研究室日記

5月15日 第6回 3期生ゼミ記録(菱川)

公開日
2017/05/27
更新日
2017/05/27

学生の学び

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こんにちは。でかい図体して泣き上戸な菱川です(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
意外なギャップですね(笑)

はい。今回は自分の二回目となる発表でした。
前回に引き続き平田オリザさんの『わかりあえないことから〜コミュニケーション能力〜』から学び得たことをここに綴らせてもらいます。

今回は大きく2つのことについて学びました。

1つ目に『対話の基礎能力』についてです。

<対話の基礎能力>
『対話の基礎能力』とは説明しなくてもわかってもらえる事柄をその虚しさに耐えて説明する能力のことです。
日本人の芸術家が海外に出て、必ずしも才能を伸ばせないのは対話の時間に耐えられなかったため。と著者は推測していました。
日本型のコミュニケーションに慣れてしまうと海外の対話の時間に耐えきれずに(なんでわからないんだ)と切れるか、(どうせ、わからないだろう)とあきらめてしまうらしいです。

2つ目に冗長率についてです。
ん?冗長率?ってなりますよね?あまり聞かない言葉だと思います。けどみなさんの普段話をする時に関係する言葉なんですよ(笑)
冗長率とは1つの段落、1つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係ない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したものであります。

簡単に説明すると、
冗長率の低い会話と言うものが要点だけを言って簡潔に説明したりするときの会話。
冗長率が高い会話は会話の途中に無駄な話(ちょっとした小話を話の途中に入れたり)が多い人のことです。
僕は冗長率が高い方ですね。きちんと話がまとまらず1つの質問に10で返してしまうからです。これは前回の玉置先生からご指摘された点です。現在治す努力をしています(笑)

これを聞くとなんか僕って私ってもしかしたら冗長率が高いから話が下手なのかもしれないって思う方もいるかもしれませんがそれは違います。真に話が上手い人は冗長率を時と場合に合わせて操作する人なんです。

日本では『簡潔に話せ』『きちんと話せ』といった冗長率を低くする教育がまだまだ行われている学校が少なくはないようです。冗長率の操作を将来大人になったとき困らないように幼い時から冗長率を気にして教育を行って行くといいかもしれませんね。

最後に『みんな違ってみんないい』金子みすゞさんの詩の『私と小鳥と鈴と』の最後に出てくる言葉にちなんだ話を綴っていきます。

みんな違ってみんないい
→ 何かに秀でている人だけが素晴らしいのではなく、みんなが同じである必要もない、それぞれが、それぞれの個性なりに素晴らしい
と言う意味と僕は解釈しています。

今回平田さんは『みんな違って、たいへんだ』と本で述べていました。この言葉だけでその通りだなと思いました。違う個性を待っていてそれをそれぞれに合った形で伸ばしていかないといけない。教師ってすごいな。と思いました。けどこのたいへんと言う言葉から目を背けるといけないんだと思います。『みんな違ってみんないい』んです。だからその『みんないい』になるように『たいへんだ』から目を背けないように教師生活を頑張っていかないといけないんだと思いました。(菱川)