中学校で授業に困っていないことをどうするか考える
- 公開日
- 2015/06/18
- 更新日
- 2015/06/18
仕事
中学校で授業アドバイスを行ってきました。市内の全小中学校での授業アドバイスの一環です。中学校への訪問は今年度からです。この学校ではまず全体の様子を見せていただき、その上で初任者の授業アドバイスをしました。
全体の印象は、教師中心の授業が多いということです。子どもの声はほとんど聞くことができません。また、基本的に授業規律についての意識が薄いようにも感じました。子どもが黙って座っていればいい。板書を写していればいい。そのレベルしか子どもに求めていないようなのです。子どもと目線があっていない。子どもの反応を見ていない。そんな先生が目立ちます。子どもの顔が上がっていなくても、一方的に教師がしゃべり続ける授業がほとんどでした。
基本的に子どもが考える場面がありません。教師に指示されたことをこなしている。教師が教えたとおりに問題を解く。そういう場面ばかりが目立つのです。「これは授業で教えたでしょう。ちゃんと勉強しないとだめだよ」と、できないことを子どもの責任にするためのアリバイ作りの授業という印象です。
この学校では、「自問清掃」に取り組んでいます。子どもたちが、教えられるのではなく黙って「どうすればきれいになるか」「どこを掃除すればいいのか」と自らに問いながら掃除をするのです。子どもたちの自発性を大切にしています。その様子を見せていただきましたが、子どもたちの姿は素晴らしいものでした。子ども自らが考えるという取り組みと、教師がしゃべり続ける授業とのギャップに戸惑いを覚えました。
今回は全体でお話しする機会がありませんでしたが、もしあったとしても何を話していいか、ちょっと困ってしまったと思います。先生方は子どもたちが落ち着いているので、授業で困っていないのです。授業でどのような子どもの姿が見たいのか、そのために具体的にどうすればいいのかを、学校全体でしっかりと考えることが必要です。子どもたちのよさを活かすためにどう授業をつくっていくのかを考えてほしいと思いました。
初任者の授業は理科の分類の授業でした。グループで花の咲く植物(種子植物)を被子植物と裸子植物に分類する授業でした。
前時の復習なのでしょうか。植物は見た目で分類できることを授業者が説明します。しかし、分類という理科用語の定義は復習されません。何となくで流れていったように思います。また、正確には単に見た目ではなく、発生・系統的に分類が行われます。遺伝子の研究が進み、分類が大きく変わったものもたくさんあります。なぜ見た目で分類するのか、「分類」の定義と合わせて考えさせたいところでした
植物の見た目の違いを問いかけます。一人の子どもを指名して答えさせました。その子どもから「花」「葉」「根」が出てきますが、「茎」が出てこないので質問をしながら引き出します。授業者はその子どもだけを見てやり取りをしています。他の子どもは蚊帳の外です。ほしい答を引き出すと、すぐに次に進みます。すぐに、「最初は花があるかないかで分類する」と説明します。なぜ花かは説明されません。子どもたちはそれに対して疑問を持つ様子がありません。自分で考えるのではなく、教師が教えたことを忠実にこなすだけです。「花があると実ができる?」といったことをやり取りするのですが、子どもたちは友だちの発言に無関心です。結論は先生が言うことを知っているからです。
実に注目して、被子植物と裸子植物の違いを説明し、この日の主活動に入ります。グループごとに異なる植物の写真を何枚か用意して、これらを被子植物か裸子植物に分類するのです。まずは、個人で考えるように指示します。ちょっと個人にこだわりすぎです。「どうしても困ったら聞いてもいいよ?」とすることも大切です。多くの場合子どもの手が止まったら、教師の方から押しかけて教えます。そんなことをするくらいなら、友だちに教ええてもらえばいいのです。続いてグループでの話し合いです。子どもが授業者を呼びます。授業者はその子どもの相手を真剣にしていますが、他の子どもは知らんぷりです。授業者自ら子どもの学び合いの邪魔をしています。その間、全体の様子を見ることもできません。他の子どもに聞くようにうながし、子ども同士をつないだらさっさと全体を見るのです。また、グループの活動中に机間指導をしますが、歩きながら指示や注意をしゃべっています。しゃべるなら、きちんと注目させてからにする必要があります。5人のグループになっているのですが、3人と2人に分かれるグループ、2人、2人、1人と一人だけが孤立するグループとがあります。この状態を授業者はどのように思っているのでしょうか。グループ活動で子ども同士をどうかかわらせたいのかがわかりませんでした。
用意された写真には、雄花、雌花、子房といった情報が書き込まれています。教師が示した被子植物と裸子植物の違いと対比させれば答は出ます。唯一子どもたちが悩んでいたのが、裸子植物の「花」でした。雄花、雌花は花に見えないのでしょう。花の定義も曖昧だから、これが花か自信が持てなかったのかもしれません。次第に子どもたちのテンションが上がってきます。グループで考えるほどの課題ではなかったからです。何のためにグループ活動をしているのか、その目的がよくわかりませんでした。
グループの代表を決めて発表させますが、授業者が「決まったところ?」と問いかけてもグループ全員の手が挙がりません。誰かが手を挙げればいいだろう、自分は発表者でないから関係ない、そう思っているようです。授業者はそのことはあまり気にならないようでした。
子どもたちのどちらに分類するかの理由の説明は、「花がある」ことを先に押さえてから「子房のあるなし」を言うものとその逆のものがありました。このことを授業者は指摘するのですが、子どもに考えさえることなく、先に花のあるなしを考えることが大切であると結論づけます。しかし、その根拠は明確になっていません。「葉緑体がある」といった特徴は異なる分類のものでも共通しますので注意が必要です。しかし、今回の例は注目している「子房」や「胚珠」は花に付随するものですから、結果的にはあまり意味はありません。子どもたちは本当に納得したのか疑問です。
1時間の授業で、結局理科としては何を考えさせたかったのでしょうか?知識として、被子植物と裸子植物の区別が子房の中に胚珠があるか、胚珠がむき出しかであることを覚える、実際の植物の写真を見て確認するだけのことだったように思います。その確認も写真を見ながらどれが花だろう、胚珠はどうなっているのだろうと考えるのではなく、写真に書かれた文字を頼りに行っているのであれば、あまり意味のあることのように思えません。時間をかける意味がある活動ではないように思いました。
授業者は私の話を素直に聞いてくれます。授業をどのようにして組み立てるのか、グループ活動はどう使えばいいのかといった基本的なことを知らないようでした。だれからもきちんと教わっていないようです。若い教師が育つ仕組みができていないことが問題です。教務主任からは育てたいという意欲を感じましたが、具体的にどうすればいいのかよくわからないようでした。
これまで見てきたこの市の小学校と比べて、授業を大切にするという感覚が学校全体で希薄なように感じました。個別に対応するには限界があるかもしれません。他の中学校を見て見ないと何とも言えませんが、中学校の授業アドバイスの方法を検討する必要があるかもしれません。