0704 3年総合「進路学習」社会人講話3
- 公開日
- 2023/07/05
- 更新日
- 2023/07/05
お知らせ
今日は3年総合「進路学習」の社会人講話3回目。利尻町で有名なラーメン屋さんの創業者の息子さんが講師です。
ご両親の奮闘記は先週の土曜日、TVの全国放送でも取り上げられていました。現在は、ラーメン店とスープカレー店の両方を経営されています。
自己紹介では、自分の生い立ちについて。中学生の頃は全然進路のことは考えていなかったとのこと。沓形中は中2まで。その後、父さんの転勤で遠別中へ。高校は転勤があったが地元、天塩高校で寮生活を希望したが満員のため、親と一緒に枝幸高校へ。中学・高校ではバスケットボールに集中し、顧問も熱が入っていた人で、朝練・昼連・夜も練習していたそうです。
(生徒の質問)「遊んでばっかりいたとしても、本当は勉強していたんですよね?」→(講師)本当に勉強していなかった。でも、高校に入ってからは進路に繋がるので、意識して勉強しました。
「1.今の進路をいつごろ意識したか」
高校卒業でバスケットをやめた時、初めて進路を意識した。安定する職種で公務員を希望した。札幌の専門学校に進み公務員試験を頑張った。筆記試験で難関を突破したが面接で落ちてしまった。
その当時、バイトをしながら生活費を稼いで生活していた。貧乏だったが趣味で家具を製作していた。思えば小さい頃から図工が好きだった。ホームセンターで材料を買い自分で作った。雑誌にも紹介された。建築に興味が湧き始めた。
学費を払ってもらい公務員になるための専門学校に進んだが、親に謝って、自分のやりたい道に方向転換した。昼は家具屋さんで働き、夜間の学校で勉強し、インテリアコーディネーターと1級カラーコーディネーターの資格を取った。
建築士免許を後回しにしたのは、免許を取る前に7年の実務経験が必要だったから。取った資格で建築会社に就職し働こうと思ったが、当時は不況で建築業界の倒産が加速した頃だった。
両親の待つ利尻に戻った。落ち込んだが、偶然にも利尻富士町で臨時職員の募集に応募して5年間勤め、その後利尻町職員で3年間勤めた。
公務員時代は、水道料金の計算、土地を購入して道路を作る仕事、沓形港の管理者の業務もした。やりたいことばかりではなかったが、出来ることは精一杯やったので楽しかった。
人との出会いもあって、北海道港湾協会という団体で事務局に選ばれた。利尻町、利尻富士町を初め北海道全部の市町村長を引き連れて、国会への案内を行った。自分では見たこともない世界だった。島にいてそんな経験が出来るとは思ってもいなかった。
公務員の仕事も、町を作るというすごくやりがいのある仕事だった。
「2.ラーメン屋の仕事の出会い」
両親が始めたラーメン屋は、当初「年金がもらえる歳まで続けられれば」というつもりだった。最初はうまくいかないときもあり諦めそうになったとのこと。でも2012年にミシュランガイドに載り、あれよあれよという間に有名になった。横浜のラーメン博物館からもオファーがあり、とても両親だけではできない状態になり、公務員をしながら手伝っていた。
そのうちに、そのラーメン屋の仕事がおもしろくなった。「よかったら美味しい、ダメだったらダメ出しを食らう」そんなお客さんとの距離が近い仕事は、建築業界とも似ていて「そんな仕事がしたいな」と決意をして転職した。32歳だった。
(担任から質問1)「公務員から仕事を継ぐときは、両親は何といったか」 →両親は子どもに継いでほしいと一度も言わなかった。自分の人生だから自分がしたいことをしなさいといっていた。継ぐと言ったときはビックリして、でも喜んでいた。
(質問2)「公務員は退職まで見通しがある。ラーメン店を継ぐ決意は、家業として廃業するまでラーメン屋と考え継いだたのか、とりあえずで継いだのか」 →32歳という年齢だったので、生涯の仕事と捉えた。家業は大きくなるだけ大変なので、スタッフの人生まで考え、真剣に向き合いたいと思った。
仕事って大変です。1日の大半を仕事に費やすので、どうしたらこの仕事をもっと楽しめると考え、5年間の計画を作った。「カップラーメンで全国で売り出そう」とかいろいろ考えて、まわりに笑われました。でも、目標があると頑張れる。大きすぎる目標ではなく、身近な目標でゲームを一個ずつクリアできるようなつもりでクリアした。
「名前を知ってもらいたい」と考え、全国の百貨店の催し物で呼ばれたらラーメンをつくりに出かけました。売り上げ記録を塗り替える作戦を立てたり、お客さんに綺麗な状態で出す工夫を考えたりしたら、メディアが食いついてくれてテレビにも出ました。
名前を知ってもらい、遠くから来てもらう方も増えました。自分が一生懸命やってきたこと、バスケットやインテリア、公務員が繋がって今がある。体力があるからデスクワークも大丈夫、インテリアを学んで来たこともスープカレー屋の内装にも生きています。
どうやったら自分の道を切り開けるかで悩むこともありますが、今分かっていることは、一生懸命やること、これで手を差し伸べてくれる人もいるし、何かしらの成果に繋がっている。遊びでも仕事でも一生懸命やろうと感じています。
(生徒の質問)「リフォームをやるにはどれくらいかかるんですか?」
→業者に頼むとお金がかかる。自分でやろうと考えた。ただ体重がかかる部分は大工さんにお願いしました。設備や調理器具などお金がかかります。
(担任から感想)「好きな物がいろんなところに繋がっていることがおもしろい。繋げる・活かす才能が上手ですね。」
「3.全国から海外へ」
ラーメン屋さんを将来どういう店にしたいかと考えたとき、まずは北海道、そして全国に名前を知ってもらえる店にしたいと考え、百貨店やラーメン博物館、TVにも出させてもらいました。
よし、次は海外だと考え、ITの会社と手を組んでアメリカのボストンでラーメンを作る機会を得ました。
残念ながら、自分は英語が苦手でした。中高とあまり勉強しませんでした。現地では時差が13時間。また英語が読めないので、材料を仕入れるのも一苦労。自動販売機や洗濯機、買い物もできない。現地の人に助けてもらいました。
そんな中、材料を仕入れてスープをとったら、食材が違うので全然同じ味ができない。次の日また再チャレンジ。開店日が迫る中、スープの味を確かめるときは手が震えました。幸い、いい味に仕上がって開店することができました。
1杯の値段が高かったのに2杯食べる方もいて、評判が評判を呼び、予定よりも早く完売しました。
そんな経験から、世界と繋ぎ広げて考えることを学びました。建築を諦めて利尻に帰ってきたときも、中高と英語が苦手で諦めていたときも、こんな小さな世界でしか見ないで自分で決めていた。いろんなことにトライしていくと世界が広がる。失敗もたくさんしたけど、その分学びました。みなさん失敗って恐いですか?食中毒など致命的な失敗は困りますが、挑戦することで失敗がある。失敗があるのは挑戦したから。挑戦した上での失敗は全然問題ない。また2回3回の失敗ではくじけない。その先に成功があるかも知れない。成功するまでの道のりに過ぎない。そういう考えをすると恐くなくなると思う。
(担任から質問3)「英語が話せなかった経験から、英語で何か考えていることはありますか」→やはり英語はできるようになりたい。書けるより話すこと。これからのために勉強し直します。みなさんも何かやりたいときの選択肢が増えるので勉強はやっておいた方がいいです。大人になっても勉強はできます。
「4.挑戦するそのきっかけは?」
好きなことに全力を注げるタイプだった。それが仕事に繋がったら楽しく仕事ができる。勉強もそうだと思う。その環境を楽しいと思うのか、つらいと思うのかも自分次第です。最近、調理道具がないハワイの店に行ってきました。いろいろ物がないので、準備するために文句を言いたくなるし、従業員も言うくらい苦しい状況でした。でも文句を言ったって調理道具は出てこない。こちらで用意するしかない。「どうやったらここでラーメンが作れるか」を考え、自分と相手でしっかり準備すると、どこでもラーメンが作れる。楽しい状況が作れます。自分の気持ちを楽しく持っていくかも自分次第だと思います。楽しんだ方が得。楽しんで仕事している人に、人は手を貸してくれます。
そんな想いはいつ身についたのか?転校していたときでしょうか?苦しい状況もあったし、入った学校が荒れていて先輩に手を出されることもありました。でも、自分はそんなことは絶対にしない。そこでバスケットを見つけて、仲間とできて楽しく過ごすことが出来た。そんな経験からかも知れません。
どんな仕事でも、自分のやりがいを持ってすることは楽しいです。受け身の姿勢ではなく自分から探すと、もらえる仕事と自分の仕事を結びつけて成果を上げることができる。自分からアクションを起こすことが大事。
また夢を持った方がいいと思います。きっと笑われることもあるけど、持つことによってステージがどんどん変わっていく。どんな人が夢が叶うかわかりますか?(生徒返答:普段から努力する人?)自分の時間の使い方がうまい人です。普段から自分の時間をどれだけ夢に使い、人と一歩でも二歩でも差を付けられるか。それをしているといざ夢が見つかったときに、頑張り方を知っているのでうまく繋げることができます。遊びでも部活でも勉強でもいいので、自分のビジョンと繋がる物に少しでも時間を使うと、いざということに役に立ちます。私は大人になって分かりました。
「5.今後のビジョンについて」
利尻島に全国から注目してもらえる会社を作りたいです。
あっという間に時間が過ぎていきました。どんな立場・環境におかれても、主体的に全力で取り組んで楽しむ。それによって仕事・人がが繋がり広がっていく。挑戦した中の失敗は途中経過に過ぎない。夢を持って時間を使っていく。たくさんのことを教えてもらいました。ありがとうございました。