知=徳<体?
- 公開日
- 2015/05/21
- 更新日
- 2015/05/20
学生の学び
最近「生きる力」とは何かに注目している。
いろんな人に、聞いているがみんながみんな違うことを言う。
指導要領を読んでも、たくさんのことが書かれていて、上手くまとまっていないように感じる。
だから、「生きる力」をそう簡単に言い表すことはできないのだろう。そういうことはわかる。
以前、名古屋大学の学生が友達の飲み物に毒物を混入させ、失明させようとしたというニュースがあった。
この学生は頭もいいし、毒物を手に入れることができている。実際に試みる過程で、様々なことを学んだはずだ。
ある意味「生きる力」があるのではないだろうか。
だから、重要なのは「生きる力」の部分ではなく、「どうやって」「どのように」「どういう」の部分ではないかと思う。
例:健やかに生きる力、思いやりを持って生きる力 など
先日実家に帰った時、母と生きる力とは何かについて話をした。母は、「自らの健康課題に気づき、主体的に課題解決に取り組むことができること」だと言った。
人間だけに限らず生物は、身体が健康的でなくては、何もすることができない。人間であったら健康でないと、学習することもできない。母は、知徳体のうち最も大切なのは「体」だとした。
大学でよく聞く意見は「食べること」というものだ。これも適当に言ってるかもしれないが、食べることで栄養を得て、体を健康に保つことで、より良く生きていくことができるという考えに基づいているだろう。
だからますます「生きる力」がわからなくなった。抽象的すぎるのだ。
この晴れない気持ちでここ数日を過ごしている。
記事にしてもまとまらないのが、辛いのである。(中田昂)