広げよう!いのちの授業第15回記念大会からの学び(高橋、中澤)
- 公開日
- 2019/10/09
- 更新日
- 2019/10/09
学生の学び
こんにちは!4期生の高橋です。9月28日、広げよう!いのちの授業 第15回記念大会に参加させていただきました。
今ある命や、これからの自分の生き方について考えさせられるとてもよい機会になりました。そこからの学びを書いていきたいと思います。
鈴木中人さんのお話の中で印象に残っている言葉が、「命は預かりもの。だから今ある命をどうキラキラ輝かせるか」というお話です。上甲先生のお話の内容にも通ずるところがあると感じたのですが、私はこのお話を聞いて、目の前にある1日1日を大切に、精一杯生きていきたい、という風に思いました。
命は限りあるもので、いつ終わるか分からないからこそ、この今を、後悔しないように全力で打ち込めるような生き方が理想だと思いました。例えば、何か目標をもって、それに向かって挑戦し続けることや、日常的に努力を続けていくことが私にとって、今ある命を輝かせることだと考えます。大きな目標であった教員採用試験を終えた今、次の目標として、半年後教壇に立つことを見据えて自信を持って4月を迎えられる準備をしていきたいです。
上甲先生のお話からは、人として大切にしたいことと、教師として大切にしたいことが見つけられたように思います。
1つ目は、「難有(なんあり)は有り難い」という言葉です。受け入れがたい現実や、乗り越えられないような壁があったとしても、それはハンディではなく、見方を変えれば全てがチャンスになる、というお話がありました。目の前の現実に悲しんだり、文句を言ったりすることは誰にでもできることです。私自身も、「〇〇だったらよかったのに」「なんでこんなことしなければいけないんだろう」などと後ろ向きなことを口にしてしまうことがあります。しかし、それを言葉にしたところで現実が変わるわけではありません。そこで、その「難」を、変わるチャンスだと思い、行動に移せることに価値があるのだと気づかされました。まずは受け入れ、自分自身を成長させるチャンスだと捉えられる、そんな考え方ができるようになりたいです。
2つ目は、経営の3つの要素です。それは、
1.将来のあるべき姿を思い描く。
2.どうしたらそれが実現できるかという段取りを考える。
3.今日、ただ今から実行に入ること。
の3つです。これは、経営者としての大切な要素として挙げられていたものですが、私はこれらの要素は学級経営にも生かせるものがあると思いました。どんなクラスを作りたいのか、どんな子供たちを育てたいのか。教員採用試験の面接練習などでよく聞かれ、たくさん考えてきた質問ですが、やはりこれらを自分の中で明確にして、強い信念を持って取り組んでいくことが、学級経営においても大切な要素となるのではないかと思いました。
今回、自分がこれから心の真ん中に置いておきたい!と思う言葉をたくさん学ぶことができました。大切だと思ったことは、上甲先生のお話にもあったように、今日、たった今から実践していきたいと思います。
鈴木中人さん、若渚さん、上甲先生を始め、関係者の皆さん、貴重な学びの機会をいただき、ありがとうございました。(高橋)
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こんにちは!四期生の中澤佑太です。今回は9月28日土曜日に行われた『広げよう!命の授業!15回記念大会』について記事を書きたいと思います。
さて今回どのように記事を書こうかと悩みましたが、今回は、このセミナーを通して頂いた言葉と、その言葉の説明および私の考えを記していこうと思います。
『拍手のシャワーを浴びる』
これは、盲目の歌姫こと、わかなさんが、歌い終わり拍手が鳴り響いた後のトークで仰った言葉です。わかなさんは、盲目でいるため、お客さんの顔が見えない、だからこそ拍手のシャワーを浴びているように感じると仰っていました。この言葉を受けて私は、盲目のなか生きていくことがどういうことであり、どのように物事を感じているのかを理解することは困難であると感じました。だからこそ、障がい者支援を考えていくときに、人助けや道徳といった言葉で済まさずに、実際に障がいをもって生きていくとはどういうことかを考えなければ、障がい者支援は成立しないと私は考えました。
『優しさの空しさにくじけない。くじけないとは覚悟である。子どもに話したときに子どもの反応に期待してしまう。くじけないとは信じるということである。』
これは鈴木中人さんのお話のなかで、鈴木さんが教えてもらったと仰っていた言葉です。今回のセミナーで一番私の心を動かした言葉です。優しさの空しさにくじけない、つまり人に優しくしたときに、結果がついてこないことに空しい気持ちになり、優しい心を失ってしまう、そうならないでほしいという言葉です。そのため人のために何かをするためには、心が折れないように覚悟をもつことが必用になり、相手を自分を信じるという意味です。私は今まで、仕方がなかったとは言え、どれだけ優しさの空しさにくじけて、覚悟をもてなかったのかと考えました。
しかし私は、現在そしてこれからは、このように過去を見つめているのだから、くじけずに覚悟をもって生きていくのだろうと考えました。
ここからは、上甲晃さんの言葉になりますが、たくさんあるため、一言ずつ記していきます。
『仕事として見ているうちは子どもは育たない。我が子同然と考えられるか、24時間付きっきりでいられるか。』
どんなときも子どもが好きという気持ちだけで幸せな気持ちになれないようでは教職は勤めたくても勤めきれなくなってしまうと感じさせてしまう言葉でした。
『損得を乗り越えたときに、人間となる。失敗するのは自分にとらわれるから、とらわれたら破滅に向かう。』
ゼミに入って二年間で半永久的に持続できるように身に付けた概念であると感じています。
『聞く力は心の力、ふんぞり返るときに心は傾く。話し方教室はあるが、聞き方教室はない。言い争いはあるけれど、聞き争いはない。』
聞く力を意識することでできなかったことができるようになる、運命が変わる、そうなれるように生きていこうと感じました。
『本当に大切なことは普遍の中にある。当たり前を励む。命の底力。みんな浮いている。本当に好きならば目を見ることができる。』
この頃私は、普遍の中、当たり前のことを、照れず恥ずかしがらず怯えず行い、行ったあとを予想し、次の行動を考える。これの繰り返しで幸せは向こうからやってくると気付きました。また同時に、その人の取り巻く環境のために気付くことができないでいてしまう人間の理不尽を感じました。
『他者を受け入れることで、他の人には気づかないその人の魅力に気付き、人より多くの幸せをつかむことができる。』
これは私の言葉ですが、受け入れることの得を二年間で学んだと思いました。
以上になります。私は考えます。言葉や考え方、人との出会いも、玉置ゼミに入らなければ得られなかったわけだと。そして選択で人生が変わることに、生きることの恐怖を感じています。しかしもう人生最大の選択に成功したので恐怖はありません。なぜなら、選択するときに相談できる人達がいるからです。本当に感謝しかありません。しかし同時に、玉置ゼミにどっぷり浸かろうと戦っていた自分に称賛の言葉を送らなければならないとも考えています。
最後に変なことを申し上げましたが、命の授業の素敵な関係者の皆様にお礼の言葉を申し上げます。ありがとうございました。(中澤)