100回目の「小牧・落語を聴く会」で世話人引退
- 公開日
- 2015/09/15
- 更新日
- 2015/09/15
四方山話
昭和63年から始まった小牧落語を聴く会の世話人を28年間にわたって務めてきました。
100回目までは世話人を続けることを目標にやってきましたが、9月12日の会で、無事100回目となりました。心に決めておいたとおり、お客様に「世話人をおります。長い間ありがとうございました」と挨拶をしました。
28年という長きにわたりましたので、いろいろなことがありました。時には続けることができるのだろうかと思ったこともありますが、応援をしていただける方があって、自己の目標を達成することができました。
小牧落語を通して知り合えた方々は多数、特に大好きな落語を生業としておられる多くの落語家さんとつながりができたことで人生がとても豊かになりました。忘れられない28年間でした。
なお、世話人として取材を受けたこともありました。以下は、平成11年7月13日に中日新聞に掲載された記事です。授業と落語の関係について聞かれた記事です。少々長いですが、お読みいただければ幸いです。(玉置)
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「小学生のころから漫才や落語が大好き。漫才の台本を書いて月一回、学校のお楽しみ会で友人とトリオ漫才を演じていました。それで受ける喜びを知ってしまい、高校、大学では落語研究会に所属。大学(愛教大)時代は四年間で高座に上がった回数が四百回以上という新記録を作りました」
小牧市の「小牧落語を聴く会」世話人の玉置崇さん(42)=同市岩崎。おしゃべりが大好きという感じで、話しだすと次々と言葉が続く。無理に遮らないと、こちらも言いたいことを切り出せないほどだ。相当の落語ファンで、しゃべりの名人。しかし、街で出会ったとしても、この人が小牧中学校の教頭で数学教師だと分かる人は少ないだろう。
最初の勤務地、小牧市米野小で教師を務めながら、大学時代の仲間と名古屋市で落語の会を開いた。アマチュア落語家と教師の二足のわらじは十年間続き「義理で聴きにきてくれる友人たちに迷惑を掛けられない」と、大須演芸場(中区)での高座を最後に演じる方は打ち切り。平成元年、落語仲間と小牧落語を聴く会を発起させた。
中堅落語家たちを招き年に四回開いている会は、今月四日で三十九回目を迎えた。始めのころに呼んだ落語家の中には、最近脚光を浴び始めた人もおり、「小牧寄席」は専門誌の「地方寄席十傑」に選ばれるほどになっている。
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「最盛期はレパートリーは三十席ぐらいあったが、今は四席ぐらいですかね」と噺(はなし)家としての実力は、なりをひそめたが長年培ったしゃべりのテクニックは数学の授業でいかんなく発揮されている。
「客の反応を見ながら話す落語と同様、授業も子どもの反応を見ながら進めるもの。授業は高座と同じ」と話し、声の抑揚、間(ま)の取り方に気を使う。「落語ではもちろん言えないが、授業で静かにしなさい』とは言いたくない」。教師の話術(能力)で生徒を引きつけたいという自負心がのぞく。
「五十分の授業で二、三回は笑わせないと」と笑うがそれも計算の上。四年前、そんな授業のシナリオを提案し、仲間と一緒に「数学の授業を感動の連続に」と題した本も出版した。
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玉置さんはパソコンの名手でもある。教師になってすぐに始めたが「生徒二百人の成績を順に並べる処理に三十分かかった」という時代だった。
現在ではパソコンを使った校内外との情報伝達や授業への導入などで、小牧中はリーダー的存在となっている。
今春からは、全国的にも珍しい、パソコンのある生徒の家庭と学校が電子メールで一斉に連絡が取れる「牧中メール配信サービス」も始めた。「子どもは家に帰っても学校のことをあまり話さない。気軽な情報公開です」。伝統芸能と最先端技術の混在。
しかし、難なくこなす玉置さんにミスマッチは感じない。一見、相いれそうもないものを一緒にしてしまうマジックも得意のようで、今月三日には落語を聴いた後、地域教育をテーマに話し合うシンポジウムを市まなび創造館で開いた。
大阪の落語家桂雀松さんを招いたシンポは、毎年三回開催していた同中学校区青少年健全育成会の会合を思い切って衣替えしたもの。「落語の中の日本人は隣人に話し掛け、子どもをしかり、夫婦げんかの仲裁をしたりと、温かさがある。ご隠居が世の中のしきたりを教えるような教育的要素もある」というのが、落語を組み合わせた理由。シンポでは、地域が温かい心を持って子どもを育てようと、意見がまとまった。
不登校など、学校を取り巻く問題は山積するが「数学の問題一つを取っても、子どもたちはいろんな解き方(見方)を考え、これをみんなで聞いて感動し、共有できるのが学校。一人で勉強していてはだめ。学校の存在価値はそこにあるんです」。最後は教頭先生の顔になった。(荒城聡)