部の先生からは、この授業もとに、道徳の授業のポイントを明確にお話しいただけました。多くの学びのあった授業研究でした。
しかし、一点気になることがありました。この学校の最近の授業検討会で子どもの固有名詞が聞かれなくなったことです。一人まったく自分の考えを書いていない子がいました。気づかれている先生もたくさんいたはずです。しかし、検討会では話題になりませんでした。校内をまわっていて、学級の雰囲気は悪くないのですが、今までほとんど目にしなかった授業に参加できない子どもが1人2人と増えてきています。このことと無関係ではないような気がします。
学級の雰囲気がよくても、全員が授業に参加できないことはあります。ここで一人くらいは仕方がないと思うのか、この一人を大切にするのかは大きな分かれ目です。

この学校にかかわって2年半が過ぎきました。これまで来るたびに子どものよい姿をたくさん見せてもらいましたが、転機が来ようとしているのかもしれません。次回訪問時は心して子どもたちの姿を見ようと思います。