子どもたちの見せる姿の変化に戸惑う
- 公開日
- 2015/06/12
- 更新日
- 2015/06/12
仕事
先週末、学校評議員をしている中学校を訪問しました。学校公開と青少年健全育成会議に参加するためです。
1時間、全学年の授業の様子を見ましたが、どうにも子どもたちの様子が気になります。授業に集中している姿が見られないのです。これは子どもたちの問題とは思えません。どちらかと言えば、子どもたちは頑張っているのです。教師側に問題が多くあるように感じます。まず、子どもたちを見ていないこが挙げられます。下を向いて話したり、視線を子どもたちに落とさずにしゃべったりしているのです。廊下からちょっと教室を見るだけでも、子どもたちの姿勢や視線がバラバラなことに気づきます。子どもの視線が自分に集まっていなくても気にならないのです。子どもたちの考えを引き出し、つなぐといったことはほとんどなく、一方的に説明する場面が増えています。
子どもたちはグループにすれば、それなりに活動します。しかし、子どもたちに力をつけるためには課題を工夫する必要があります。グループで考える意味のない教科書の記述をただまとめるだけといった、グループ活動の特性を理解していないとしか思えない課題が多いのです。また、子どもたちは考える必要のない課題や活動だと、グループ活動中にテンションが上がりやすくなります。ちょっとしたことでテンションが上がっている場面にたくさん出会いました。
一番の問題は、先生方がこの状態を問題だと感じているように見えないことです。子どもたちは、落ち着いて席にはついています。とりあえず板書を写すなどの作業はします(教師の話を聞くことよりも優先していますが・・・)。騒いだりする子どもはいません。だからこれでいい。そう思っているように見えるのです。
昨年と比べても、子どもたちの状況は悪くなっているように見えます。もちろん管理職の方はこのことに気づいているはずです。今後の立て直しを見守りたいと思います。
青少年健全育成会議は例年のように、地域の方と子どもたちとで共に考えることが主の活動です。今年は、認知症サポーター養成講座ということで、子どもたちと地域の大人とで、街で認知症の方に出会った時に自分たちはどうするかを考えるというものでした。ここでも、昨年までとの違いを感じます。子どもたちがなかなか自分から動こうとしません。1年から3年生まで約10人と大人1人でグループをつくるのですが、これがすぐに作れないのです。作っても、子どもたちが適度に広がらずに小グループでくっつきます。自分たちで話し出すのをじっと我慢していたのですが、結局先生が来て働きかけるまで動くことがありませんでした。しかも、先生がその場を去るとまた話し合いは止まってしまい、仕方なく私が場を仕切ることになりました。青少年健全育成会議がこの形になってからこのようなことは初めてでした。グループでの話し合い終了後、子どもたちが発表するのですが、話し合って考えを深めたと思えるものがほとんどありませんでした。私のグループにいた子どもも発表したのですが、ここで話したこととは全く関係のない、それまでの発表をもとにその場でつくったと思われることを話しました。
1グループの人数が10人と多かったので上手くかかわれなかったとも言えますが、それだけではないように思えました。子どもたちの様子が、どうにも気になって仕方がありません。
地域コーディネーターの方にお声をかけていただき、この後開かれた子どもたちと地域の方とで行うフェスティバルの実行委員会にオブザーバーとして参加しました。
子どもたちからは、アンケートを取った結果をもとに考えた実施したい催し物の候補が3つのカテゴリーごとに分けて提出されました。その数が多いので、どのように調整すればよいか相談したいというのです。しかし、なぜこれらが候補に挙げられたのかの説明はありません。箇条書きになっているだけで、その内容の説明もありません。大人の委員からの質問が次々に出てきます。子どもたちにはそれなりの思いがあったようなのですが、それがわかりません。思いを語る時間をもらったのですが、話題に挙がったのは一部の催し物に止まりました。大人たちはできるだけ彼らの思いを実現させたいと思っています。しかし、子どもたちが助けてもらうためには、催し物の内容や実施したい理由やそれにかける思いをきちんと伝えること必要です。そのことを子どもたちに学ばせるために大人たちは厳しく質問をしたのです。子どもたちを育てるために、あえて厳しく接するからこそ、このイベントを10年以上続けることができたのだと思います。
学校を地域が支えるというのはどういうことか、また学ばせていただきました。
いろいろと考えることの多い一日でした。次回子どもたちの姿を見るまで少し時間があります。どのように変わるのか、それとも変わらないのか、学校評議員として真剣に見守りたいとおもいます。