モラルBOX日記

【豊明市立沓掛中】心を落ち着かせ、心を豊かにする『朝の瞑想』

公開日
2014/03/11
更新日
2014/03/11

心の教育推進活動(モラルBOX掲載用)

 本校では、朝のSTの始めに、全校で「瞑想」をします。「瞑想」と言っても、ただ目を閉じ、一人で思いをめぐらすことではありません。朗読係の生徒が校内放送を使用し、朝の慌ただしさを忘れさせるような心安らぐ話を読み、教室にいる生徒はその話を静かに聴く、というのが本校における「瞑想」です。瞑想を聴く際は、
・ 椅子に深く腰掛ける
・ 手を膝に置く
・ 静かに目を閉じる
・ おでこに光が差し込むように、顔を上げ、背筋を伸ばす
以上の4点に気をつけて、姿勢を正します。
 朝の挨拶を終え、しばらく経つと、教室にあるスピーカーから穏やかな音楽が流れ始めます。すると、生徒たちは、誰に何を言われなくとも、姿勢を正し目を閉じます。そして、数分間、心地よい音楽と心洗われる話にじっと耳を傾けます。瞑想をする数分間は、放送から流れる音以外、物音一つしません。
 生徒に聴かせる話の内容は様々です。人生の教訓を教えるときもあれば、行事の振り返りを伝えるときもあります。どんな話を生徒に伝えるべきかと、生徒指導担当の先生が頭を悩ませながら、毎日、数分間の話をつくっています。しかし、そんな苦労も忘れさせてしまうくらい、本校の生徒たちは真剣に話を聴くことができています。

ある日の瞑想・・・『足下を見つめる』
 以前、ある温泉で先生たちの会議が行われました。会議を終え、疲れをとりたいと風呂に入ったときです。二十人ほどが入っていたでしょうか、はいてきたスリッパが入り口に散乱していました。そのとき、一緒に行った先生がそのスリッパをきれいに並べ直されていました。私もつられて、一緒に並べました。そこへ一般のお客さんが入ってみえ、こんな会話が交わされました。
「きれいに並べられているね。」
「気持ちがいいなあ。」
「先生たちだもの。」
 私は、二人のお客さんが入ってくるのに間に合ったことにほっとしました。しかし、同時にとても恥ずかしい思いにかられました。
 時に、学校の玄関に、ときどき靴が脱がれているのを見かけます。きれいに揃えられているときもあり、横を向いたり、右と左がそっぽを向いたりしているときもあります。
 玄関は学校の顔です。そこが乱雑になっていたらどうでしょうか。訪れる人も、私たちも決して良い気持ちにはならないでしょう。それは、そこに住む人の心が問われているのですから。
 禅宗のお寺の玄関に、「看脚下」という文字を見かけます。まず、足下を見なさいということで、履物をきちんと揃えて上がりなさいと教えているのです。揃えるとは手で靴の前を合わすことで、かがんで手を使ってこそ「揃」えたことになります。「看脚下」の言葉は、ただ履物を揃えるだけではなく、足下をしっかりと見つめて生活しようということにつながっています。「看」の字は手と目が合体してできた文字なので、体全体で足下を見つめなさいということでしよう。
 「足下を見つめる」ことは、自分を正しく律していくことに通じます。まず、足下を整えることで、外に現れる姿が美しくなり、その人の本当の力が発揮できるのです。