道徳で子どもたちが話を創ってしまう
- 公開日
- 2014/12/11
- 更新日
- 2014/12/11
仕事
昨日の日記の続きです。
授業研究は6年生の道徳をTTで行いました。若手がT1、ベテランの教務主任がT2です。
読み物は、大舞台に立つことを夢見ている売れない手品師の話です。父親を失くし、母親が夜遅くまで働いているため、さびしくて夜中にしょんぼりしゃがんでいる男の子に出会った手品師は、自分の手品でその子を慰めてやります。すっかり元気になった男の子と翌日も手品を見せることを約束しましたが、思いもかけず大劇場の舞台に立つチャンスがやってきました。しかし、その舞台に立てば男の子との約束を破ることになります。悩んだ末手品師は男の子との約束を選びました。こういう内容です。
最初に友だちと約束をして守れなかった経験を子どもたちに聞きます。T1は子どもの発言を共感しながらしっかりと受け止めます。子どもたちに何を言っても受け止めてもらえるという安心感を与えてから、資料を配りました。子どもたちに配ったものは、手品師が大舞台に立つか男の子との約束を守るかで悩むところまでしかありません。T1は範読した後、内容の確認を行います。手品師に夢があったことを押さえ、男の子に手品を見せた時、翌日の約束をした時の手品師の気持ちを聞きます。子どもたちの発言に対して余計な言葉は足さずに進めていきます。発表後またすぐに挙手した子どもがいます。T1は、また手を挙げてくれたことをほめました。発表したらもう自分の出番はないといった雰囲気にならないように意識してのことでしょう。常に参加することを子どもたちに求めようとしていること感じます。
感心したのが、内容の確認が終わるまでの時間を非常に短くしていることです。押さえるべきことを、手品師はどちらを選ぶかという主課題を考えさせるために必要な最小限のことに絞っています。教師の発言もしっかり削ぎ落しています。事前に模擬授業等を通じてずいぶん研究をしたであろうことは想像できます。おかげで主課題に十分な時間を取ることができました。
子どもたちに手品師がどちらを選ぶか考えさせ、「約束を守る」「迷っている」「大劇場の舞台に立つ」かを反応器として準備した紙コップの色で示させます。意見を聞いて考えが変わった子どもを指名することで深めていこうという訳です。
子どもたちの意見は、物語の結末としてどのようなものがよいかを考えたように見えるものがほとんどです。他人事、妄想、ご都合主義と言ってもいいものです。「自分の実力を磨いていればチャンスは来るはずだから、約束を守る」「大舞台で成功して有名になれば、男の子も喜んでくれる」・・・、子どもたちは勝手にハッピーエンドになるような話を創るのです。中には「自分だったら」と自分に引き寄せて意見を言う子どももいましたが、T1はそのことを意図的に取り上げませんでした。「自分だったらと言ってくれたけれど、自分でも同じようにする?」と投げかけてもよかったかもしれません。
結局、どちらの意見も手品師にとって都合のいいように話を創っているだけでした。このようなやり取りであれば、反応器で意見が変わった子どもを指名しても本時で考えさせたい「誠実」にはつながっていきません。自分の都合や相手がどうであるかに関係なく、約束したことは守るのが「誠実」です。T1は子どもの意見を受容することを意識するあまりに、揺さぶることをしませんでした。「もう一生チャンスはないかもしれないよ」「男の子はずっと待っているかもしれないよ」「それでもいい?」といった言葉を返してもよかったと思います。
「じゃあ、みんなが思った行動を取ったあと、手品師はどんなことを思うかな?男の子はどう思うかな?」という問い返しもあります。
また、前提を変えるという方法もあります。「もし、男の子が両親もそろっていてさびしい思いをしていないとしたら、どうだろうか。意見を変える?」と聞いて、もう一度考えさせると、ねらいである「誠実」につながる意見が出てくるかもしれません。それでも約束を守るという子どもは、「約束したことだから」という理由を言ってくれる可能性が高くなります。
道徳では、子どもたちは他人事の意見、教師が求めそうな答をとりあえず言う傾向があります。本音を引き出すためには、焦点化したり、揺さぶったりともうひと押しして再度考えさせることが必要です。
この後、後半の結論部分を読んで手品師の気持ちを言わせました。この展開であれば、後半を与える必要はなかったかもしれません。
子どもたちに「うそやごまかしのない正直な行動をとってよかったこと」を書かせて発表します。子どもたちは「正直に言ってよかった」というような「正直」に引っぱられたことを書いていますが、「正直」であることと「誠実」は少し違うように思います。この話で考えたことと子どもたちの書いたことがずれていたことが気になります。もちろん、そのような経験がなかったのかもしれませんし、問の文言に問題があるのかもしれません。が、とにかくこの時間に考えたことが子どもたちの振り返りに影響していないのです。子どもたちはこの時間で変容したのかどうかよくわからなくなりました。似たような経験がなさそうなことであれば、やはり過去を振り返るのではなく、これからどうしたいのか、どうするのかを考えさせるとよいでしょう。最初と最後に全く同じ問いに対する考えを書かせてもよいでしょう。比較することで変容に気づくことができます。
T1の説話も子どもたちと同じく「正直」に焦点があたったものでした。「誠実」というのは伝えにくいものなのかもしれません。道徳のむずかしさを感じさせられました。
授業者は、展開例をなぞるのではなく読み物の結論を主人公の気持ちになって考えさせるというやり方に挑戦しました。この学校で今進めている道徳の殻を破ろうとしてくれました。このことで、子どもたちが読み物の続きを考える時、話を創作してしまうことに気づくことができました。とても大切な情報です。子どもたちに自分のこととして考えさせるためにはもう一工夫必要であることがわかりました。このことが授業研究なのです。次回の授業研究がこの気づきを活かしたものになってくれることを願います。