日記

授業研究の打ち合わせと授業力向上研修(長文)

公開日
2012/06/21
更新日
2012/06/21

仕事

昨日の午前中は、来週参加する小学校の授業研究のための事前打ち合わせをおこないました。校長から学校の現状と授業改善に対する思いをうかがいました。自身がとても授業を大切にされていることも、その授業力の高さもよく伝わりました。しかし、校長の授業力が高ければ先生方の授業力が高まるわけではありません。校長が直接働きかけるべきこと、誰かを使って働きかけるべきことを明確にし、先生方が変わろうとする仕掛けをつくっていく必要があります。そのことをはっきりと意識されているので、私に期待されていることは何かがよくわかりました。
打合せの後、子どもたちのようすを少し見せていただきました。子どもたちが落ち着かない、授業規律の維持が大変であるといった問題点を事前にうかがっていましたが、その原因は、子どもではなく、教師の指導のありよう、子どもたちとの関係のつくり方にありそうだと感じました。教師が子どもに求めるものが、とりあえず大人しくしていればよい、言うことを聞けばよいというもので、それ以上は求めない。逆にそこが崩れることに対しては過剰に反応して、子どもを押さえる。そのような状態ではないかと推察します。大切なことは、子どもたちに求める授業規律を学校全体で明確にし、徹底することです。注意するのは、この徹底を勘違いしないことです。常に強圧的に命令し、できていない子を叱ることではないのです。足りない部分を指摘するのではなく、できたところまでほめる、子どもたちの進歩を認めることで徹底していくのです。このことを先生方に伝え、納得していただくのがこの学校での私の仕事の第一歩だと思いました。

午後からは、市主催の授業力向上の研修会でした。各小中学校から1〜数名が参加するもので、その代表が授業をおこない、その後検討会をするという形式です。小学校3年生の国語の報告文の授業でした。自分が見つけた記号をある観点で分けて報告文をつくるための材料とするというものです。

授業者は教職6年目の方でしたが、子どもたちの表情を見るだけで、教師との関係がよいことがわかります。授業開始の挨拶の時点で、授業規律がしっかりと確立されていることが印象付けられます。その秘密はすぐにわかりました。黒板拭きに使った雑巾が片づけ忘れられていました。授業者は、「きれいにしてくれてありがとう」と言って、ちょっと大げさに雑巾をつまみあげて片付けました。子どもたちから笑顔と軽い笑いが漏れます。開始早々注意されるのとは大違いです。この1時間の授業の中だけでも何度もありがとうの言葉が聞かれました。子どもを常に認めよう、ポジティブに評価しようとしているのです。
また、本時のめあてを読ませる場面で、全員がしっかりと手を挙げました。通常、この学級のように教師と子どもの関係がよい場合には、子どもたちは指名されようとテンションが挙がることが多いのですが、思ったより落ち着いています。自分が指名されなくてもちょっと残念がるだけで、大げさにがっかりしたりしません。不思議に思っていると、次々に挙手と指名が繰り返されました。この日は3人でしたが、多いときには6人くらいにチャンスを与えるそうです。何度もチャンスがあることを知っているので子どもは落ち着いて待てたのです。
話を聞かせるときなど、一旦切りをつけたいときには「サインを送って」と声をかけます。子どもたちは姿勢を正すことで、聞く体制ができていることを示すのです。これに限らず、色々な場面で子どもたちに外化を求めています。そして、そのことをきちんと評価しています。子どもたちをほめる機会をたくさんつくっているのです。
こういった授業技術を誰に教わるでもなく、自分で工夫したと聞き、このことにも驚きました。

この研修は5年以上続いているのですが、今年は例年に比べて若い方(経験年数10年未満)が多く、この授業からどんな気づきをするのかとても興味がありました。
まず驚いたのが、皆さん非常にしっかりと子どものようすを見ていることです。付箋紙にたくさんの気づきが書かれています。子どもの事実と授業者の働きかけの関係きちんと意識しています。各学校の日ごろの授業研究の質の高さがうかがえます。各グループからの発表は、この授業のよさ、学ぶ点をしっかり押さえています。その上で、より高いところを目指すためにどうすればよいかを考えていました。あるグループが「授業がとても素晴らしかったが、あえて指摘すると・・・」と前置きしていましたが、とても素晴らしい授業だったので多くのことに気づけたのです。
各グループからの指摘は私が解説しようと思っていたことばかりでした。このようなことは非常に珍しいことです。皆さん若いのにもかかわらずとてもレベルが高いことに感心しました。このような若手が育つ環境をつくっている市のお手伝いができていることをとてもうれしく思いました。

皆さんの指摘をもとに、次のような解説を少しさせていただきました。

作業の説明をする場面で、子どもたちが困らないように丁寧に説明していました。しかし、やや抽象的な説明が続くため子どもが理解できたか不安です。ほんの一部ですが、集中力を失くし始めている子どもがいました。さあ、いよいよ始めるかと思ったとき、今度は、作業の最初の部分を、1ステップずつ指示を出しながら進めました。もちろん子どもたちは指示通りに動くのですが、結局最初の説明があまり意味を持たなくなりました。その後作業を続けていると、子どもの手が挙がります。作業に関してわからないことを質問するためです。次々手が挙がるのですが、授業者は全部の子どもをまわりきれません。子どもたちはおとなしくじっと手を挙げたまま待っていました。
教師との人間関係がよいと、子どもは教師の求めに応えたい、教師の指示した通りにやりたいと強く思います。また、質問すると教師を独占できるので、ちょっとしたことでも質問しようとします。最初は少しだった質問が、どんどん増えていくのです。しかし、その一つひとつはあえて質問するようなレベルのことではなかったのです。
説明については、過去の授業での経験を子どもたちから出させ、それと関連づけたり、全員で、一度実際にやってみたりすることで、子どもたちを受け身にしないで済みます。質問については、教師の説明不足など、全体で確認すべきことであれば、一度作業を止めてちゃんと話すことが必要です。また、まわりの人と相談したり、確認したりするように指導することで、教師に頼らなくなっていきます。

グループの活動の課題は、自分が選んだ仲間分けの観点と、その観点で分けたものを発表するというものです。聞いている子の目標は感想を言うこと。より高い目標は、その観点での他の分け方についてして指摘することでした。しかし、この課題では、ただ発表するだけで、グループ活動によってその内容が高まることはありません。たとえ、別の分け方を指摘されたとしても、このあとの報告書を書くという活動には影響はありません。グループ活動の課題としては疑問です。子どもたちのようすも、話者に顔は向けているのですが、体はまっすぐに立っています。聞く形はとっているのですが、聞こうとする意欲は高くないのです。子どもたちにとって聞く必然性のある課題、聞くことで他者に認められるような課題が求められます。
また、司会者を決めていたのですが、グループでの活動では特に必要がありません。司会者に進め方を書いたカードを渡していましたが、そのカードを読んで司会をしている子がほとんどでした。友だちを見て話すことが大切なので、カードを見ないで話す、覚えておいてわからなくなったらカードを見てもよいなどと指示をすることが必要です。

研修終了後、授業者としばらく話をしました。
授業者は他者からの指摘を本当に素直に受け止めていました。これだけきちんと子どもとの関係をつくれるので、次の目標として子ども同士をつなぐことを意識してほしいことを伝えました。今回、授業をやって本当によかったと話してくれたことをとてもうれしく思いました。今回の研修には直接関係ないのですが、この学校の教務主任が最初から最後までずっと参加していました。この研修から学んだことを自校の研修に活かそうとする前向きな姿勢が素晴らしいと思いました。このような環境が、今回の授業者の姿につながっているのでしょう。充実した研修で、私もとても多くのことを学ぶことができました。皆さんに感謝です。